第94話 『酒呑童子』討伐・事後処理の一

 氷邑ひむら梅雪ばいせつ大江山おおえやまから戻って、数週間ほどが過ぎた。


 剣桜鬼譚けんおうきたん世界は四季がはっきりしているのが特徴だ。

 大江山突入の時は真夏だった季節は、今では緑色の葉が黄色く色づいて落ち始め、秋の気配を色濃くしていた。

 気温も順当に下がり始めている。『現代日本』の四季が春夏秋冬ではなく春梅雨じごく冬ぐらいの感じになっているのを思えば、かなり過ごしやすいと言えよう。


 その日……


 梅雪が午前中いっぱいを使って父・銀雪ぎんせつから剣術の指導を受けたすぐあと。

 当主教育の時間を控えたタイミングで、銀雪から当主の間に呼び出されることになった。


 心当たりのない呼び出しである。


 当主の間に『今から来い』と後継者が呼び出されるというシチュエーションは、家の未来にかかわる、前兆の掴めなかった大事件が起きているという意味に他ならない。


 さしもの梅雪も緊張と警戒をし、どのようなことが起こったのかせわしなく頭を巡らせつつ、服を整え、当主の間の襖の前に正座した。


 梅雪が参上の旨を知らせる前に「入れ」との声があった。


 父の声音からは、どのような事態が起きているのかを読み取れない。怒っていると思えば怒っているようにも感じられるし、笑っていると思えば笑っているようにも感じられる。

 聞く者の内面を映し出す鏡のような声。


 であれば梅雪は堂々と入室するのみだ。

 後ろ暗いことなど、何もないのだから。


 礼儀作法に則って襖を開き、中へ入る。

 用意された座布団の横に座ると、銀雪があるものを差し出してきた。


 七星ななほし家の印が入った封筒である。


 すでに口は開かれているそれを、梅雪は手にし、中身を検めた。

 そして、


「…………………………」


 固まった。


 そこには、意訳すると、このようなことが書かれていたのだ。

 曰く──


『七星家後継のおりが、梅雪に会いたいと毎日酷く暴れる。

 何をしたかは知らないが、大江山で尋常ならざることをした様子である。

 責任をもって嫁にとれ』


「心当たりは?」


 銀雪の声は怒っていると言われればそのように聞こえるし、愉しんでいると言われればそのように聞こえるものであった。

 チラリとうかがえば、表情もなんとも言えない微笑である。


 しかし梅雪、本気で心当たりがないので、「わかりません」と答えるしかない。


 ……さすがに梅雪も、知らないのだ。

 七星織。

 それが、海神かいしんの招来に伴う正気の喪失により、『梅雪への依存』という不定の狂気を発症してしまったことなど。


 だから本当に心当たりがない。


 しかし、七星家の文面の中には、(たぶん侍大将の彦一ひこいちが正直に報告したのであろうが)織と梅雪が周囲の視線の通らぬかごの中でしばらく過ごしていたことなどを根拠に、その間になんらかのなんらかをしたのだろう、みたいなことまで書かれていた。


 そして実際、その籠の中での出来事を織本人に聞けば、照れてしまってまともに答えられぬという……


(尻を叩いたり椅子にしたりしただけなのだが……)


 客観的に見れば、他の御三家の後継者かつご令嬢にだいぶいろいろやらかしているのだけれど、梅雪からすればあれは『特に何もしていない』に分類される。

 なぜならば、織は首を刎ねられても文句を言えないやらかしをしているからだ。

 大江山での活躍の功績はすべて七星家のものとさせたとはいえ、最初の遅刻だけで責任をとって首を差し出すぐらいのやらかしである。

 それを椅子にするだの尻を叩くだの程度で済ませてやったのは、仮に七星家があとから訴えてきても、『こういうことをそちらが先にやらかしたので、罰を与えた。殺されていないだけありがたいと思え』で済ませることができる算段であった。


 だが、照れて語らないとかされるともう、絶対にあったと勘違いされる。


(しまったな……あのポンコツがよもや、そのように頭を回すなど……)


 実際、頭を回してそうしたのではなく、梅雪への依存という狂気を発症した織の中で、あの籠での出来事が求愛行動に分類されているだけである。

 だが狂気に陥った人の思考など、さしもの梅雪でも追えない。


 父・銀雪はそこでようやく、感情のわかる笑みを浮かべた。


「まあ、『籠の中のこと』はウメから報告はされている。……いや、本当に何が起きたかわからないな。しかし、問題は一つだ。『七星家から嫁をとるか否か』。さて氷邑家後継梅雪よ。お前は?」


 七星家の後継者であった織を嫁に迎える場合……

 さすがに夕山神名火命ゆうやまかむなびのみことを側室に下げろとは七星家も要求すまい。ということは、織の方が側室待遇になる。


 御三家後継にまで選ばれた織が側室待遇というのは通常であれば問題だが、相手が御三家かつ上にいるのが帝の妹であるならば体面は保たれよう。

 つまり、七星家の方が『嫁にとれ』と要求している状況であれば、道義的・政治的にまったく問題はない。


 一方で、その選択は今後、七星家との分かちがたき結びつきを形成していくことになろう。

 それの何がまずいかと言えば……


 仮に帝が救援を求めてきた場合、御三家のうち二つとかかわりが深い身として、

 当然と言えば当然だが、救援を無視し帝の死を静観するという選択がとりにくくなる。


 あとは、世継ぎ問題。


 恐らく七星家は次か次の次の後継者に、を推すだろう。

 もちろん氷邑家としても梅雪の子を後継者にすべきなので、最低二人は子を作らねばならない……


(……まずいな、それぐらいしか問題がないぞ)


 断る理由をひねり出そうとしている自分に、梅雪は気付いた。


 これはもう、まごうことなき、運命への反骨でしかなかった。


 七星家という御三家勢力、しかも恐らく『天眼てんがん』という梅雪が欲しがっていた術式を備えた織が嫁に来る。

 当然ながらあの無双の個人である侍大将・彦一も今後、織越しで手駒として使えるようになるであろう。

 さらに七星家家臣団の中には、梅雪の真の実力を知る者も多い。そういった兵力を織越しに動かせる状態になるというのは、梅雪にとって都合がよかった。


 都合のいいことが起こる。


 


 だからこそ、梅雪が気に入らないのは、である。


 ゲーム剣桜鬼譚の主人公がまさにそうなのだが……

 都合よくいろいろ(たとえばシナツの迷宮付きの氷邑家の領地など)が揃う者というのは、


 これまでの活躍によって、どうにも運命というのか、この世界を照覧している何者かが、自分に目をつけている気配を感じる。


 


 だから反射的に、織の嫁入りを突っぱねようかなという気持ちが働いたのだが……


 運命に人かのような意思を見出すのは、梅雪の勝手にしかすぎない。

 運命という名の何者かがいて、そいつがすべてを差配している──というのは、この神秘がはびこるクサナギ大陸においても比喩でしかないのだ。


 それに……


(……まあ、運命がこの俺に差し出すというのなら、使ってやろうではないか。せいぜい俺の機嫌をとれよ。貴様の出方によっては、俺が貴様を許すなどということも、ありうるやもしれん)


 梅雪は、本来、自分に悲運を強いる運命たらいうやつを許す気はないが……


 もらえるものは、もらってやる。

 それで何かを代わりに与えるかどうかは、気分次第だ。


 相手が人であろうが、神であろうが、運命であろうが、

 ゆえに梅雪は、運命から献上された織との縁談を、こうすることとした。


「お受けいたします。七星家、使かと」


 同格の御三家に対し、あまりにも傲慢な物言いであった。

 だが父の銀雪はそれを咎めない。


 それどころか、快いかのように笑っていた。


「よろしい。では、縁談をまとめよう。……それから、お前にとある伝手を紹介する」


 銀雪が懐から、新たな書状を取り出した。


 中身を検め、梅雪は思わず目を見開いた。

 銀雪は、その反応に笑みを深める。


「……知っているようだね。大嶽丸おおたけまるというのことを」

「は」


 大嶽丸──

 ちょうど氷邑家と七星家の国境ぐらいに住まう刀鍛冶である。


 そのあたりにあるドワーフの隠れ里の中でも、特に優れた者が代々襲名する名こそが大嶽丸。


 この名を持つ鬼の何がすごいかと言えば、この鬼、


 剣桜鬼譚において、刀にはランクが存在する。


 まずは一番下の『数打ち物』。

 これは工房の未熟な弟子などが打つ量産品(とはいえ手製の鍛造品ではある)であり、その質は低く、『とりあえず武器がないよりマシ』といった具合のものであった。


 次に『業物』。

 これは優れた技術を持った者が鍛造した逸品である。

 梅雪が帯びているのも業物に分類される刀だ。多くの武士にとって、業物を腰に帯びることが一種のステイタスとなるぐらいにはランクの高い刀であった。

 だが、業物までは、


 そしてとされるのが『名刀』。

 このランクになると、が吹き込まれるとされている。

 ゲーム的に言えば、特殊効果がつく、ということだ。


 特別な素材を用いて、特別な腕前の者が、特別に気合を込めて鍛造する。

 それでも『必ずできる』と言いきれないのが名刀と呼ばれるランクの刀であり、この名刀、所持する者も、生涯のうち一つでも打った者も、ともに一目置かれ、世間に名が浸透する。そのぐらいの逸品であった。


 そして大嶽丸というのは、名刀を打つことのできる刀鍛冶である。


 それを紹介するというのは……


「梅雪、お前はいずれ、銀舞志奈津ぎんまいのしなつを受け継ぐこととなる」

「……は」


 氷邑家重大宝刀、銀舞志奈津。

 当然ながら名刀。しかも、名刀の中でも最上ランクの、上は神器……すなわち『神の手による鍛造品』しかないとされるほどの刀である。


「だが」と銀雪は言葉を続け、


「お前の左腕、『ある』ように見せているけれど、実際には、『ない』」

「……は」


 梅雪の左腕は剣聖との戦いで断たれている。

 神威によって人そっくりの腕を形成してはいるし、梅雪の神威量であれば常に具現化していても負担ではないし、欺瞞ぎまん効果も望める。


 だが、たとえば、神威を消し去るような効果を発生させられると、この腕は消えてしまう。


 そうすると、片腕になった梅雪は、銀舞志奈津を振ることはできないだろう。

 あの長刀は、長刀であるというだけでは説明がつかないほど重い。

 まぎれもなく剣士専用の刀であり、梅雪は剣士ではないのだ。

 梅雪は、


 ……だからこそ、あの大江山での帰り道……


 布に包んだアメノハバキリを彦一が持ち帰っている状態、すなわちの時にシナツの補助が使えない梅雪は、帰り道をと踏んで、強引に阿修羅あしゅらの中に乗り込んだのである。

 梅雪の肉体は十歳の男児にしか過ぎない。剣士ではないので、本当に、見た目通りの体力しかないのだ。


「お前には片手で振れる刀が必要だ。剣士ではない腕力で、その左腕が消えてしまったとしても、お前の敵を討てる刀が、いる」


 銀雪の言葉、尤もであった。


 その言葉を受け止め、梅雪は不思議な気持ちになっていた。


(以前までの俺であれば、この言葉を侮辱と感じたであろうな……)


 剣士の才能がないことをコンプレックスに感じていた。

 ……我知らぬまま、『剣士か否か』という基準のみで自分の価値を測り、埋められないその価値に苛立ち続けていた、かつての梅雪。


 だが、今は……


(……父にそう言われても、『確かに』としか思わん。なるほど、ゆえにこそ、今、切り出していただけたのか)


 梅雪が平静に『剣士でない事実』『弱い事実』を受け止められるほど成長したからこその紹介。

 そう、解釈した。


 銀雪は満足げに微笑む。


「紹介状をしたためた。ゆえに、お前はそこに行って、を打たせてみなさい」

「は」

「……ただし、刀鍛冶というか、職人の連中は気難しい。なおかつ、力で無理やりに刀を打たせても、ごみのようなものを掴まされるのが落ちだ。であれば、どうするかわかるね?」

「認めさせてみせます」

「よろしい。剣士ならぬお前を。片腕のお前を。それでも『あなたのために刀を打たせてください』と言われるに足るお前の素晴らしさを、大嶽丸に知らしめてきなさい」

「は」


 梅雪は深く礼をする。


 銀雪は「ふふ」と笑みをこぼし、


「いや、それにしても、何かを解決するたび嫁が増えるね、お前は……」

「……」

「もしも望まぬならば気をつけなさい。大嶽丸の隠れ里にも、年頃の女はいるだろうからね」

「……肝に銘じます」


 いるだろうからね、というか。


 


 何せこの世界は剣桜鬼譚。男性向けR-18ゲーム世界なのだから。

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