第7話 ほのぼのタイム


 時刻【13時30分】


 1頭と1匹はのんびりとした時間を過ごしていた。


「……ウホ」


 ゴリラは白いベンチに腰掛け、青い空に浮かぶ白い雲を眺めながら、カフェラテを飲み穏やかな表情を浮かべている。


 その大きな膝の上では、プレイバウポーズでゆらゆらと尻尾を振る紅色のポメラニアン。


「アン!」


 さんたろうも、彼の横顔を見ながら幸せそうな表情をしている。


 だが、それだけではなかった。


 そう遊びたいのだ。


 犬だから。


 頭の中は公園を走り回るゴリラと自分の姿でいっぱいになっていた。


 グランドで全力前回の追いかけっこし、赤煉瓦で舗装された藤の花の香りが漂う通路を歩く。


 その足取りで近所のわんこのたちの匂いを探し、お気入りの場所でマーキングをする。


 そして、またそれを繰り返す。


 桃子が戻るまで。


「アン!」


 その期待を含んだ眼差しと声を受けたゴリラは応じた。


「ウホ!」


 目線を合わせ頷き、横に置いてあったカフェラテを手に取って一気に飲み干そうとした――。



 ――その時。



 彼は思い出した。これがホットだったことを。

 だが、時すでに遅し。


 傾けられたベンティという大きなサイズの容器は、勢いよくその大きな口へと流れ込む。


 あまりの熱さに悶絶するゴリラ。


「……!?」


 それでも、膝の上にいるさんたろうを気遣い最小限のリアクションで済ませた。


 立派な眉毛をへの字にし、リードを持つ大きな黒い右手を少しパタパタと動かすのみ。


 しかし、その様子を見ていたさんたろうは、膝からおりてベンチを駆け回り鳴き声をあげた。


 心配しているのだ。ピンチに陥ったバナ友を。


 これが人間であれば、すぐさまその手を止ればいい。

 例え口の中に入ったカフェラテを吹き出してでもだ。

 しかし、彼はゴリラ。


 食べ物を無駄にできなかった。


 それは、ほんのひと握りの食べ物を得るのにも、三日三晩どこかの山や川を駆け回ったりなど苦労してきたからだ。


 だから、いくら熱くても吐くなんてできなかった。せっかくのカフェラテが無駄になってしまうから。


 その上、バナ友のさんたろうが取り乱しているのだ。情に厚いゴリラからすると何事もなかったように装いたかった。


 心配をかけない為に。


 ゴリラは「ゴクンゴクン」と大きく喉を鳴らす。


「……ッウホー!」


 そして、根性とゴリラ魂でベンティサイズのホットカフェラテを飲み切った。


「アンアン!」


 さんたろうは、瞳をキラキラと輝かせ、尻尾も勢いよく振る。


 やはり、ゴリラは大きくて凄い。


 そう思った。


 それは犬舌のさんたろうにとって、熱い物を一気飲みするなんて、常識では考えられなかったからだ。


 犬の常識では。


「ウホ!」


 ゴリラは、キラキラと目を輝かせるバナ友に、白い歯を見せて笑顔を向ける。


 桃色のリードを持つ大きな左手で、親指を立てるおまけ付きだ。


 その顔を見てさんたろうも喜んでいた。


「アンアン!」


 ゴリラを真っ直ぐ見つめ耳を立て、尻尾も勢いよく左右に動かす。




 ☆☆☆




 なぜここまで、さんたろうがゴリラに懐いているのかというと桃子ではなく、すももがリードを持っていたとある土曜日の朝――。


 金木犀の香りが漂う、タコ公園の中での出来事。


 すももは、今にも走り出そうとしているさんたろうへと話し掛けていた。


『いいですか? おばあちゃんと、私は違うので全速力はやめてくださいね』


 服装は、手が隠れるほどの丈をした桃色のカシミヤのセーター。

 下はメロン色のニット地のショートパンツ、ニーハイソックス。

 それに桃が左右に1個ずつプリントされた白色のスニーカーを履いている。


『クゥーン……』

『だめです……そんな可愛い鳴き声をしても、期待に応えられませんから』

『クゥーン……』

『し、仕方ありませんね……では、少しだけですよ?』



 そう言って走り始めたその時――。



 さんたろうの体からリードが外れた。


 散歩に不慣れなすももが支度をした為に、リードの留め具がしっかりと繋がっていなかったからだ。


『ちょ、ちょっと待って! さんたろうー!』


 その心からの叫び声も虚しく、自由になったさんたろうは、いきいきした顔で公園を全力で駆けていく。


『アン! アンアン!』

『待ってー! はぁはぁ。待ってください』


 すももは、それを必死の形相で追いかける。


 だが、祖母と違い運動音痴の彼女は何もないところで足を絡ませた。


『わっ、わー!』


 そして、転けた。


 顔面からスライディングする形で。


 しかし、その声も野に解き放たれた1匹の獣と化したポメラニアン、さんたろうには届かない。


『アンアン!』


 対するすもものめげずにすぐさま立ち上がり、周囲を確認するが、さんたろうの姿は見えなくなっていた。

 

『さ、さんたろー! どこですかー?』


 状況を理解した彼女は全身砂まみれのまま、その場で打ちひしがれ膝を崩した。


『さんたろう……』


 同時に公園の出入り口へと来たさんたろうも、ようやく自分の後ろに居たはずのすももがいなくなっていたことに気が付いた。


『クゥーン……クゥーン……』


 心細くなり、甘え声をあげる。


 いくら勇猛果敢な性格でも1匹になったことで家に帰りたい。すももや桃子に会いたい。色んなことが頭に浮かんでいた。


 すると、何かの足音が聞こえた。


 警戒し周囲を見渡すさんたろう。


『アン!』


 そして、その音のする方へと目を向けた。


 そこには黒い大きな塊が黄色い何かを持って立っていた。


『ウホ?』


 それは、朝活をしていたゴリラだった。

 上下共に黒のジャージを着てジョギングの最中。

 公園で消化吸収に優れたバナナでエネルギーチャージをしていたのだ。


 この日の朝バナナは、スミフルの甘熟王ゴールドプレミアム。フィリピンのとある島で高地栽培された物で、その外観は濃い黄色をしており色鮮やか。

 味も申し分なく、甘くどこかはちみつを連想させる風味をしている逸品。


『ウホ?』

『グルルッ……ヴヴッ、アン!』


 初めて目にした黒く大きな生物に警戒するさんたろう。

 それに戸惑うゴリラ。


 ――だが、この後。


 彼は不安になっているさんたろうへと、その手に持っていたバナナをちぎりお裾分けした。


 こうやって落ち着きを取り戻させてあげたのだ。


 ゴリラとバナナのおかげで、すっかり元気を取り戻したさんたろうは『アン!』と元気よく鳴くと、ゴリラの周囲を駆け回り始めた。


 その様子を確認した彼は、さんたろうから話を聞き、砂まみれになっていた飼い主すももの所へと案内してあげたのだ。


 ――これがゴリラとの初めての出会いで、さんたろうが懐きバナ友になった日の出来事だった。




 ☆☆☆




 ――熱々カフェラテ事件から、15分後。


 時刻【13時45分】


 そんな1匹と1頭は会話をしていた。

 それは、この後の予定について。


「ウホ?」

「アンアン」

「ウホウホ?」

「アン!」

「ウホウホ!」


 そして、2人の意見は一致した。


 今から全力で遊ぶことに。

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