そしてあなたへ、あの頃終わった物語を。

おとも1895

前 そしてあなたへ

『————へ』

 今そこで、あなたの見ている景色は一体何色でしょうか。

 

 平和な世の中ですか?

 それともいくさの絶えぬ、醜い世界ですか? 


 過去の————にメッセージを書くというのは想像以上に恥ずかしいものですね。


 ————からは、たった一つ。

 幸せになれる道を選びなさい。


 どうかこの思いがあなたに届きますように。



 




 ギィ、とその場に似合わぬ静かな音が広間に反響して、禍々しい魔力に、気配に包まれたその場所の大門が不意に開かれた。

 建て付けが悪くなりかけているその場所は、もはや修理をしようという意思さえも見受けられることはなかった。


 少女が、無意識に振り返った。


 

 目の前を摩天楼のように聳え立つ大きな門を力尽くでこじ開けたのは一人の、まだ成人すらもしていないような少年であった。


 茶色の、チリチリになった髪の毛と肩を揺らしながらそこに立っている少女を見つめている。


 少年はしばし時間の流れが止まったかのような感覚を味わった。

 それは悲痛にも似た、ある一種の再会の喜びだったのかも知れない。


 

 少年が勇者となって、人々に魔王を倒すのだともてはやされてからは久しく感じることのなかった。


 否、感じることが世界から許されていないものだった。


 それでも今この瞬間だけは、少年はただ少女に見惚れていた。

 少年は、決別を告げにここにきたはずだったのに。




(……あぁ、本当に僕らは)


 


 自分たちはあの頃よりも大人に近づいたんだなぁ、と知らず知らずのうちに目を細めていたことを少年は自覚していたのか。


 彼女は魔族の女王。

 俗に魔王と呼ばれ、勇者の対比とされる者。


 同い年の魔王だ。

 そんな少女が、少年の名を口にした。




「ハ……ル? 本当に、あなた、なの?」


 


 途切れ途切れ。

 そんな声に少年————ハルは息が詰まりそうになるのを必死に抑え込んで。


 彼女の名前を静かに呼び返した。

 何かの間違いであってくれ、とまるで願っているかのように。


 それが、勇者らしからぬ行動なのだということはわかっているつもりだった。




「あぁ、ハルだよ。君こそ、本当にシリアなのか?」

「うん、本当だよ。ここにきて今更疑うことは何もないでしょうに」



「それは、君もだろう?」

「あるいは、ね」




 淡々と返されて、今度こそ本当に少年は、いや、勇者は息をすることさえ難しくなった。

 

 あぁ、そうだった。

 そうだったな。


 と、涙が溢れ出てしまいそうになるのを必死に抑えながら思った。




(君は、昔から本当にそういうやつだったよ)




 魔王と勇者はかつての幼馴染だった。


 幼少期、10歳までまるで兄弟のように毎日を共に過ごした大切な人だった。

 こうやって対峙してみてよりいっそそう感じた。




「……さぁ、始めましょう? 本当に最後の戦いを」


 


 言われて、少年の心臓はドクンと脈打った。

 今の今まで、それこそその門をくぐるまでは気にならなかったようなこともその瞬間には、まるで襲いかかってくるように感じた。


 五感が、恐怖という感情を叩き出すような演出をよりいっそ受け止めていた。

 匂い、軋み、隙間風、戦鬪音……。



 不気味にすら感じ、まるで浮世離れした感覚をも引き立たせるそれらが少年の精神を圧迫し続けていた。


 

 少年はやがて観念したかのように、もしくは覚悟を決めたかのように剣の柄をギュッと握りしめた。

 無駄な装飾のない、勇者が使うには質素すぎる剣だった。



 鞘からそれをゆっくりと引き抜いて、そして、カランとその場に捨てた。




「どういうつもり?」

「っ……!」


 


 心底怒ったように、少女が少年に言った。

 勇者が剣を手放すな、と。


 手放してしまったら、それはもう仲間への裏切りと同じなんだぞ、と。

 本当は安心していることなんて、少年に隠し通せているはずがなかったのに。


 

 だから、ハルはいいやと首を横に振った。




「戦いなんて、しなくてもいいさ」


 


 それが、二人にとってどれだけ甘い誘いなのか。

 それは、その場にいる二人にしかわからないことだった。


 少女の表情が一瞬揺らいだ。




「話し合いをしましょうってこと? 私はそれでも別に構わないけど。いいかげん、こんな馬鹿みたいな戦争は終わって欲しかったし」


 


 しかしそれでも、世界がそれを許さない。


 魔族と人間の会話、至っては魔王と勇者の話し合いなど断固として認められることはなかった。


 人間は偶像主義だ。

 御伽話のような、勇者が世界を救う物語でなければ満足しない。


 魔族は、守備主義だ。

 人間を嫌悪する魔族は今更少なくなっていたが、戦争のせいでその認識はまた元に戻ってしまった。


 それがわかっていたからこそ、勇者である少年は力無く笑いながら、魔王の幼馴染に向かって言った。




「違うよ、そうじゃない。そんなことをしても、世界がそれを戦争の終わりだとは認めない。でもね」


 

 

 少年がその瞬間言葉を区切ったわけが少女には理解し損ねた。




「もっと、簡単に解決する方法がここにあるじゃないか」


 


 シリアは、魔王は首を少しだけ右に傾けた。

 いったい、そんなものがどこにあるのだろう、と考えているようだった。


 ここにあるのはせいぜいが彼女の私物だ。

 そこには、魔王だ、とかなんだとか言われながらも捨てられなかった幼馴染との記憶の詰まった写真集が飾ってあった。


 部下たちも最初は咎めていたが、だんだんと受け入れるようになった小さい頃の小さな物語の結晶が。




「本当に、君はわからないんだな」


「えぇ、わからないわ。このどこにそれがあるっていうの?」


 


 聞くと、少年は少しの間沈黙した。

 それでも、彼は顔を苦痛に歪めながら、無理やり笑おうとして失敗した不細工な顔で、はっきり言い切った。




「ここで、魔王に唯一対抗できる勇者を殺して仕舞えばいいんだよ」

「————っ?! そんなの!」




 できるわけがないじゃない。

 やりたくないよ。


 と、魔王らしからぬことを少女は言い返したが、勇者の方はただただ首を床に軽く振るだけだった。




「これしかないんだ。これしか。勇者を殺して仕舞えば君は自由だ。やっと魔王と勇者という束縛から、魔族と人間という束縛から抜け出すことができるんだ」


「……」




「魔族そのものを嫌悪先として見做している人間とは違って、魔族は攻めてきた人間を恨んでいるだけだから。全てを駆逐しようとする、人間至上主義の俺たちとは違った世界を君とその部下たちならば、作れると思うから!」


 


 だから今までの戦いで、君の部下を殺さなかった。




「俺は、君を助けるためにこの命を差し出すよ。君に」


 


 いやだ、と少女の心がそう叫んだ。

 これまで幾人もの人間の、魔族の死を見てきたが、この少年に抱いた気持ちはそれのどれとも違っていた。



 死なないで欲しい、じゃない。

 生きていたらいいな、じゃない。




(私の前から、消えないで)


 


 この空白の数年間が、ずっとそうだったのだと少女は今更ながらに気がついた。


 

 数年間はどこかを振り返れば、必ず勇者がどうのこうのと、必ず彼のことを耳にしていたことに気がついた。

 いつも、彼女のどこかには彼がいた。

 いつか、颯爽と現れて自分を迎えにきてくれるのだ、と信じていられた。


 

 その時に、いつもとは違った自分への声を紡いでくれるのだ、それで自分たちはいつか幸せを掴むんだと、淡い幻想を胸のうちに秘めていられた。




「早くしてくれ。怖いんだ」


 


 そんな勇者の手は。

 理想とはかけ離れていて、ガタガタと震えるそれを見るのも少女には辛かった。


 歯を食いしばって、少女に自分の首が切り落とされるのをじっと待ち続けている。

 こんなはずじゃなかったのに。




「……うん、そうだね」


 


 少年はぎゅっと目を瞑った。

 来るべき痛みに耐え抜けるように。

 自分の懺悔がこんなものかと涙すように。


 それでも、その衝撃はいつまでたっても訪れなかった。




「シ、リア?」

「ア、アァ……アァァ!!」


「どうし————」




「いやだ、置いていかないで。私を置いていかないでよ! 私をひとりにしないで!」


 


 か細い声が、それでもはっきりと叫続けていた。

 本当に小さい小さい声での、必死な叫びだった。


 少年の全身を、形のない何かが駆け抜けていく。




「っ、別に置いていくわけじゃ————!」

「置いていかないで、置いていかないで、置いていかないで!」


 


 少年は、そうやって駄々をこねる少女からそっと目を逸らした。

 彼女がどうしても魔王には見えなかったのだ。


 年相応な、死を怖がるそんな少女にしか見えなかったのだ。


 月明かりが、いっそのこと邪魔なくらいに淡く大きな窓から入り込んでいる。

 それがちょうど彼女の影とぶつかってしまって、その表情を正確に読み取ることはできなかったが。


 もしくは、読み取れなかったからこそ少年も何かのタガが外れることがなかったのか。




「昔と今で、関係性がガラリと変わってしまう存在の例なんて、それこそ山ほどあるさ。それがたとえ、人間であろうと魔族であろうと」


 


 それ以外の動物たちもあるいは。

 この世界に存在する限り完全に普遍的なものなんて存在しないと、散々見てきた彼は語る。




「変わらない、なんて言っているやつほど、変わってしまっているんだよ」

「……昔のままじゃ、本当にダメなの?」


 

 対して返ってくるのは、少女の純粋にして素朴な疑問。

 少年は、できればそれを肯定してやりたい衝動にかけられたが、それでも自分たちだけはそれをしてはダメだと、心を鬼にした。




「あぁ、少なくとも、俺とお前の関係はずっと、な。今更元に戻すことも不可能だよ。戻りたくても、戻れないんだ」

「どうして?」



「勇者と、魔王だから」


 


 現実に飲まれてしまった勇者はそういった。

 幻想を抱くくらいなら、ぶち壊してしまえと唇を噛み切ってでも、割り切った。


 それが、この場において一番残酷な答えだということに、二人は果たして気がついたのだろうか。

 だって、自分たちだけはだめ、なのだから。




「一緒にいたいよ」

「無理だよ」


「どうして?」



「魔王と、勇者だから。それ以外の理由をきっと世界は求めていない」


 


 ついには、少女の方が先に壊れた。




「どうして、どうしてなのよ! どうして、私は何にもしてない! 何にもしてないのに、急にあなたと引き離されて、日常を壊されて、ここに連れてこられて! あなたに敵対させられて! 一緒にいたかったのに。昔みたいに、勇者とか魔王とか、そんなの関係なしにあなたのそばにいたいよ……」


 


 少年は胸が痛くなった。

 鈍器で殴られたような痛みだった。

 それが、物理的な痛みだとわかっていたし、しかして理解したくはなかった。


 もう、耐えることはできない。



 そして。

 そして、そして。


 そして————。今



 まで耐えてきた、そんな理不尽へ対する思いが、心の内側から逆流する。




「あぁ、そうだよ。勇者だからなんだ。勇者は、魔王と一緒にいちゃダメなのか? おかしいだろ、人間と魔族っていう明確な違いがあっても、それは俺たちには些細なことだったろ。それこそ、あなたと私の趣味の違いみたいなそんな小さなものだっただろ。ちゃんとわかりあって、話し合って、泣いて、笑って、遊んで、怒られて、シュンとして。そういう平凡な生活を望んでいただけだったのに! 喧嘩したって、それはお菓子の取り合いだったり、一つしかない遊具の使う順番だったり! こんなに大ごとになるはずじゃなかっただろ!」




 始まって仕舞えば、少年がそれに抗うことは不可能で。

 少女も、ポカンとした顔で彼を見つめるが、そのことにさえ気がつくことはできなかった。




「魔王だか、勇者だかしらねぇけど。そんな大人が勝手に決めたことのためだけに殺し合いをさせて。人間がやっていることは、テメェの家で飼っている犬はうちのとは違うから殺してしまいなさいっていっているのと同じだろうが!」


 


 そうして、涙を流しながら。

 噛み切られた唇から、血液を垂れ流しながら。

 

 少年は、世界に向かって吠えた。




「これだから、大人は。大人になっちまった世界は大嫌いなんだ」


「ハル?」



「世界なんて、人間なんて無くなっちまえばいいんだ」


「うん、それもいいかもね・・・・・・・・。種族だ、人種だってそんなことをいって理不尽に敵対する世界なんて、あってもなくても同じだよ」



「そうだったらいいな。……いや、きっとそうなんだろうな」


「だからさ。こんな世界から私は逃げるよ。きっと、その先の幸せな世界であなたを待ってる」



「そうだといいな」


「だからさ。先に行かせて、ハル」



「いいよ。俺はお前がいつかたどり着く場所まで追い続ける。今までみたいに、これからも、ずっとずっと。どこまでも」


 


 そういって諦めたように、あるいはまだ見ぬ桃源郷を夢見るように少年はその場へトスンと座り込んだ。

 少女もそれに釣られるようにして、コロンと寝転んだ。

 まるで、あの頃のように。


 少年は座り込んだまま少女へ言葉を紡いだ。




「一緒に逝ってもいいんだけどな」




 少女は、それに対して一呼吸も置かずに否定の言葉を返した。




「だーめ」

「どうしてさ」


「そりゃぁ、私たちを散々な目に合わせてくれたこの世界には……特に人間にはどっちか復讐しないといけないでしょう? それに適任なのは、私じゃなくてあなたなの」


 

 

 ハッと少年は笑った。

 覚悟を決めた目だった。




「俺は君を殺す。あんたを殺して世界を救う」




 少女は少年に笑い返しながら、声を発した。

 切な気に、しかして絶望はせず。




「それで世界は救われる。でも、私が死んだら世界は終わる」


 


 なぜならば、




「たった種族の違い如きで、たった生まれの違い如きで。人を、友を、大好きな人を殺さなければいけないというのなら、俺がこの世界を呪ってやる」


 


 そして思いは呪いとなった。




「それが俺と君を敵対させた、全世界の人間たちへの、せめてもの復讐だ」


 


 世界はそうして呪いを受けた。

 いつまでも、いつまでも少年はこの世界を呪った。


 そのせいで、時には大陸一つが沈んだり、人類は実験の失敗によって半分が消し飛んだり。

 しまいには、全人類が一度滅んでしまうまで。


 ハルたちのいきた時代が神話の時代と呼ばれるようになるまでずっとずっと。


 

 そんな狂気が世界を舞う中。

 たった一つ、たった一つだけ世界に安息の地が存在した。


 彼が、聖域とみなしたその場所は幼馴染と過ごした大切な場所だった。




「俺は、この世界の終わりを見届けるよ。君と過ごしたこの場所で。君がいたこの場所で」


 



 そうやって、月日は流れ。

 人類が新たな歴史を起こし始めた頃。




「……あぁ、わしももう限界じゃな。最後にもう一度この世界で君に逢いたかったのぅ」




 今はもう、顔さえ思いだすことはできないけれど。

 会いにきてくれればすぐにわかるよ、と。


 

 此度、一人の命が燃え尽きた。



《前編、完————後編へ続く》

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