第6話強敵

「フレムちゃん! 該当データにないコマンダーを1匹確認! クイーンよりも一周りくらい小さいけどそれでもでかい!」

『はあ!? どういうことよ! ってちょっと待って、クロード隊の方にも通常よりも大型のコマンダーが複数現れたって……』


 通信がコマンダーの突進に遮られた。音速に迫る勢いで振るわれる鋭利な爪を剣也とスーリは辛うじて躱し、銃撃と弓で反撃。しかし巨躯に見合った硬い外皮に全て遮られる。


「こっちは良いからクロード隊をお願い! 正直怖いけど1匹だけならなんとかなると思うから!」

『うっさいそんなこと分かってるわよ! でもクロード隊はアンタたちを挟んだ向こう側に展開してるのよ! 周りのザコを蹴散らしながらついでに助けてあげるから!』


 普段のおちゃらけた雰囲気をかなぐり捨て、差し迫った仲間危機を簡潔に伝える。だが。


 『ウソでしょっ、こっちにもでかいコマンダーが現れてる! それも3匹!』


 フレムからの報告は状況を打破できるかもしれない唯一の希望を経つには十分なものだった。

 同じ戦域に複数のコマンダー? それは剣也たちの常識を根本から覆すものだ。

 本来コマンダーはクイーンにとって切り札のような存在にして、次のリーダーの座を巡るライバル同士。内紛自体は起こさないが、進んで共闘することなどクイーンの命令なくしてありえない。

 しかもポークベリーを襲っている群れは近くのコロニーから来た進行部隊ですらない。なぜそこに複数の上位個体が現れているのか。

 絶望的な空気に構わずコマンダーが再び突撃をしてくるが、剣也はXM14Aを連射。だがスレイブを物言わぬ骸に変えてしまうはずのライフルを受けても速度が衰える気配はない。


『エロ男爵! アンタ分かってると思うけど、男なら死んでもスーリのこと守りなさい! そしてできるならクロード隊への救援も!』

「アロー2了解!」

「きゃっ」


 常人なら避けきれない突進攻撃、剣也は有無を言わさずにスーリの体を抱えてまた躱す。巨体に見合わないスピードだが、その分小回りが利かないのが幸いした。

 だがコマンダーはそれ読んでいた。地面に顔を突っ込んだままブンッと長い尻尾を振り回して己の背後を跳ぶ剣也を狙う。


「まずっ!」


 尻尾を利用するなんて想定外だった。判断を誤ったという後悔は、目前まで迫る尻尾が突然爆発したことで一瞬で思考から消えた。

 爆発の正体はスーリの矢だった。抱えられたまま弓を構え攻撃してくる尻尾を迎撃したのだ。


「スーリさんごめん、助かった」

「これで私の悲鳴を聞いたことをチャラにしてあげる。ほら着地したなら下ろす」


 ほんのりと顔を赤らめながらも腕の中から離れたスーリと一緒に距離をとって構える剣也。コマンダーは尻尾から黒煙を出しているが大したダメージを受けている様子はない。しかし予想外の反撃にあって怒り浸透なのか、人間にとって不愉快な音を口から流しながら威嚇を繰り返す。

 

「スーリさん、あれだよ。俺がワシントンやその周辺で遭遇するコマンダーは大体あの大きさなんだ」

「あれが!? 普通コマンダーはクイーンにならない限りは3mが上限のはずだよ」


 コマンダーは一部の優れたスレイブが長い期間を経て変異をする上位個体。これは剣也も現地に残されていた対策ファイルから知ってはいた。だが軍やオシリスが取った統計で平均的な大きさは3m前後。これ以上の巨体になるには自分の力で群れを率いるクイーンへと変異しない限り変異しない。

 

「ホワイトアントの急な活発化に、これまでの常識を覆す大型の上位個体。いよいよきな臭くなってきたねえ」

「これも、エコが原因なのかな?」

「少なくともフレムちゃんはそう考えちゃうだろうな。ホワイトアントが変異を起こしてるのはアメリカ大陸でしか確認されてないし、影響力が及んでもおかしくないからね」

(そんな、あの子が……)


 一瞬の油断が死に繋がる戦場で、僅かであるが物思いにふけてしまう。

 オシリスがエコを疑うのは当然の話。明らかに私情が混じってフレムだって、データという明確な数値を持って疑惑を強めていた。

 その上で剣也はエコを信じていた。ワシントンの町で死を待つだけだった自分を助けてくれた。彼女の都合だったとしても、あのときの優しさが、行動が、悲痛に見つめる顔が、実は自作自演によるものだとはどうしても思えなかった。

 だがその想いも、自分たちを襲う災厄を前に揺らいでしまう。信じれば信じるほど彼女がクロである状況証拠が積み重なっている。本来なら適正のないはずの自分がナノヒューマンになってしまったのも、それが関係しているのではないか。

 疑心暗鬼にかられている頭を、コツンと軽く叩かれる。軽い衝撃に意識が覚醒し、凛々しい笑顔で見つめるスーリを見る。


「ほらボサッとしない。色々考えたくなるのはわかるけど、今は目の前の敵に集中。エコちゃんの疑惑はこいつを倒してクロード隊を助けに行ってから考えれば良いんだから」


 いつもと変わらない人好きのするオーラで優しく諭してくれた。死ぬかもしれない中でも自分を見失わない意志の強さと他人を気遣う懐の広さに、彼女が大人の女性であると再認識した


「ごめん、そのとおりだ。まずはこいつをぶっ倒す」

「さっきは油断したけど、よく考えたらでかくなっただけでしょ。私1人なら危なかったけど、今は剣也君がいるしね」


 気を引き締めると、剣也は横へと大きくステップしながらXM14Aのトリガーを引く。パパパッという発射音とともに放たれる小口径弾は、アメリカ軍が採用しているライフルにも耐えうるレベル5のボディアーマーすら容易に貫いてしまうほどの初速を持つ。しかしそのすべてを表面の外皮によって防せがれてしまう。僅かな弾痕と緑色の血が体を彩るだけだ。


「クソ、やっぱり銃じゃ厳しいか!」


 シュミレーションで戦った通常のコマンダーとは比べ物にならない防御力だが、食らって気持ちのいいものではないようで、自身の攻撃に反応したコマンダーもまた回避行動を取すように走りながら尻尾を叩きつけてくる。無数の剣戟にも見える変幻自在の攻撃を剣也は身を翻すことで回避し、避けきれないものはサンダーボルトで受ける。ガキィンッという金属同士がぶつかる音が響く様は、さながら得物を切り結ぶ剣士のようだ。


「へいへい! 後ろがお留守だよ!」


 剣也の射線に気をつけながら放たれたスーリは爆発矢を射る。しかし爆風に反してその攻撃はコマンダーの表面を焼く程度で有効打になり得なかった。


「こんなもの、通常のコマンダーだって耐えるんだからお前に効果ないって分かってるっての。本命はこっち!」


 さらに2本の矢を同時に放つ。矢はスーリとコマンダーの中間点で爆ぜ、ワイヤーで編まれた網が展開。全身を覆い尽くされたコマンダーは動きを妨害されたことでその場で躓きながら転げ回る。

 通常のコマンダーならこれで10秒近くは拘束できる特製の網、しかし目の前のコマンダーはものの数秒で破り捨てた。


「力もクイーンレベルってわけね。どこ製のステロイド使ってるんだろ」


 立ち上がるタイミングでさらに一射。接触すると先端の矢が砕け、強烈な衝撃波を発生させる。推定10t以上の重量があるだろうコマンダー相手にはのけぞらせるのが精一杯だが、時間稼ぎとしては十分だった。


「遅いっ!」


 よろける体躯に向かって剣也が銃を撃ちながら近づく。足元へと近づき、体全体をバネにして跳躍、勢いのままサンダーボルトで胴体を切り裂く。


(浅い、けどダメージを与えられた!)


 アサルトライフルを受けたときとは比べ物にならない鮮血が噴水のように降り注ぎ、悲鳴に近い雄叫びが木霊する。迎撃に襲ってくる尻尾を空中で弾きながら距離を取り、体制を整える。

 通常のマチェーテなら肉厚な外皮に阻まれ、逆に折れてしまうところを、電流を流し切れ味を増したサンダーボルトなら確かなダメージを与えてくれる。通常とは比べ物にならないとはいえ、無敵ではないことを教えてくれた。


「ナイスだよ剣也君! 体の継ぎ目を狙うなんて器用だね!」

「エコがナイフでこいつを倒すところを見てたから何となくいけると思ったんだ」


 初めてエコと出会ったときのことを思い出す。竜巻となった水流で大群をなぎ倒す圧倒的なセイヴィアの力は確かに強烈な印象を受けたが、それは剣技に関しても同じだった。

 強靭な外骨格を持つホワイトアントだが、体内を満遍なく守っているわけではない。柔軟な可動域を両立している以上、どうしても隙間が存在するのだ。一瞬の判断力と精密さ、武器の耐久性、何よりもクマよりも恐ろしいクリーチャーを相手に接近戦を挑む胆力があって初めて成し遂げられる偉業だ。

 力強くスレイブを切り裂く乱暴な戦い方。薄れゆく意識の中で確かに記憶していたからこそ真似できたのだ。


「なるほど、エコちゃんのおかげか」

「ここでもあの子に助けられた。ほんと何から何まで感謝しかないよ」

「なんかノロケ話を聞かされてる気分だねえ、こりゃ代表ちゃんが気の毒だ」


 他愛ない話の間にもコマンダーの攻撃は止むことを知らないが、怒りに我を忘れて単調になっている。スーリが煽るようにベロを出しながら剣也が付けた傷口に向かって爆発矢3本を射る。3本の矢は傷口に深々と刺さると体内から強烈な炸裂光が溢れ、爆炎に飲まれる。


「よおし! 思ったとおり切り傷になら私の矢も通る! これぞ剣也君との愛のコンビネーション! 私たちってこういうところも相性いいみたいだね」

「あの、そういうことはあんまり言ってほしくないと言うか。スーリさんみたいな美人に言われると俺も本気になるかもしれないから」

 

 冗談で口にしているのはわかっている。いちいち軽口を本気にするほど剣也も子供ではないし、一週間程度の交流で彼女の人となりは理解しているつもりだ。

 しかしそこは男の悲しい性というものがある。年上と言っても彼女のような美女に求愛じみたアプローチを繰り返されるのは体によろしくない。


「あっはは、受け流せないところも可愛いんだから。そりゃ代表ちゃんも惚れるわけだ、よっと!」


 爆煙から飛び出す尻尾を空中に跳んで軽く回避する剣也とスーリ。今の攻撃を受けて未だに衰えないとは、体格だけでなくタフさも通常種とは比べ物にならないらしい。


「ほんととんでもない化物だね。あれだけ食らってもまだ動けるんだ」

「クソ、こんなのをフレムは3匹も相手にしてるんだぞ、早く助けに行かなきゃ」

「それなら心配いらないよ。あの子ならこんなやつに遅れを取るなんて絶対にないから」


 盲信ではなく、心から信頼しているからこそ出る評価だということが態度から判断できた。まだ未熟とはいえナノヒューマンである剣也を持ってしても倒しきれないという事実を加味しても、フレムなら大丈夫と断言する姿には、自然と説得力のようなものがあった。


「とは言え万が一ってこともあるしね。さっさとぶっ倒して合流してポークベリーに進まないと」


 同意して剣也は突っ込む。もはや尻尾の軌道は把握している。一度サンダーボルトによる斬撃を狙うが、さすがにコマンダーも何度も接近を許してはくれないようで、絶対に近づかせまいと。精密な刺突を繰り返す。


(ここで守りに入るなんて厄介だな。この分だとまだまだ死にそうにない)


 爆発矢で広がった傷口にXM14Aの弾丸を叩き込むが、そこが自身にとってのアキレス腱であると理解しているコマンダーは傷口を手で覆うように隠すことで攻撃を防いでいる。

 いくら致命傷を与えているとは言え、持久戦に持ち込まれれば所詮人間に過ぎない自分たちが先にバテるのは目に見えてる。


「往生際が悪いぞっと!」


 スーリが周囲を回りながらネット矢を射る。しかし弓矢の特製を把握したコマンダーはネットを避けられ、通常の矢は直撃の寸前で手で払いのけられる。


「ようやく学習したか、治安関係なく路上で爆睡する酔っぱらいより賢いぞ」


 続けざまに放たれる一射。コマンダーは右腕で払った瞬間、右腕は粘着質のガムのようなもので包まれる。


「残念、粘着矢なのだ」


 ここにきてまったく新しい攻撃に晒され一瞬動揺するコマンダー。もちろん、それを指を加えて待つことなんてしない。剣也は近づきながら自分を狙う尻尾をサンダーボルトで文字通り釘付けにする。息がかかる距離まで近づき、コマンダーは残った左腕で剣也を屠ろうとするが。


「惜しかったな」


 XM14Aの銃口を傷口に押し付け、トリガーを引いた。

 バババババッ!

 高速で放たれる5.56mmのゼロ距離射撃。閃光が発生する度に雄叫びが耳をつんざく。肉を焦がす不愉快な臭いに耐えつつ、60発すべて撃ち切った頃には。5mの巨体は動きを停止し、そのまま仰向けに倒れ伏し、ついに動かなくなった。


「ふうっ」


 距離を取り、物言わぬ骸になったことを確認すると、剣也はその場で座り込み、体中の空気を吐き出す。


「ちょっと大丈夫剣也君?」

「平気、と言いたいところだけど、今更になって腰が抜けた……」


 顔中から今更になって汗を吹き出しながら乾いた笑いを浮かべる姿があまりの間抜けな姿だったのだろう。それに釣られてスーリも大きく口を開けながら高笑いをする。


「まったく、戦ってる最中はあんなにカッコ良かったのに、締まらないなあ」

「無茶言わないでよ。一週間前までスレイブ相手に逃げるしかできなかったんだから」

「それもそうか、もう一緒にいるのが当たり前に思うくらいに馴染んでたから勘違いしちゃったよ」


 おかしすぎて流れる涙を拭ったスーリは、すぐにいつもの人好きのする顔になり、いつまでも尻餅をつく剣也に右手を差し出す 


「大手柄だぞ新人君。初任務で特殊なコマンダーを倒しすなんて大した戦果だ」

「倒したなんて、スーリさんがずっとフォローしてくれたからできたんだよ」


 自惚れるつもりも、過剰な謙遜もするつもりはない。

 この化物にとどめを刺せたのは的確にサポートをしてくれた彼女の力があってこそだ。たかが弓と侮り、守ってやらねばと傲慢なことを考えていた以前までの自分を恥じりながらも、今はその彼女からの称賛が心地よい。

 だがいつまでもここでのんびりしているわけにはいかない。こうしてる間にも複数のコマンダーと戦闘を繰り広げているクロード隊の援護に向かわなければ。彼らはオシリスの有する歩兵部隊の中でも屈指の精鋭だが、対戦車火器を持たない状態でこの上位個体を相手にいつまでも無事でいられるわけがいのだから。

 差し出された手を掴み。力を込めて立ち上がる。スーツ越しに伝わるスーリの柔らかく触り心地の良い手のひらの感触を堪能しつつ、未だふらつく体に活を入れていく。


「急いでクロード隊のところに行こう。無線機から応答はないけどあの人たちなら倒せなくても絶対に生き残って……」


 パキッ。


 プラスチックの板が割れるような音が背中から聞こえた。何だ、と怪訝になる剣也は、にあらぬ方向を見て引きつった表情のスーリに体を強く引っ張られる。


「あぶないっ!」


 疲労で未だ言うことを聞かない体は投げ飛ばされると、さっきまで剣也のいた場所に黒く細長いものが通過し。


「っが!」


 頑丈なスーツにに守られているはずのスーリの左横腹を貫いていた。


「スーリさん!!」


 ブシュッ。


 それは尻尾だった。ホワイトアントすべてに共通する長い尻尾は、スーリの体から引き抜かれる。軌跡を目で追うと、その先にはカタカタと仰向けになった体を震わせながらブリッジをするコマンダーの姿だった。


「んな」


 口と腹部から絶え間なく流血するスーリの体を支えながら剣也は絶望する。


(何でだよ、何で生きてるんだよ!?)


 アイツは間違いなく絶命した。サンダーボルトで胴体に切れ込みを入れ、スーリが爆発矢で内部から破壊し、XM14Aを1マガジン分ぶちこんだ。それだけの連続攻撃を食らって生きているはずがない。

 だが現にコマンダーはまだ生きている。歪な体勢で満足な姿勢を取れなくなっても。未だ攻撃手段を残している。

 どうして、という疑問は、音速を超える尻尾からの攻撃によって遮られた。サンダーボルトで弾きながらスーリの体を抱えて剣也は走る。コマンダーはブリッジの体勢のまま後を追い、さらに尻尾で追撃を繰り返す。


「あっちゃー、またお姫様抱っこされちゃったよ。こう何度も年下に良いようにされるのは恥ずかしいなあ」

「言ってる場合じゃないだろ!」


 疲労が蓄積した体でこれ以上の攻撃を弾くのは限界だった。かと言って逃げ切れる体力もない。


「剣也君、耳塞いで」


 今にも死にそうな声でそう言ったスーリは剣也の肩越しに弓をつがえ、コマンダー目掛けて矢を放つ。

 キイイイインッ!!

 鼓膜を破る勢いで甲高い音が矢から発生する。間近に食らったコマンダーは混乱して苦痛にのたうち回る。

 今のうちだ。足の痛みを無視して走り抜ける。と大型のトラックが出入りできるほどの巨大な倉庫を見つけた。中に入り、扉を無理やり締めると、部屋の隅にスーリを優しく置く。


「っ!?」


 改めて見る腹部はひどい有様だ。傷口がまるでヤスリで削られたように抉れていて、そこから今も血が滲み続けている。


「スーリさん、ちょっと痛むかも」


 剣也は携帯ポシェットから手のひらサイズのスプレー缶を取り出し、傷口に吹きかける。レモンのセイヴィアによって生み出された植物から治癒成分を抽出して作られた治癒スプレーだ。


「~っ!! ちょっと、先に麻酔用のナノマシンを注射してよ」

「一刻を争うんだ。我慢して」


 噴射された薬液が泡のようになって覆っているのを確認し、上から包帯を巻く。本当ならブレイヴスーツを脱がさないといけないが、そこまでする時間はない。

 

「よし、これで急場はしのげた」


 品質の良い治癒スプレーに清潔な包帯、何よりも講習で受けた適切な治療手順のたまものだ。アメリカ軍がワシントンから撤退するときに忘れた教本を独学で学んでいたランナー時代だったらどうなっていたかと思うと途端に身震いする。行き届いた教育は自分だけでなく他人も救うのだと改めて思い知らされた。


「ちゃんと教わったとおりできたね。これならフレムちゃんも褒めてくれるよ」


 痛みが引いたのか、スーリは生気を取り戻した声で優しく語りかける。しかし額に滲む。大粒の汗と短時間に血を流しすぎたせいで変色した唇が症状の辛さを物語っている。


「……褒められる資格なんてないよ。俺が油断したせいでスーリさんにこんな怪我をさせちゃって」


 悔しさから地面を強く殴りつける。ブレイヴスーツ越しに伝わる鈍い痛みは、そうでもしないと自分を許せない感情の前では毛ほどにも感じない。

 あのとき、確認を徹底すべきだった。元々通常とは異なる大型のコマンダーで、その性能もあきらかに異なるのは戦っていてわかってたはずだった。なのに倒れ伏したとき、動かないと勝手に決めつけて気持ちが緩んだせいでスーリを危険な目に合わせてしまった。いくらエージェントとはいえスーリはただの人間、ナノヒューマンである自分が体を張って守らなければいけないとわかっていたはずなのに。


「ったく、いくら強くてもやっぱり子供だなあ、こんなことでいちいち泣きそうな顔するなんて恥ずかしいぞ」

「責任を感じてるんだよ、だって俺を助けるためにこんな傷を」

「私と君はチームだろ? チームは仲間の危機には迷いなく助けるためにあるんだよ。そこにはただの人間もナノヒューマンも関係ない。大体君がいなかったら私は1人であの化物と戦わないといけなかったわけで、それ絶対殺されてたって。だから怪我を負うだけで済んだのは間違いなく剣也君のおかげだよ」


 頭に受ける優しい圧迫感。スーツ越しに伝わるスーリの柔らかい手が頭皮に沿って撫でる。痛みで引きつった笑顔を作りながら余裕を装う姿に、剣也は心を打たれる。

 状況を考えずに勝手に落ち込んでたことが恥ずかしい。やるべきことがあるのに忘れていた自分を心の中で殴りつけ、決意を新たにする。

 すると、ズシンという思い足音が近づいてきた。さっきのコマンダーが回復してここまで近づいてきたようだ。連中がどのようにして外の情報を拾っているのかは細かい部分は不明だが、少なくとも五感は存在するのだけは確からしい。スーリの流した血の跡と匂いを追われたかもしれない。


「剣也君、わかってると思うけど私たちにはクロード隊を救出する使命がある。こんなところでいつまでも足止めを食らってる場合じゃない。だから」


 鋭い眼光で睨みつけぎゅっと手元のコンパウンドボウを握りしめる。


「私がここでやつを足止めする。動けなくても弓自体は使えるから多少は時間を稼げるから、君はその間に」

「無茶言わないでよ」


 剣也は立ち上がり、今の自分の状態を確認する。致命傷はないが細かい切り傷だらけ、ここまでスーリを背負って走って疲労困憊で足元がおぼつかない。

 このざまで救援に行ったところでスーリを置いていったことを責められるだけだ。


「クロード隊から連絡はないけど、あの人たちもオシリスの精鋭なら持ちこたえられるはず。なら優先すべきは怪我をしたスーリさんだ」

「ちょっと、まさかここで戦うつもり? 君だってボロボロなんだよ。ナノヒューマンじゃない私のために危険を侵すなんて間違ってる」

「バンデットが同じ状況になってたら俺だって見殺しにするよ」


 XM14Aの動作チェック。マガジンはまだ十分ある。


「でもスーリさんはオシリスの、レモンちゃんやフレムにとって。そして何よりも俺にとっても大事な人なんだ。能力で優先順位を付けるならみんなを纏める貴女は何よりも優先されるはずだ」


 まだ入隊して一週間しか経っていない新米が何を偉そうなことを言っているのかと思うところはある。

 だけどその一週間で剣也の世界は変わった。行動の幅が増え、戦闘の幅が増え、人を救う選択肢の幅が増えた。オシリスに迎え入れてくれたレモン、何だかんだ言いつつ訓練に付き合ってくれるフレム、親身になって世話をしてくれるスーリ。

 何よりもここに至る道筋を示してくれたエコに胸を張って再会するためにも。ここで見捨てる選択肢だけは絶対に取れない。


「……」


 スーリは黙ったままだった。臭いことを言っているが、もしかしてバカにされているのかと心配してチラリと伺うと、そこにはほんのりと朱色に染まった顔で俯いたままという、いつもの彼女らしくない反応だった。


「剣也君、ちょっと手を貸して」


 ちょいちょい、と手招きをされ、何なんだと疑問を浮かべつつ右手を差し出すと、突然ガッと手首を掴まれ。


 ぐにゅ。


 自分の胸に剣也の手のひらを押し付けた。


「ぬお!?」


 同じ巨乳でもスライムのようにどこまでも沈んでいくレモンのそれとは対極、押し込もうとする指を弾き返す幸せな弾力が右手いっぱいに広がって幸福に満たされていた。


「きゃー! 嫁入り前なのに一周りも年下の男の子に乱暴されちゃったー!」


 棒読みと小声で誤解を招く発言をするスーリに。剣也は余計に慌てた。


「んな! 何を言ってるんだ! そっちが勝手に!」

「私は押し付けただけで、好き勝手に揉みしだいたのは君の意思でしょ? それにしても揉んでるときの顔えげつなかったよ。きっと代表ちゃんに頬ずりしてるときも同じ顔だったんあろうなあ、そりゃフレムちゃんも敵意抱くわ」


 自分勝手極まりない。確かに感触を味わおうと優しく揉みしだいたのは事実だがそれは無意識の行動だ。異性に関心がないことがほとんどなバンデットならともかくレモンクラスのおっぱいに触れて喜ばない男は男ではない。それを無視して責任を押し付けられては溜まったものではない。


「お姉さんの体を好き勝手に触ったんだから、君には責任が発生したね」


 紅潮した頬で言ってのけるスーリは、白い歯を見せつけるように語りかける。


「え、それってどういう」

「解釈はご自由に。少なくとも私は胸を揉みしだかれたまま死ぬなんてまっぴらだから、責任とって守ってね」

「……と、年上も全然ありだけど、その、俺はまだ誰かが好きとか世帯を持つってのは考えたこと無くて」

「こ、こら話を飛躍させるな! 代表ちゃんにチクるぞ!」


 ヤンヤヤンヤと言い争っていると、鉄製の扉が吹き飛ばされ、胸部に大きな傷が痛々しく残っているコマンダーが顔を出す。さっきまでとはあきらかに造形が変化しており、頭部は植物のツタのようなものが幾重にも絡まり、指のなくなった両手は棍棒のような鈍器へと変化している。


「来ちゃったね、しかも妙な変異をしてる」

「やっぱり、ただデカいだけのコマンダーってわけじゃないのかな」


 ここまでくれば鈍い剣也にも理解できた。この個体、いや今このポークベリーに現れているすべてのコマンダーは明らかに普通ではない。そして恐らくワシントンで出会ったときのあの個体も。


「これは絶対に報告しないといけないね。ちゃっちゃと倒してクロード隊助けて、ポークベリーに向かうよ」


 座り込みながら矢をつがえるスーリに合わせて、剣也も銃口を向ける。


「まったく、年下にときめくなんてらしくないな。代表ちゃんにはライバルになってごめんって謝らないと」

「え、今なんて」


 小声で何かを呟いたスーリに聞き返そうとしたその瞬間。


「貫け、カリブデス」


 聞き覚えのある声が聞こえ、変異したコマンダーは、『横向きの渦』のようなものを背後から受け、胴体を貫かれた。


「なっ!?」


 渦はそのまま剣也とスーリの横を凄まじい風圧と水滴をぶつけながら通過し、倉庫の壁に人が1人通り抜けられるような穴を作り上げる。


(この攻撃、まさか!?)


 範囲は小さいが、水をまとった渦のような攻撃、何よりもあの凛とした意志の強い声。間違えるはずがない。

 上半身と下半身が泣き別れになり、今度こそ絶命したコマンダーの先に、彼女はいた。

 男性に比肩する長身に、丈が短くスカートのように広がっているキュロットパンツ、上から羽織るグレーの外套、精霊を思わせほど可憐な水色のロングをなびかせた猛禽類の如き眼光。

 何よりも健全な男性を魅了して止まない圧倒的な爆乳を無理やり抑えつけてるせいでピチピチになっているへそ出しのレザースーツ。


「エコ……」


 剣也がもう一度会いたくて止まなかった絶世の美女、エコ・ローズの姿は、一週間前と変わらない出で立ちで再び姿を表した。


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