第38話 帝都騒乱・幕間の一

 情報が錯綜している。


 みかどはまとめさせ終え、ようやく全貌が把握できるようになってきた『今、帝都で起きていること』を見て──


 愕然としていた。


「…………なんだこれは」


 帝に限らず領主大名は基本的に『戦う人』なので、城には軍議室がある。


 どこの城にも、家臣団に政治的方針を下知したり、相談したりする『評定の間』、内々の打ち明け話をするための書斎でもある『当主の間』、そして軍略の大事なことを協議・決定するための『軍議の間』は存在する。

 貧乏大名であればすべて『評定の間』で兼ねることもあるが、帝はクサナギ大陸で最上位の大名であるため、当然ながらその居城である蒸気塔には、すべて別々に部屋を用意していた。


 軍議の間は中央に大きな長方形の机があり、周囲は分厚い木材を何重にもした壁で覆われている部屋だ。この分厚い壁は防音効果を狙ってのものであり、また、外部からの道術などによる襲撃を受けても総大将たる大名が傷つかないようにと防御性能を見込んだものでもある。


 椅子はなく、机は全員が立って協議をするための高さであり、さらに机と壁とのあいだは、せいぜいが人二人分程度の広さしかない。

 これは軍議の間に入れる者を限定するのと同時に、軍議で異を秘めた者が軽々に大名へ『刀による抗議』を行えないようするためでもあった。大名は基本的には強い者が偉いという価値観を持つので、納得できない戦術にはそういった異の唱え方をする者も、かつては多かったのだ。


 その軍議の間の最奥、左右の通り道を家臣にふさがれているため、戦局不利を悟っても逃げ出すことのできない場所で、帝は机の上に広がった地図、戦況まとめ書きなどを見ている。


 しばらく二の句が継げなかった彼は、かすれた声で、ようやく口を開いた。


「……『南区、浪人どもの騒乱。刀を抜いた者どもの中に剣士多数。帝都火撃かげき隊を遣わすも、未だ鎮圧ならず』『東区、民衆蜂起。列を成して蒸気塔に向かう民衆あり。多数の兵力をやって押しとどめているものの、傷つけるわけにもいかず、難航』『西区、魔物』……魔物!? ……『西区、魔物の襲来。帝都火撃隊予備員をこれに当たらせるも、相手は巨体を誇るゆえ討伐非なり』『北区、多くの賓客が集う地にて貧民窟の者どもが暴動。名のある山賊の姿も確認がとれたとのこと。この地を守る侍大将討ち死ににて、兵ども苦戦、一時退却す』……」


 帝は美しい面相からいっさいの感情を抜け落として、まとめられた報告を読み上げていた。


 そもそも、帝が報告書を読み上げる、などという役割に回されることは本来ありえない。誰かがこれを読み上げ、帝はそれを聞いて『うむ』とうなずくのが常であるべきだ。

 だが今は緊急事態

 誰もが『常』を忘れている。帝さえも、同じだった。


 クサナギ大陸を統一し、『魔境』より発した氾濫スタンピードを収めた英雄の子孫。

 その才覚は折り紙付きのではある。

 まともにやれば地上の中で上位に入る屈指の才覚と剣術の腕前であろう。


 だが、それは、このように、突発的かつ頻発的かつ大規模な動乱に冷静に対処できることを意味しない。


 そもそも、このようなことが起こるほどの情勢ではなかった。

 この事態は……


「これだけのことが起きているのに、……!?」


 何かが、おかしい。


 本当に昨日まで、動乱の気配のまったくない平和な帝都であったのだ。


 今、これだけ突発的な騒乱は、『東での民の動き』『南の剣士どもの動き』『西からの魔物の襲来』『北での貧民窟の住民の動き』、どれか一つを事前につかめていれば、準備ができた。


 だが、


 まさしくすべてが『今日思いついて、今日実行した』かのような唐突さ。


 魔物の襲来ならばそういうこともあろう。だが、それ以外は……特に東の民蜂起などは、前兆があってしかるべきなのだ。


 だというのに、ない。


「申し上げにくきことではございますが……隠密頭が情報を伏せていたのやも」


 家老がつぶやく。


 ここにおらず、未だ所在をつかめていない隠密頭が槍玉にあげられる。

 確かに隠密頭は帝の重要な情報源だ。帝都の様子もまた、隠密頭から上げさせている。


 だが、すべて隠密頭の情報隠蔽いんぺいのせいにするには、二点、どうしても無視できないところがある。


「……隠密頭とはいえ、人だぞ。組織の長だ。それがここまで重要な情報を、ここまでなんの痕跡もなく、ただの一存で伏せられているとは思えない」


 たとえば魔物の襲来などは、見過ごせばあきらかに多くの人が傷つく。

 そして人には良心があり、功名心もある。


 隠密頭がそこまで配下に心酔されていたと言われればそれまでだが、隠密頭が伏せる魔物襲来のような『明らかに伏せるべきではない情報』について、密告やさえ気配もないのは明らかにおかしい。


 また、部署は違うとはいえ、夕山ゆうやまや自分の身辺護衛につけているのも、一応、隠密頭の配下隠密ということになる。

 そういった人材は隠密頭やほかの隠密から情報があれば、自分たちに個人的に告げることだろう。その程度の信頼は育んでいる。


 ……そう、信頼だ。

 この状況がありえるとしたらおかしい要素、無視できない二点目。


「……それに、私は、隠密頭に裏切られるほど、彼を粗略には扱っていない。そもそも……彼は私の


 待遇はよく、汚れ仕事はさほどさせず、無体も働かず、十分に労っている。

 そこにきて、帝の姉……正しくは従姉いとこが隠密頭の妻であり、帝自身もまた、幼いころより彼と親しんでいた。

 帝の一族であるので当然、隠密頭の家族は蒸気塔に住んでおり、その者らは未だ蒸気塔居住区にいるのだ。……これでは万が一があった場合、人質として機能してしまう。


 裏切るメリットがなさすぎて、デメリットが大きすぎる。


『帝の隠密頭』という地位と妻子を捨ててまで、隠密頭が帝都騒乱につながる情報を伏せる理由は、わからない。というより、ない──はず、なのだ。


「所在が不明であるというだけで、すべての責任を隠密頭のもとに集めるのは、よろしくない。……そもそも、今すべきは犯人探しではなく、この状況への対処だ」


 帝はようやく冷静さを取り戻す。


 それを見て、浮足立っていた家臣たちも、次第に落ち着きを取り戻した。

 ……本当に問題のない治世なのだ。信頼する家臣たちも第一に考えることは『民を安んじる』ことであり、政治的に大きな混乱もなかった。

 もちろん政治であるからすべてを良くすることはできない。だが、民衆に蜂起だの反乱だのといったことを実行させるほどでは


(これは、『何者か』の意図と思っていいのか? この状況を操るが存在すると、そのように決めてかかるべき、なのか?)


 騒乱の発したタイミングは、確かに誰かが号令をかけて一斉にやらせたとしか言えないものであった。


 だが、帝の戦勘いくさかんは、これがもっと強大な……人の暗躍ではない、神なる者の手によるなんらかの試練なのではないかと、そのように感じていた。


「……とにかく、侍大将が討ち死にし混乱しているらしい、北区を収めよう。私の指示が必要であるならば、私自ら──」


 その時、軍議の間の扉が叩かれる。


 すぐさま扉そばにいた屈強なる者が室内用小刀こがたなの柄に手をかけ、もう一人が扉を開いた。


 緊急事態である。ゆえに、ここまで上げられる報告もまた、緊急のものだけにせよとの下知はしておいた。

 ゆえにこそ、今そこにあるのは、すぐに聞くべき報告。あるいは、この軍議のあいだにすでに帝都が、帝の首を狙った暴徒がそこにいる、というわけだ。


 丈夫で厚い樫の扉が開かれると、そこには膝をついた鎧姿の者がいる。

 帝都独特の片腕だけが分厚い手甲になった、マントつきの鎧姿。背負った旗印は『火炎の中より飛び立つ鳥』。まさしく帝の軍に属する伝令であった。


 膝をついた伝令は、扉が開かれるとすぐさま大きな声で報告する。

 上げた顔には、希望の輝きがあった。


「報告! 北区の状況、収束!」

「何?」


 北区は、侍大将が討ち死にし、治安をあずかる兵どもが退却、帝に指示を仰ぐという、一番どうしようもない事態となっていた場所であったはずだ。

 ゆえにこそ、そこに出なければならないと帝は出陣を決意したわけであった。


 それが──収束?


「何が起きた」


 帝に代わって家老がたずねる。


 伝令は「は!」と弾むような声で応じる。


により、北区の野盗どもは討伐。貧民窟の者どもは拘束されております!」


 伝令は知りうる情報を正確に伝えた。

 だが、その正確な情報こそが不可解であった。


 すべての者の頭に浮かんだ言葉を代表するように、帝がつぶやく。


「…………子供?」


 どこから唐突に子供が出てきたというのか。

 彼らはまだ──


 



「さて、どちらがいいか」


 氷邑ひむら梅雪ばいせつは、よくぬぐった『牙が下から上へ突き出すような獣の口の面頬めんぼお』を身に着けていた。

 尾庭おにわ博継ひろつぐの形見である。

 その面頬は大人用、しかも特に大柄な者の身に着けていたものゆえに、子供かつ小顔の梅雪には大きかった。

 それゆえに目まで覆う結果になり、面相を完全に隠す仮面となっていた。

 もちろん、視界の確保のための穴は空けている。


 そして、石畳の上にそのへんで拾った木の棒を立てる。

 貧民窟から出てきた暴徒どもが武器として使用していたものだろう。


 木の棒から手を放すと、棒は自然の摂理で倒れていく。


 ……倒れた方向は、梅雪から見て正面。

 すなわち、南区の方向であった。


 ゆえに梅雪は、こう決定する。


「運命が南に向かえと称する。西


 上向きに牙が生えた獣の口という意匠の面頬は、子供の顔で身に着けると、牙がちょうど、角のごときもののように、額あたりに来る。

 短い牙が合わさった部分に穴を空けたために、ますます獣の口という印象は薄れ、その面頬はさながら、のごときものにしか見えなくなっている。


 顔のない竜は、告げる。


「『帝都騒乱』──だったか。面白い名をつけたものだなァ、熚永ひつなが。ククク……許す。帝都騒乱、


 どうにも、帝都の東西南北それぞれに、が起こっている様子だ。

 詳しい全容は把握していない。だが、暴徒から情報を聞き出していった結果、何かが起こっていると──


 起こっている『何か』をなるべく煽るように、熚永アカリから言われていると。

 そういう情報を得ることができた。


 ゆえに、梅雪はと決意する。


 つまり、ではなく、という方針での行動をとることにしたのだ。


 そして、熚永アカリのファンらしい男から情報を抜き出した結果……

 梅雪が解決できそうなものから除外していいのが、東区で起こっている市民の蜂起である。


 市民どもを根切りみなごろしにしていいなら話は別だが、傷つけてはいけないが混乱を収めなければならない……という状況のようなので、これはどう考えても帝の軍、あるいは帝本人の役割であろう。


 倒してよさそうなのは、すでに解決した北を除けば、あとは、西と南。

 ゆえに棒倒しで決めた。運命が南を指すならば、向かうのは西だ。のだから──


(それにしても、熚永アカリは、今ある動きをか。東西南北それぞれで起こっている事件、ともすれば?)


 黒幕の一人であろう熚永アカリがせこせことファンを使って情報を集めていることから、少なくともアカリは暴動全体を指揮してはいない。

 むしろ予定にないことが起こっているので情報を欲している状態だと理解できる。


(連中の真の目的はなんなのか……まあ、表向きの目的は、わかったが)


 どうにも夕山神名火命ゆうやまかむなびのみこと──梅雪の婚約者であるカンナを狙って起こった暴動だ、という話らしい。


 だが、どうにも解せない。女子供一人のために、昨日まで平和だった帝都が滅亡レベルの混乱をきたすなどと、ありえるものなのだろうか?

 少なくとも、カンナと梅雪との婚約・ほぼ同時の輿入れを発表した帝は、こういう暴動を想定していなかった様子だ。想定していれば、もっと慎重に発表するだろう。


 つまり、口では『梅雪と夕山姫との婚約に反対して立ち上がった』と言いつつ、黒幕には『真の目的』があることだろう。


 そして、『真の目的』を知るには、まだ情報が足りない。


 ゆえに、潰せるところをさっさと潰し、あとは情報が集まるまでカンナを守りつつ待機というのが、もっとも適切な対応だろう。


 とはいえ、梅雪はである。


 そもそも帝都の騒乱を解決するのは、帝都を支配する帝の仕事だ。

 梅雪はこのまま氷邑領に帰ってもいい。もしも帝の覚えをめでたくしたい、なんていう気の迷いが起こったとしたって、夕山姫の元に馳せ参じて、傍で護衛をすればいいだけの話である。


 ではなぜ、梅雪は乗り気になったのかといえば、それは……


「何が『ふさわしからぬ婚約者から姫様をお救いするのだ』だ。……誰が、俺を評することを許した? 貴様らが、この俺の何を知っている? この俺をォ! 貴様らごときがァ! 知ったように語るなァ! ……。貴様らのたくらみ、この俺がすべて喰らってくれるわ……!」


 というわけで、情報収集の中で、そのあたりの暴徒に黒幕──複数、協力関係ではない黒幕がいるだろう状況の中で、唯一判明した熚永アカリを、とりあえず土下座させる対象と定め……


 北区の混乱を収めた氷邑梅雪、西区へ出陣する。

 どこの混乱を誰がどういう目的で起こしているか、その真実は知らないが……


 とにかく潰す。

 梅雪は決意し、動き始めた。


 帝都騒乱、第二章が幕を開ける──

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