第2話

 クラスメイトとは、しゃべることはあれども「一緒にコンビニ寄らない?」「一緒にコーヒーショップ寄らない?」と言われても、お小遣いがない上、姉のお見舞いや買い物に行かないといけない私は断り続けたら誘われなくなってしまった。

 本当にことだけれど、もっと上手いこと断る方法があったんだろうか。

 だからクラスメイトとは、掃除当番のときにゴミ出しをじゃんけんで決める、日直の際に日誌を書く、係の仕事をする以外では、特にしゃべることがなかった。

 私は鞄を抱えて、今日は久し振りに真っ直ぐに家に帰れると、ほっとしながら歩いていたところで。


「東上」


 担任から声をかけられて、少しだけピクリと眉を持ち上げた。

 もし、空気の読めない担任に「クラスで浮いているみたいだけれどどうだ?」とか呼ばれたらどうしよう。

 中学時代にもいたんだ、そういう先生が。姉が入退院を繰り返している結果、うちの家が大変なことを知ったら、それ以上の追求はしてこなくなったけれど。

 やめてよ。そういうの。寒いんだよ、同情なんて現状打破の役にも立たないのに。自然と肩にかけた鞄の柄を強く握りしめていた中、担任は私の傍に寄ってきて、意外なことを聞いてきた。


「東上はたしか、この辺りに住んでるんだよなあ?」

「はい?」

「この辺り、学校の吸収合併のせいで、何時間もかけて登校してきてる子たちもいるから」

「まあ……この辺りですけど」


 担任はなにが言いたいんだろう。私が訝しがっていたところで、担任はプリントを差し出してきた。今日配っていた奴だったはずだ。


「これは?」

「これなあ、榎本えのもとの分。本当は先生が毎日持って行ってるんだけど、今日は職員会議が長引きそうで持って行けなくってな。そういえば東上はこの辺りの子だったと思って。持っていってくれないか?」


 そう言われて、少しだけまごついた。

 榎本くん……私が受験合格の日に見かけた。癖毛の男の子だ。

 彼は学校になかなか登校してこない。不登校という訳ではないらしく、登校してくるたびに一生懸命勉強しているみたいだけれど、授業が抜けていて困っているらしく、いつも隣の子や後ろの子からノートを借りて、それを一生懸命写している。

 私と同じでスマホをあんまり使いたがらないみたい。

 話をしてみたくても、あんまりに学校に来ないせいで、したことがなかった。


「わかりました。ただ住所知りません」

「ああ、榎本の住所だけれど」


 担任から住所を教えられ、私はその地図を見ながら探しに行くことにした。

 学校の近くには、平成どころか昭和の色を濃く残した住宅街が広がっている。昔ながらの日本家屋が押し合いへし合い並んでいる上に、車道と歩道がほぼ一緒になってしまっているほどに狭い道だ。私はその道に書かれている番号と住所を睨めっこしながら歩いて行くと、やがて一軒の家に目が留まった。

 ポタポタ落ちているのは、牡丹桜の花びら。今年は長いこと牡丹桜が咲いていたと思ったけれど、まだ残っていたんだと眺めていた。

 とりあえず見つけたから、榎本くんの家のポストにプリントを突っ込んで帰ろうとするものの。中が詰まっているらしく、プリントを入れようとしても跳ね返されてしまう。

 どうしよう。呼ぶ? でもなあ……。

 私がひとり、ポストの前で格闘していたとき。ガラリという音が響いた。今時珍しい横開きの戸だった。

 榎本くんは中学時代のジャージを着て、サンダルでペタペタとこちらに歩いてきた。見覚えのある制服の女子がいるせいだろうか。怪訝な顔をしてこちらを見てきた。どうも、彼は私のことを覚えていないらしい……私もクラスメイトの顔と名前が一致しないことはしょっちゅうだから、人のことなんて言えないけれど。

 こちらを見て、榎本くんは「あのう?」と首を捻った。

 私はポストに突っ込もうとして先がしわしわになってしまったプリントを、一生懸命手で伸ばしてから引き渡した。


「私、東上。これ、先生が持っていってと言っていたから」

「ああ……東上さん。ありがとう」


 榎本くんはのっそりとした様子でこちらまで歩いてきて、プリントを受け取ってくれた。そのとき。私は彼からたしかに匂いを感じ取った。

 アルコール。薬。独特の篭もった死のにおい。榎本くんは、ポストの中に詰まっている中身をどうにか全部回収して、元来た道を帰ろうとした際、私は思わず声をかけた。


「誰か、寝ているの?」

「ええ?」

「……うちにも、そういう人がいるから」


 下手に言えば、人の口には塀が建てられず、気付いたら知らない人にまで知られてしまう。中学時代の一件ですっかり懲りた私は、なるべく家の話は外ではしないようにしていた。だけれど、榎本くんは違うと直感で思ったんだ。

 榎本くんは眠そうな瞳でこちらをじぃーっと見てから、口を開いた。


「うちのばあちゃん。介護必要だから。施設、順番待ちだからいつになったら入れるかわかんねえ」

「……そっか。明日学校は?」

「明日は母さんが休みだから、行けると思う」

「そう……また明日」


 私がそう言うと、榎本くんは意外そうな目をしていた。そして軽く手を振ってくれた。私も振り返して、踵を返して走って行った。

 アスファルトの舗装がはげて、でこぼこになっている道を、急いで帰っていく。心臓が痛くて痛くてしょうがなかった。鼓動が弾んで、嬉しかった。

 初めて……初めて、自分と同じような人に会えた。

 そういう人たちはいるらしい。噂では聞いていても、学校では家族の病気や介護で学校に行けない人の話なんて出なかった。それを言うと、テレビの押しつけなのか、大概は「虐待?」「毒親?」と怪訝な顔をされる。

 そうじゃないんだよ。そうじゃ。

 同情なんてされたくなかった。そんなことで環境が変わる訳でもないから。施しなんていらなかった。そんなもので寿命が左右されるものでもないから。ただ。

 普通に接して欲しかった。家族からは普通に接してもらえるけれど、それは家族だからだ。叔母さん一家には普通に接してもらえるけれど、毎度毎度心配されて居心地が悪い。心配してくれるのは嬉しいけれど、そんな風に扱って欲しくなかった。

 だから、合格発表で出会った、同じような気がする人が、同じだったとき、私は久し振りに生きている心地を覚えていたんだ。


****


 学校では、授業がはじまる前、大概のクラスメイトは友達とおしゃべりしているか、スマホでSNSをチェックしている。

 私は格安スマホでWi-Fiのあるところでじゃなかったら電話代が怖くて使えない代物だったがために、席に座って大人しくしていた。

 榎本くん、早く来ないかな。

 なんとはなしに教室の扉を見たり見なかったりしていると、予鈴の鳴るギリギリのところでガラリと音がした。相変わらずアルコールと薬のにおいを纏わせて、眠そうな顔の榎本くんが入ってきた。相変わらず癖毛はピンピンとあっちこっちに跳ねていた。


「おはよう」


 私が声をかけると、驚いたように榎本くんはこちらを見たあと「おはよう」とだけ返した。

 一瞬だけこちらに視線が集中したものの、周りはなかったことにして、それぞれ予鈴まで好き勝手に過ごしていた。

 それでいいと思う。それで。

 授業をどうにかこなし、私はいつもの変なお弁当を持って美術室に行こうとする。そのままとことこと歩いていると、のっそりとした榎本くんの背中が見えた。手にはラップにくるまれたおにぎりがあった。


「どこで食べるの?」


 私が声をかけると、榎本くんは気まずそうにこちらに振り返った。おにぎりを見られるのが嫌だったらしい。

 だから私は「私も似たようなもの」と、お弁当袋を振った。

 榎本くんはそれに納得したのか、髪を揺らした。


「どこで食べようか、今悩んでいるところ」

「普段はどこで食べてるの?」

「旧校舎を適当に歩いてる。新校舎は人通り多過ぎて」

「あー……」


 うちの学校の校舎は、とにかくキメラめいていて歪だ。

 渡り廊下で無理矢理繋げた上に、生きている教室と物置になって閉め切られている教室が半分。どこかでやっていた「拓けたいじめのない教室」をコンセプトにつくられた教室は、やけに広い上に窓も大きい。そして合併した分だけクラスメイトの数は多く、ギューギューに押し込められている。意味がない。

 だから昼休みになった途端、開放感が極まってどこに言ってもうるさくなってしまう。それでいて、人と一緒にいないと勝手に心配される。

 担任は曲がりなりにも担任なため、しょっちゅう姉のお見舞いに出かけて校区から離れた場所まで行くのを、なんとはなしに話して報告しているが、問題は同学年の子たちだ。基本的に今は、下手なことをしたら全部チャットアプリやSNSのメッセージツールで全部流されてしまうから、見つかりたくなかったし、余計なことも言いたくなかった。

 だからこそ、なるべくクラスの子たちが知らない場所に落ち着かないといけなかった。

 私は手招きした。


「旧校舎だったら、美術室がいいよ。昼休み中は人がいないから」

「においきつくない?」

「きつい。だから昼ご飯普通に食べ放題。行く?」

「行く」


 こうして、私たちはふたり並んで美術室に向かった。

 今日は日が出ていていい天気だ。においが篭もらないよう、窓を大きく開ける。それでも油絵の具のにおいが全然消えないけれど、最初よりはだいぶましだ。

 ふたりで弁当を広げて食べはじめた。

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