side12-2 氷邑の花嫁

「これで大丈夫です」


 少女が額に汗を浮かべて「ふぅ」と息をつくころ、トモリの身を覆っていた牡蠣どもはすっかり除去されていた。

 だが少女はその牡蠣どもをあろうことか、持ち運んでいた木箱に入れてしまっている。……その木箱、蓋が閉じられているとはいえすぐそこにあるので、銀雪としては、今すぐ叩き斬りたい衝動を抑え込むのが大変だった。


「存在が『海』に変えられてもいないようですし、きちんと療養すればあとはよくな──げほっ、げほっ」

「……大丈夫、ですか?」


 銀雪から見て少女は同い年かやや年上という様子である。

 しかもトモリの恩人であるから、自然と接し方は丁寧になった。


「……失礼。生まれつき体が弱いもので。うつるような病ではないと、曲直瀬まなせ様には言われておりますので、そこは、ご安心を」

「いえ、そのようなことは心配しておりませぬ。……申し訳ない」


 その謝罪は、自分が無力で助けを求めるばかりで申し訳ない、という意味であり……


 自分とトモリを助けてくれた少女が、歩くのも大変そうなふらつき方をしているのに。

 ……触れたら壊してしまいそうだから、その身を支えることもできない。それが申し訳ないという意味でもあった。


「あの」


 少女が遠慮がちに何かをたずねようとする。

 銀雪は自分の態度や見た目、神威に威圧感があるのをわかっていたから、つとめて威圧感を減じるように微笑み、「なんでしょう」とたずねた。

 ……その時に少しだけ顔を伏せたのは、威圧感を抑え込もうとしたばかりではなく、この白皙はくせきの少女の、真っ白いまつげの長さに目を奪われてしまったことを悟られたくなかったから、というのもある。


「氷邑様……ですよね?」

「……はい」


 銀髪碧眼でこの山の中にいるのだ。氷邑家縁者だというのは、このあたりに住まう者であれば、誰でもわかる。


 しかし銀雪は、自分が氷邑の子であることを知られたのが奇妙に気まずく、それ以上言葉を継げなかった。


 白い少女は──


「申し遅れました。わたくし、椿という者でございます。曲直瀬様に連れられ療養のかたわら、こうしてお手伝いをさせていただいている者です」


 領民が領主氷邑の縁者に対して向けるには、当たり前の礼儀であった。

 だが銀雪はこの時にしらしめられた椿と自分との立場、あるいは心の距離に、ひどく寂しい気持ちを抱いた。


「氷邑のお山に曲直瀬先生の求めるお薬の原料があるやもということで、ご領主様に許可をいただき、入らせていただいております。よもやその、縁者のお方がいらっしゃるとは思わず、お目汚しを……」

「あなたがいなければトモリは助からなかった。……僕一人ではどうしたらいいか、わからなかったんだ。本当に感謝している」

「もったいないお言葉です。……っ、ふぅ……」

「失礼。引き留めてしまった。……お体が大変なのだろう? できれば支えてあげたいのだが、僕は……その、昔から力の加減が苦手で、うっかり触れてはあなたを……だから、本当に申し訳ない」

「……いえ。そのようなお気遣いは、もったいのうございます」

「必ずお礼を差し上げる。……まだ、曲直瀬先生はこのあたりにいるのか?」


 曲直瀬という名の医者はこの当時すでに有名であった。

 高速、かつ精妙、かつ車内のものをまったく揺らさない騎兵車を操る騎兵であり、医術の達人でもある。

 主に峠を巡って人里離れたところにいる病人の面倒を見る活動をしており、全国行脚をする医者にして峠走りの達人としてよく知られていた。


「どうでしょう、わたくしの口からは……患者がいればすぐに駆けてしまうお方ですので」

「そうか……だが、お礼は必ず差し上げる」

「お気になさらず。人命は何より優先されるべきものと先生もおっしゃっておいでです。それに……このたび獲得した『海』は、わたくしの治療にも必要なものですので」

「…………まさか、食べるのか?」

「いえ、さすがに……違うような気がしますが……わたくしの口からはなんとも。必要だという話は理解しておりますが、専門的なことまでは──っ、く」

「本当にすまない、長々と。……支えることはできないが、送ることはさせてほしい」

「…………わかりました」


 その承諾は、氷邑家縁者であることが明らかな銀雪の提案を断るのが無礼かどうかを考えた間であったのか……

 あるいは、氷邑家の山中にしかばねをさらすことを本気で危惧したのか。

 この当時の椿の状況では、どちらも検討していそうではあった。


「では、よろしくお願いいたします。こちらです、その……」

「……椿さん。僕も名乗りたい。ただ……名乗っても、どうか、せめて今ぐらいの付き合い方をしてほしい」

「いえしかし、それは」


 名乗りというのは重要な儀式だ。

 古い価値観では、高貴な者の名を、高貴ならぬ者が聞くこと、それだけでもたいそうな無礼だと言われた。


 また、銀雪は氷邑家後継者であるので、その名を知った者は、相応の扱いをしなければならなくなる。

 氷邑家縁者と本家後継者とはまたランクが違う相手であり、これまでの椿の言動は、縁者にするならばいいが、後継者相手だとすると無礼にあたるものがいくつかあった。

 だから銀雪は名乗りに慎重になっていた。


「僕は恩人に儀礼を気にされたくはない。どうだろう。互いの名を交換させてはくれないだろうか」


 椿は悩む素振りだったが、結局、折れた。


 こうして銀雪と椿は互いの名を知ることになる。



 椿との関係性が続き、銀雪・トモリの『息抜き』には、『椿の薬の材料探し』という目標が加わるようになっていた。

 曲直瀬という医者はしばらくこのあたりにいるようで、それに世話になっている椿もまた、同じようにしばらくとどまるらしかった。


「椿お姉さま!」


 と、トモリが呼ぶのを、椿は最初、恐縮しきってやめさせようとしていた。

 何せ銀雪とトモリの家柄は椿にも理解が及ぶところであり、帝の配下の御三家、しかもその後継者と、その奥方候補である。平民身分の者が『お姉さま』などと呼ばれては、いろいろのだろう。


 だがしかしトモリは人の話を聞く性格ではなかった。

 そもそも、トモリが椿を『お姉さま』と呼ぶに至った経緯は、命の恩人であると知ったこと、そうして付き合ううちに、その聡明なこと、控えめで美しい──容姿はもちろんだが、生き様とか、意思とかが美しいことに憧れてのことであった。


 また、銀雪の前では『山猿』だが、頭も悪い方ではない。人前では『それなり』にすることができるし、軽々に椿とどういう付き合いをしているかを人に漏らさない聡明さもある。


 かくして強引なトモリに椿が折れるのにほとんど乗っかるようにして、銀雪も椿から『同年代の友人のような気やすい付き合い』を実行させるに至る。


 三人がそうして一年もともに過ごした。

 だが、椿の薬に必要な材料というのは、見つからなかった。


「……わたくしの親の片方というのが、『海』の関係者であったそうなのです」


 椿との会話で出てくる『海』というのは、氷邑領の南にある、自然の海のことではない。

 特に椿の体調に関係する話題で出てくる『海』とは、海異──すなわち、クサナギ大陸に複数訪れる、この大陸・この世界を支配せんとする勢力の一つ。異海に棲まう神性のことを指した。


 銀雪はこの『海』について聞いたことはあったが、詳しくは知らなかった。

 椿とこうして山を巡るうちに調べ、ずいぶんと知識を蓄えたが……


 かの高名な曲直瀬医師さえも見つけられない、『椿を寛解かんかいさせる方法』は、やはり見つけられなかった。


「それで曲直瀬先生は『海』にかんする情報を集めてくださっていらっしゃるのですが、どうにもあまりかんばしくなく、わたくしの故郷の方へと発つことになりそうなのです」


「つまりお姉さまも行ってしまわれるの!?」


 トモリが大声で騒ぎ立てる。

 そこで話を静かに聞いていた銀雪は、口を開いた。

 彼の脳裏にあるものは、あの日、椿に救われたことを報告した際に、父から聞いた話だった。


「故郷の方へ行っても、大丈夫なのかな」

「……」

「君は西の大国毛利家の血筋だと聞いている」


 毛利家というのは超級巫女国家であり、厳しい砂漠の中にあるために全員が精強な剣士であると言われている地だ。

 基本的には砂賊および、氾濫スタンピードの主人が封じられている死国と狭い海を挟んですぐ隣にあるために出現する『異界門』への対応に追われている。しかしその力がもしも他の領地に向けば、帝と御三家を合わせてさえ勝てるかどうか怪しいとも言われるほどであった。


 名門中の名門である。

 しかし……


「君は、毛利家から絶縁されているね。……自分を絶縁した地に戻って、平気なのかい?」


 絶縁というのはただごとではない。

 特にある程度の地域を支配する大大名家から発せられる『絶縁』は、『我らが支配する地域に一歩たりとも踏み込むことを許さぬ』というぐらいのものだ。

 そういう土地に戻って無事に済むとは思えない。


 しかし、


「大丈夫です。わたくしの病の治療なのですから、わたくしが行かぬわけにはまいりません」


 ……こうなのだ。

 椿というのは、こういう少女なのだ。


 この白皙の美少女は、強い。

 腕力では剣士である銀雪やトモリに遠く及ばないだろう。

 だが、強い。自らが重い病を抱えているにもかかわらず、苦しむ他者を救うのに迷いがない。銀雪より一つ年上であるというだけのはずなのに、しっかりと将来を──病によって苦しみ続ける将来ではなく、病と向き合いながらも、他者に利する何かをしようという将来を見据え、勉強し、活動している。

 曲直瀬医師のもとに長く世話になっていた経験が、彼女に医師の道を志させている様子で、その知識、その技術は、彼女の体調を思えば、起きていられる時間のすべてを費やして勉学にいそしみ、技術を身に着けているのではないかと、そうとしか思えない様子だった。


 確固たる歩みを続けられる強さを持つ人。


 銀雪から見た椿はそういう人物だ。


 ……だから、これでは、ダメなのは、わかっていた。

『戻ると大変そうだね』という、弱腰ではダメなのだ。


 もっと、きちんと、はっきりと、伝えなければならないのだ。


「椿」

「……はい」

「僕は、君に残ってほしい」

「……」

「ずっと、そばにいて欲しい」

「それは、」

「結婚を申し込んでいる」


 十一歳の少年。

 とはいえ、名門の後継として今から将来を望まれる銀雪である。その言葉の意味がわからぬわけではない。


 だが、ここしかなかった。これしかなかった。

 もしも半端な覚悟で、半端な言葉で引き留めようとすれば、椿は迷いなく行ってしまう。

 だって彼女は──


「君には伴侶は必要ないかもしれない。君は、強い人だから。けれど、僕には君が必要なんだ。僕は、弱いから」

「そんなことは」

「力──腕力のことかな。……確かに強いだろう。父上にも、よく褒めていただいている。けれどね、僕は、弱い」


 トモリが死の危機に瀕している時、何もできなかった。


 銀雪はその時の衝撃で思い知ったことがある。


『強さ』は多様だ。


 大名家においてもてはやされるのは剣士としての強さ。腕力の強さだ。いざ戦争でも始まれば、最前線に出て敵を蹴散らす、そういう強さだ。

 だが『強さ』とはそれだけではない。……いや。一種類の強さだけをもてはやせば、その『強さ』で対応できない時が必ず来る。銀雪が氷邑家始まって以来とさえ言われるほどの『強さ』でトモリを救えなかったように。


「弱い僕には、強い君が必要だ。どうか、僕と結婚してくれないか。君の病気についても、氷邑家のすべてを使って、必ず治す。だから」

「銀雪様」


 ……一年も付き合いがあると、ただ名前を呼ばれただけでもこれから来るものがわかるようになる。

 お説教が始まる、そういう気配を漂わせて、椿は声を発した。


「できることと、できないことは、きちんと、理解してから、口に出しましょうね?」

「…………でも」

「『でも』じゃありません。曲直瀬先生は立派なお医者様です。そのお医者様がいまだ成せないことを、『必ず治す』だなんて、そんなふうに語ってはいけませんよ」


 椿は曲直瀬医師のことを親のように慕っている。

 なおこの当時の曲直瀬医師はまだ二十代であるので、『さすがにお前のような大きな娘はいない』と父親扱いされるたびに困り果てていた。


「できない約束はしてはいけません。気休めは、残酷なのですよ」

「……すまなかった」

「……それに、無理なことを願ってはいけません。あなたは氷邑家の後継者で、わたくしは、ただの平民なのですから」


 確かに毛利の血筋らしいけれど、現在の椿はあくまでも平民だ。

 身分差のある結婚というのはよく物語の題材にされることもある。しかし、実際には叶わないから物語になるのだ。


「それに、トモリさんのことはどうするんですか」

「側室に迎えるが……」

「……そういえば大名様はそうでしたね。いえそういう問題ではなく、」


「お姉さまなら歓迎ですわ!」


「……」


 そこで椿は頭を抱えてしまった。

 この白皙の美少女が頭を抱えるという動作をすると、彼女が病弱なだけあってたいそう心配になる。

 しかし、椿は頭を抱えたまま、うめくように声を発した。


「……どうして」

「椿?」

「どうして、断る理由を残してくれないの」

「……」

「銀雪様」

「なんだろう」

「……トモリさんを側室にするのは、無理ですよ」

「無理ではない。……先ほどは勢い込んでできない約束をしてしまったが、これでも僕は、君に語る言葉が嘘にならないよう特に気を付けているつもりだ。無理ではない。『限りなく不可能』でもない」

「……」

「毛利家に君を戻し、そこから僕が君を妻に迎える」

「それは、」

「無理ではない。そのために僕は、帝に綸言りんげんをいただく計画も立てている」


 綸言──すなわち、『帝のお言葉』。


 毛利家は強大とはいえ、クサナギ大陸にいる大名の一人。

 形式的には、帝という『王』に仕える、『貴族』の一人である。


 その帝から『絶縁した者を家に戻せ』と言われたならば、逆らい難い。

 帝に反旗を翻すコストと、絶縁した者を戻すコスト。どう考えても釣り合わない。絶縁者を戻した方が話が早い。


「前代未聞です」

「『過去に誰がやっていたか』に興味などない。僕は……」


 それは、銀雪が長じるにつれ、『いずれ、そうなるだろう』と多くの人々に言われていることであった。

 だが、銀雪は己の弱さを知っている。愛しいものに触れることさえためらうような、この力を知っている。この力のせいで守れないものがあるのを知っている。

 ……それでも、彼女の前でなら、言える。

 だって、


「僕は、この大陸で最強だ。最強の剣士に不可能なんか、ない」


 好きな子の前では、格好ぐらい、つけたくなるものだから。


「絶縁者を家に戻すこと、そのために綸言をいただくこと。確かに前代未聞だろう。……でも、それは、今までの剣士が、大名が出来なかったというだけのこと。僕なら、できる」

「……どうやって」

北条ほうじょうが相手にしている巨人ども、僕が根切りにする」

「……」

「そうすれば褒章は思いのままだ」


 銀雪。

 銀髪碧眼の美少年。

 この当時はまだ、背も低い、女の子のような見た目の男の子である。


 その男の子にこれだけ熱い気持ちを向けられれば、さすがに、まったく眼中にもないということは、ありえなかった。

 ……もちろんそれは、この一年で築き上げた関係性が前提だけれど。


 椿は、ため息をついた。


「離れればきっと、『いい思い出』で終わると思っていました」

「そうか」

「だって、身分が違いすぎるし、あなたにはトモリさんもいますから」

「そうか、それで?」

「……お話、ありがたく存じます。こうなったら……わたくしも、あなたとの結婚のために、力を尽くしますから。だから、なんとしても、もぎとりましょう」

「……はははは。『もぎとる』と来たか」

「何か不適切でしたか?」

「……いや。いや、そうだな。君は、そういう人だ。だから、僕は」


 銀雪は微笑み……


 精一杯の力加減で、椿の頬に、手を触れさせた。


「君が、好きだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る