第5話 タコ公園
5月20日(火)
時刻【13時00分】
天気【晴時々曇 最低気温17℃ 最高気温23℃】
とある公園の3人掛けの白いベンチ。
ゴリラはここで優雅なひとときを過ごしていた。
服装はスーツではなく、白のTシャツにグレーのカーディガン。
下は黒のテパードパンツに赤色スニーカーを履いていた。
その手には、駅前のカフェで買ったホットカフェラテに自分で持ち歩いているMONINのバナナシロップ入れた物が握られている。
ちなみにサイズはベンティ。そしてホット。
また、行きつけな為バリスタからのメッセージ付きだ。
《ゴリラさんへ、Have a nice day!☆》
「ウホ」
その文字を見た彼は優しく微笑み、1口飲むと空に浮かぶ大きな雲を眺めていた。
雲はゆっくりと形を変化させて流れていく。
大好きなバナナの形や部下である犬太の顔、雉島課長代理の老眼鏡。珈琲豆のような雲へと。
「ウホ……」
そんなゴリラがいる公園は、タコの形をした遊具があることからタコ公園と呼ばれている。
広さは全体でテニスコート6面分。
サッカーができるほどのグランドが2面あり、入口付近から雲梯、向かい側に4人乗りのブランコと鉄棒が2つ。
そして、グランドを挟んだ先にタコの形をした滑り台、奥にはもう1面のグランドへ繋がる通路があり、赤煉瓦で舗装されている。
その道に沿って桜の木やケヤキやクスノキ。
他にもさまざまな草花が植えられており、季節によって色々な花々が咲く。
ちょうど今の季節は藤の花が咲いていて、周囲へほのかに甘く爽やかな香りが漂っていた。
ゴリラは、その匂いを鼻から吸い込みゆっくりと口から吐いて、カフェラテをベンチに置いた。
そして、立ち上がり大きな腕を空に向けて伸びをした。
「ウホー」
近くには誰もいない。
登下校の時間帯であれば、子供たちの姿やそれを見守る保護者たちの談笑する声が聞こえるのだが、この時間帯はあまり人影もなく、ただひたすら静かな時間が流れていた。
強いて言えば、忙しそうにしているのは道路を挟んだ住宅街にいる配達員の方だろう。
彼は流れていく雲を見終えるとカフェラテを手に取り、もう1口飲んだ。
「ウホゥ……」
ほっこりするその視線の先には、藤の花の香りに誘われたミツバチが数匹と黒揚羽蝶がひらひらと飛んでいる。
ゴリラはまた笑顔になっていた。
こんな風に予期せぬ休みを満喫している彼だが、初めは休む必要はないと考えていた。
それは彼がゴリラだからだ。
若い頃、いやもっと小さい頃などは何処かの山や川などで生活しており、1日の全てが人間で例えるところの労働に近い条件だった。
寧ろ自分という存在を脅かす外敵を警戒しないといけなかった分、人間社会で24時間労働するより過酷だったとも言える。
それなのに、なぜこの場所に彼がいるのかというと、会社の人事から放棄見込みになる有給休暇を計画的に使ってほしいと名指しで連絡がきた為だ。
ゴリラは、ぽかぽかとした陽の光を浴びて更にもう一口カフェラテを飲み、また空に浮かんでいる雲を見ていた。
「ウホゥ……」
もうすっかり休みモードだ。
今でこそ、休むことを受け入れてこんなゆったりとした感じだが、数日前までは体力に余裕のある自分が休んでしまうくらいなら、いつも頑張っている犬嶋犬太や部下達、今年度から晴れて経営側へとなった雉島千鳥課長代理に有給を取ってほしいと思っていた。
しかし、その事を人事課のとある女性社員へ伝えたところ見事に返されてしまったのだ。
☆☆☆
それはGW後、5月7日(水)――。
ゴリラは、オフィスの隣位置する2号棟の2階にある人事課のオフィスへと来ていた。
壁やテーブルは白で統一された1室。
床には紺色の絨毯が敷かれており、椅子などは黒色で揃えられている。
入口付近には、ホワイトボードが置かれていて、そこには健保の案内と労金の説明など貼り出されており、その横には無事故日数の表示されたモニターが設置されていた。
また、オフィス中央付近の壁には社内イベントが映し出された別のモニターも取り付けられている。
『いいですか? ゴリラさん、社内規定はちゃんと守って下さい』
そんなオフィスで、ゴリラを注意するのはダークブラウンの髪色にふんわりとしたボブヘア。
この会社の紺色と白色のカラーリングをした作業服を着ている女性社員。
彼女は148cmと小柄なのに彼に物怖じすることもなく、キリッとした瞳で見つめてハキハキと物を言っていた。
女性は山川すもも、28歳。
ゴリラが住まう地域の町内会長、山川桃子の孫だ。
『ウホウホ……?』
『だめです、平等です。全然平気とか関係ありません』
すすもは、首を横に振りながら淡々と事実を彼に述べていく。
その言葉を受けたゴリラは大きな体を小さく縮こませていた。
『ウホウホ……』
『その考えは立派です。仕事を放って休めない。その通りだと思いますし、お気持ちもわかります。ですが――』
それでも彼女は注意を止めなかった。
ゴリラの為に。
彼はゴリラの倫理感で行動する癖があり、それが時折社内規定すれすれの事もあったからだ。
例えば、自分の残業時間が申告していた時間よりオーバーしているというのに、体調の悪い部下の仕事を受け持ったり、体力に余裕があるとの理由から出張した翌日に早朝出勤をしたりなど。
どれも、一度なら問題はないのだが、優しいゴリラは1年間に何度も行っていた。
また、これが周囲に良くない影響を与えることも気にしていた。
だから、口を酸っぱくしてしつこく反省を促していたのだ。
『ウホ?』
『わかりませんか? 上司が休まないと部下は休みづらいんです』
『ウ、ウホ?! ウホ……?』
『そうです! ゴリラさんが休むことで職場の皆さんが休みを取りやすくなるのです』
『ウホウホ?』
『雉島課長代理ですか? もちろん! 雉島さんだって例外ではありませんよ?』
『ウホ?』
『そうですね……今のところゴリラさんの部下の皆さんには年休を放棄される方々がいませんので、わからないかも知れませんが、もし工程管理課の中の誰かが放棄してしまうとしましょう。それはすぐさま人事から工場長へ連絡が行き、それがトップダウンで雉島課長代理に指導が入ることになります』
『ウホ!?』
『そうです。ですから半休でも構いませんので、6月までにあと5日間取得して下さい』
『ウホウホ……』
『くれぐれもですよ?』
『ウホ……』
『あ、そうです! おばあちゃんが作り過ぎた梅干しをいるか聞いてほしいと言っていました。要りますか?』
『ウホウホ!!』
『あ、はい。わかりました。では伝えておきます』
――こうして、今の状況に至ったのだ。
「……ウホ」
ほっこりとしながら、すももとのやり取りを思い出していると、後ろから誰かに声を掛けられた。
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