第77話 『酒呑童子』討伐・夏の陣 一
(イバラキは完全に『海』に帰属しているはず。仲間を殺したのが、何よりの証拠)
大辺とて十割気まぐれでイバラキに仲間を殺させたわけではない。
そもそも大辺は、本人に言わせれば慎重……他者から見れば臆病と呼べる性分を持っているため、他者が自分の支配下にあるかどうかは、二重三重にチェックをする。
第一のチェック、イバラキが
第二のチェック、腹心とも言える部下をはじめ、『
この時、一部を逃がすような言動があったものの、それは戦術に利用するためだという説明をさせた。
説明するイバラキの様子はとても落ち着いていて、その感情は完全に海に沈んでいる様子であったため、安心していたが……
(イバラキの心が海から浮上している気配がする)
大辺という女にとって、海神とは何か?
……実のところ、大辺は、海神を信仰していない。
才能のある者が特に好きではなくても、己の才能の向いた道を選ぶことはある。
それは、当人にとって、その道がもっとも歩むのに楽だと思えるからだ。
大辺にとっては『海神の巫女』という道こそが『己の才能の向いた道』であった。
だから巫女をしている。言ってしまえばそれだけなのだ。
大辺はこの力で他者を支配し従属させることに悦びを覚える性分であり、特に小さくかわいらしい女の子を服従させ、着せ替え人形にしたり凌辱することが好きであった。
それは大辺自身の体験から発した性的嗜好であった。
海神の
……本当にそういった行為が必要なのかはわからない。だが、少なくとも大辺は体験しており、これまでも海魔の力を使ったあとには、自分以外の誰かを使って同じことをしている。
今回は
予定であれば、海魔の力とイバラキの戦術とで、すでに氷邑一党を捕らえ、今頃は氷邑の目の前で傍仕えの少女を凌辱しているつもりであった。
ずいぶん綺麗な服を着せている上に、刀まで持たせているのだから、あの半獣人は、ここに来た氷邑にとってお気に入りなのであろう。それを目の前で凌辱する……なんとも胸のすくような話だ。だから大辺はそうするつもりでいた、のだが……
(なぜ、海魔の攻勢が通じない? 連中、もしかして……とんでもなく強いの?)
これは事実と言えば事実なのだが、大辺は認識していないことがあった。
まず、海魔は弱い。
ゲーム的には『知らない間に勝手に増える戦力』という便利なものではあるのだが、じゃあステータス的にどうかと言えば、そもそも指揮官ユニットである大辺が内政系のキャラであるので、強くない。
そして大辺は道士でもあるので、そもそもステータス的に恵まれていない。
なのでゲームで彼女に任される役割は、兵力補正がかかりやすい守備戦……つまり『代官として単独で領地の一つを任せ、兵力補充の手間いらずで防衛してくれる放置ユニット』なのである。
この現実において、大辺が氷邑一党だと思い込んでいる
だが仮に相手がもっと位階の低い集団であろうとも、海魔では勝てない。剣士が集まって軍の
ではなぜ、大辺がこのように勘違いをしていたかと言えば……
(剣士が三十人ぽっちでしょう!? 私は人口が百人いる村を壊滅させたことだってあるのに!)
……剣士についての解像度が低いとこのような勘違いが起こるのだが。
大名家に仕える剣士三十人を、村人百人と比べるのは、おこがましい話だ。
ただの村人が何人束になったって剣士一人にさえ勝てない。
百歩譲って村人の中に幾人か剣士の才能がある者が混じっていたとしよう。
それでも大名家家臣剣士には勝てない。
なぜなら剣士の才能は血統であり、いい血統はほとんど大名家が確保している。
そのへんの木っ端剣士を何人倒した経験があろうと、それは大名家剣士を相手に戦歴として語っていいものではないのだ。
しかし大辺には、それがわからない。
百人を倒した。剣士だって倒したことがある。
隠れ潜み、大名家に目をつけられないようにし、やる時は徹底的かつ瞬時に、相手を支配し操り、事後の報告さえさせない……
臆病さゆえにそういう徹底的なことをやってきた。ゆえに大辺は生き残ってきた。
だが、そのせいで勘違いしていた。だからこうして、のこのこ氷邑家方面に戻ってきている。
彼女は『海異襲来』で海神の信者の大部分が氷邑
だが、そこでの戦果が彼女の判断を曇らせた。これなら氷邑への報復が叶うと勘違いし、手始めに磨けばかわいく光る感じのイバラキで遊んで、その後に氷邑を落とそうという、そういう夢を見てしまったのだ。
(おかしい、おかしい、おかしい……! 私はもっと圧倒的に勝てるはず……! 海魔の物量があって三十人ぽっち倒せないのはおかしい……! 圧倒的に勝って、私に傅くはずだった海神の信者どもを殺した氷邑を殺し、氷邑のすべてを私のものにしてやるはずだったのに、どうしてこうなっている!?)
ぎちぎちと、手の中の杖を握りしめる。
大辺の意識は、杖に埋め込んだ『触媒』に向く。
これさえ使えば、勝てる。
だが、代償がある。
……たとえば
それゆえにさほど直接的な行動はとらず、もしも初手で放っていたなら梅雪を殺し得た妖魔矢・
だが、大辺は。
(……いえ、冷静になりましょう。確かに、これは代償が必要です。しかし……)
大辺はこれまでの成功体験を思い出す。
すべてを支配し、すべてを自分の奴隷にしてきた。
生まれつき備わっていた海神の巫女としての才能を振るい、海神の威を借りて、すべてを自分のものに……
だから、こう思う。
(わたくしには、海神に愛される才覚がある。であれば、その力の一端をふるったとて、代償はとられないのではないでしょうか?)
もちろん根拠はまったくなかった。
……大辺という女は、こういう者なのだ。
他者を支配し利用し、自分は汗もかかない、もちろん傷もつかないように立ち回ることを賢いと思う。
他者とは自分に尽くすための存在であり、苦戦を嫌い、物事が思い通りにならないとすぐに苛立つ。
そのくせ臆病で気弱。人から何かを指摘されたり、怒りを向けられたりするといつまでも根に持ち、過剰な復讐をせねば気が済まず……
自分は神に愛されているのだから、最終的には結局、なんかうまくいくのだろう──そう心の底から思い込んでいる女。
ある意味で狂信者めいた『神への信奉』が大辺の中には確かにあった。
そして実際、今まではうまくやれていた。
だから、大辺は、
「イバラキ」
戦術を練り直すイバラキへ声をかける。
その声音は実に落ち着いており、顔には、己を絶対的上位者であると確信した者特有の穏やかな笑みがあった。
信者に向ける教祖の笑みである。
「海魔で戦力が足りぬと言うのであれば、新たな戦力をあなたに貸し与えましょう。ただ……この戦力は強力過ぎて、あなたの戦術などいらぬかもしれませんが」
イバラキは答えない。
海に沈んだ者特有の目で大辺を見ている。
大辺は笑みを深めた。
この海神の巫女が好むのは、絶対に逆転できない無力な存在が、それでも虚しい抵抗をしながら蹂躙されていく様子と──
支配が入り切った信者の、この、疑いも何もない、『自分たちは奴隷です』というような、空虚な視線だった。
海神の巫女は詠唱を開始する。
それは聞く者の心をざわめかせ、生まれつき魂に刻み込まれている恐怖を喚起するような、なんとも冒涜的な節回しであった。
言語も既存のどれとも違う。あるいは、それこそ発狂した者たちが言語と信じるだけの、言葉でさえない音の連なりなのかもしれない。
だが、それを言語と心から信じるほどに狂った者が唱えれば、その呼び声にカミは応える。
……『夏』の領域にある『酒呑童子』アジトの中が、息苦しいほどの湿度に満たされていく。
かすかに香るのみだった潮が濃く鼻にこびりつく。どこか、血を思わせるおぞましいニオイ。
ごぼごぼと大辺の持つ錫杖で鈴が鳴り響く。狂気に陥った者には涼やかに聞こえる鈴の音。果たしてイバラキには今、どのように聞こえているのか。
「──■■■■■の触腕の招来」
大辺は神の名を口にしたのだが、それは多くの者には聞き取ることができない。
頭がその名を認識することを拒むのだ。
……かくして大辺の決断により、
重苦しい深海が、夏の山に広がっていき……
大江山夏の陣、改め。
『海の陣』が開幕する。
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