第24話 出航

 演説を終えたバルクトライが頷くと艦長が叫ぶ。

「舫いを解け、碇を上げろ」

 曳き舟からオールが下ろされて一斉にこぎ始めた。

 ロープがピンと張り旗艦ベルヌーイはゆっくりと岸壁を離れる。

 帆が風を受けてはらみ速度をあげた。

 ギイッギイッと船体が軋む。


 部屋に戻ったバルクトライにショーティスは賞賛の視線を送った。

 日頃はぐうたらしており、威厳をあまり感じさせないものの、演説で船員や水兵の士気が上がっている。

 先の海戦での実績に裏打ちされた自信に自然と信頼が寄せられていた。

 この指揮官に任せておけば大丈夫。

 そんな尊敬の視線を集めている姿を見てますます憧憬の念を強くしている。


 その恋しい相手と同じ部屋で眠るということに知らず知らずのうちに笑みが広がっていた。

「閣下は凄いですね。みんなに信頼されていて。あんなにハッキリと俺に任せておけと言えるんですから」

「まあ、あれはああ言っただけで確たる根拠があるわけじゃない」

「そうなんですか?」


「自信過剰でも困るが、自分たちが勝てると思ってもいない相手には勝てないならな。長らくコールタス王国海軍にはやられっぱなしなわけで、その不安感を払拭してやらなければならない。ま、半分ははったりだな」

「いいんですか、そんなことを僕に聞かせて」

「まあ、近くで見ていればいずれは実態が分かるだろ?」


 板張りの床を踏む足音に続いてノックの音がする。

「イシュタルです。今よろしいですか?」

「あ、入ってくれ」

 大きな体の副官が入ってくると一気に部屋が狭くなった。


「イシュタル。どうした?」

「いえ、ちょっと様子を見にきたのと、出航直前に受け取った通信紙をお持ちしました」

 イシュタルはクルクルと巻かれた細長い紙を手渡す。

 それを広げたバルクトライは首を横に振った。

「なるほど。当然暗号だわな。さっぱり分からん。それで、中身は?」


 イシュタルはチラリとショーティスに視線を向ける。

 バルクトライは手を振った。

「船が出港したら連絡の取りようがない。聞かれたところで構わんよ」

「コールタス海軍は船団を2つに分けるようです。私掠船団がトールシラス沖で穀物輸送船を襲う手はずになっています。大砲18門の武装商船が8隻の構成」

「海軍本体は温存か。狙いは留守宅だな。旦那のいない間に夫人を狙う間男みたいな真似をしやがって」

 虫歯が痛むように顔をしかめる。


「その例えはどうかと思いますが、実態としてはそうですね。我々が輸送船を守るために総力を上げて出港したらエディンシアに攻撃を加える。出港しなければ穀物を楽に奪える」

 イシュタルも額に縦皺を刻んでいた。

「こちらも戦力を分ければ、こちらの数次第で対応を変えるつもりだな。居残りの数が5隻以下なら艦隊戦を挑む。同数なら向こうが有利だからな。最悪、穀物輸送船の方は火を放って燃やしちまってもいい」


 話を聞いているショーティスはやきもきする。

 かなり危機的な状況らしい。

 質問をしたいが嘴を挟むのもためらわれた。

 その様子に気付いたバルクトライがショーティスの頭に手を乗せる。

 くしゃくしゃと撫でまわすとニヤリと笑った。


「俺のことを心配してくれているんだな。まあ、そうだよな。この話を聞けば大ピンチに見えるだろうし」

「その様子からすると何か策があるんですね!」

 ショーティスは弾んだ声を出す。

 それから思案顔になった。

「でも、どうするんですか? 穀物も大切だし、エディンシアの町も守らなきゃならない。総力を上げて戦えばどちらか一方には勝てるけど、もう片方はやられちゃう。かと言ってこちらが分散すれば不利な戦いになる……。やっぱり不可能なんじゃ」


 バルクトライはますます得意そうな顔になる。

 それを見てイシュタルは白目を向けた。

「ショーティス相手にそんな功を誇った顔をしなくてもいいでしょう」

「イシュタルさんは閣下のお考えをご存じなんですか?」

 大柄な副官は肩をすくめる。


「この将軍様は私にも全貌を明らかにしないんだよ。有り難みが薄れるからって。本当に性格が悪いと思わないか?」

「いえ、閣下は素晴らしい方だと思いますが」

 真面目な顔でバルクトライを擁護するショーティスにイシュタルは手を振った。

「あ、今の発言は忘れてくれ。ショーティスの立場じゃ答えづらかったな。まあ、私が知っているのは全艦隊を率いて南西方向に出撃するだけだ。穀物を優先するように思えるが……」


 えへへ。

 バルクトライは一人で秘密を知っている者が見せる優越感に浸っていた。

「ショーティスくん。見ろよ、この顔。さすがに敬愛する上官でもどうかと思うだろ?」

 問いかけたイシュタルの思惑に反してショーティスは別の感想を抱いている。


 カワイイ。

 いい年のオジサンが子供のように悪巧みをして悦に入っている姿にキュンとしていた。

 日頃のだらしない姿と比べるとイキイキとしていて魅力的である。


 ショーティスの顔を覗き込んでいたイシュタルが怪訝そうな顔になった。

「そんな表情をする要素が今の話にあったか?」

 ショーティスは両手で顔をこする。

「失礼しました。お二人のやり取りを聞いているといつも通りなので嬉しくなっちゃって」


「な。こうやって日常を演出してみんなを安心させているのさ。本当は心配で心配で夜しか眠れない」

「今朝も朝寝坊しましたよね。早くしないと出港に間に合いませんよっていくら言っても起きなかったじゃないですか」

「そんなことはないぞ。胃もキリキリと痛むし、神経をやられそうだ」

 わざとらしく鳩尾の上に手のひらを当てて見せた。


「大丈夫ですか?」

 笑いをこらえながらショーティスは聞く。

「ということで頼みがある」

「なんでしょうか?」

「珈琲お替わり」

 胃が痛いんじゃないのかよ、というツッコミがないことにバルクトライは残念そうな顔をした。


 ***


 アーケア帝国艦隊が出港してから数日後、エディンシアから見える水平線にコールタス王国の艦隊が姿を現す。

 高い操船技術で1列を保ったままエディンシアへと近づいてきた。

 艦隊不在時に町を守る陸軍も出払っていて無防備である。

 少数の要塞守備兵は大砲を沖に向け固唾を飲んで待ち構えた。

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