第14話 剣の聖女

 時をさかのぼる。


 梅雪ばいせつたちが『魔境』へと旅立つより一月ほど前のことだ。


「……ここに来れば、氷邑ひむら家の追手もあきらめるでしょう」


 そのは、世において『剣聖』と呼ばれている。

 名を『シンコウ』。奴隷としての名だが、解放され、『剣聖』と呼ばれるようになった今も、そのまま使っている。


 剣士の才は血で継ぐものであり、だからこそ大名家の後継は剣士の才が重要視される──という世界観において、誰に仕えるでもなく、もちろん大名でもなく、ぶらぶらと全国を漫遊し、開発した剣術を請われれば誰にでも教える。


 剣術というのは基本的に、家伝かつ秘伝である。

 剣士は身体強化で己の戦闘能力を担保するが、優れた身体強化の使い手である剣士同士の戦いにおいては、剣術の腕前が勝敗を左右する。

 そして剣士同士の戦いで勝利すれば、相手のである剣士を一人減らすことができ、一気に戦を有利に進めることができるようになる。


 すなわちこの世界における『剣術』というのは、『戦の趨勢すうせいを決めかねない強力な兵器の設計図』にも等しい価値を持っている。


 そのようなものを無償で誰にでも配り歩くものだから、シンコウは『剣士にとって聖女のようなお方』という意味で『剣聖』と呼ばれていた。


 ……半分は無垢な賞賛だが、もう半分は厄介者に向ける皮肉だ。


 特にシンコウを皮肉る者は、伝統ある大きな大名家が多い。

 なのでシンコウ自身もなんだか世間では『体制・強大なものに立ち向かい、弱きを助けるお方』扱いされているのだが……


「……どうして、わたしを、助けてくれた、です、か」


 たどたどしく問いかけるのは、氷邑梅雪に手酷く扱われていた奴隷の少女であった。


 彼女は少数民族の中でも特に人間から蔑まれる獣人の一族であった。

 蔑称として『山犬』、『すねこすり(人間様の足にすがりついて脛に額をこすりつけなければ生きていけない者という意味)』などとも呼ばれる、犬のような耳としっぽを持つ者である。

 それ以外が人間であり、なおかつ、人間の平均よりも容姿が美しく、肉体が丈夫であることもまた、強く差別される要因であろう。自分と似ていて自分と違い、優れたる者こそ、もっとも蔑みたい存在なのだから。


 実際、剣聖と呼ばれるシンコウがそれなりのペースで進んできたにもかかわらず、まだまだ幼いこの少女は、息を切らせながらもシンコウについていく体力と脚力があった。

 容姿の方は、名門氷邑家で整えられていたのもあって非常に優れており、燃えるような赤い髪と瞳が特徴的な、鮮烈な美女に成長するであろう可能性を感じさせるものだった。


 シンコウは自分を見上げてくる少女を見下ろし、言葉を整理する。


 どうして、助けたのか?


 確かに、奴隷のために、みかどにも知られた名家である氷邑家を敵に回すというのは、損得計算が合っていない。

 ましてシンコウは剣聖などと呼ばれてはいるものの、後ろ盾を持たず、腕っぷしだけで諸国を漫遊する風来者である。

 面倒ごとを避けるのであれば、氷邑家の後継の狼藉など、見て見ぬふりをするべきであった。


 だが、シンコウは少女を助け、魔境にまで逃げてきた。

 氷邑家を敵に回しては、しばらく魔境から出ることも適うまい。いかな剣聖とはいえ、伝統ある大名家を敵に回しては。さらに、逃げ込んだ魔境は危険だと聞いている。ここからの暮らしは苦しいものになることだろう。


 そこまでして助ける理由は、あるのか?


 シンコウは己に問いかけ、言葉を整理し終えると、口を開く。


「……あそこで、見て見ぬふりをするというのは、わたくしの……信念に反するのです」


 シンコウの手はいつのまにか、ぎゅっと組まれ、胸の前で合わさっていた。


 それはシンコウが己の内面を見つめ、自分の行動を自己分析する時の癖のようなものであった。


 だが、他者から見ればその仕草は、何か聖なるものに祈りを捧げているような、そういう荘厳さがあった。


 奴隷の少女から見たシンコウという女性は、美しく穏やかな、しかし激しい感情を秘めた、そういう女性であった。

 すらりと高い身長。豊かな乳房。くびれた腰に、スリットの入った長いスカートからのぞく、真っ白いふともも。

 男性が夢中になるような要素を体中に備えていながら、その全体を見れば、性的魅力よりも聖性が勝る。均整のとれた美しい体。鍛錬により身についた美しい姿勢。それらは神の手からなる芸術品のようであった。


 その美しい女性は腰の左に大小二刀を帯びているものの、ゲーム剣桜鬼譚けんおうきたんのユーザーからは『シスター』とあだ名されていた。

 彼女の服装は見事な肢体に張り付くような黒いシスター服であり、ゲーム中によく出てくる立ち絵が『胸の前で手をこまねいている』様子なので、神に祈るポーズに見えるのだ。


 さらにシンコウの属性を語るならば、彼女は目隠しをしたキャラクターでもある。

 目元に黒色の布を巻いた、長く豊かな蜂蜜色の髪を肩甲骨を覆うぐらいの長さまで伸ばした、見事なスタイルのシスター。

 そして剣聖と呼ばれるでもある。


 シンコウが祈りのような仕草をほどき、視線を自分の内面から、外面に向ける。

 彼女は奴隷時代に視力を失ってはいるものの、周囲の気配を察知する能力に長けており、目が見えている者と遜色ない動きを見せる。

 ……というよりも、目が見えている者よりも気配などに敏感であり、山道などで走ることさえ簡単にしてのける。


 ゲーム中、設定面での最強ランキングを作るならば、間違いなくトップ争いに入る。そういう存在が剣聖シンコウであった。


「剣術は……いえ、すべての術理は、希望なのです。才がなくとも、生まれが悪くとも、この戦国乱世で、生きていく可能性を得ることができる……術理を身に着ければ、剣士の才を持たぬ者でも、剣術によって戦うことができる。ゆえに、わたくしは、剣術を広めております」


 とはいえそれは『理論上』の話であり、身体強化をした剣士の動きに、身体強化を使えない者はまず反応できない。

 反応できても、防御したりいなしたりすることはできない。強化された剣士の刀は、防御すれば強化されていない武器ぐらいなら簡単にし斬る。いなそうにも速すぎてどうしようもない。


 身体強化を使えないまでも、人としての上澄みの性能の者が、たゆまぬ鍛錬を続けた果てに、ようやく、才能にあぐらをかいて鍛錬をしない剣士を倒せるかどうか、というのが現実的なところだ。


 ……もっとも、そういう常識が当てはまらない、身体強化なしの剣術のみで剣士を圧倒できる者も存在する。

 しかも、技術においてその領域に達している上に、まであるゆえに、大名家の全兵力でも軽率に相手どれない、たった一人からなる軍勢。

 剣聖シンコウは、そういう存在なのだった。


「……氷邑家の跡取りは、剣士の才がなく、しかし、後継たらんとする、素晴らしい子だと聞いておりました。剣士しか認められぬクサナギ大陸において、剣士ではない者が、機会をつかまんと努力する……そういうお方にこそ、わたくしの剣術が必要だと、そのように……しかし」


 シンコウは、氷邑家で見た、梅雪の狼藉を回想した。


 すべてに苛立ち、目につくものすべてに八つ当たりし、奴隷を人と思わぬ態度で接し、注意されても反省するどころかむしろ激昂する……

 まだ十歳の子供だから、と言われればそうかもしれない。

 だが……



 その時、シンコウの吐息に色香が混ざった。

 熱い吐息である。


 だがどこか淫蕩な様子も一瞬のこと。すぐさま元の、ひじりとあだ名されるに足る清廉な雰囲気を取り戻し、


「彼に、我が『愛神光流あいしんひかりりゅう』は教えられないのです。もしも教えんとすれば、きっと、途中で我慢しきれず斬ってしまったことでしょう」


「……それ、私を連れ出した、理由、なってない、です」


 赤毛の奴隷少女が冷静に突っ込むと、シンコウは目隠しの下にある唇をにっこりと微笑ませた。


「救えるならば、あの者のもとにいた奴隷すべてを救いたかった。しかし、手の届くところにいたのはあなただけだった。……それが理由です」

「……?」


 それでもまだ何かがズレた返答のように思われたが、奴隷の少女は、それ以上突っ込んで聞く言葉を持たなかった。

 この少女はしばらく山野で育っていたところを発見され奴隷となったので、まだ人の言葉がうまくないのだ。


 あと……

 なんとなくだが、奴隷の少女は感じ取っていた。


 このシンコウという女、何かがヤバい。

 もちろん剣術を配り歩くという時点でヤバいのだが、もっと、剣術の価値を大名家ほどにはわかっていない少女でもわかるような、生物としての本能が感じるタイプのヤバさがある。


 だが、少女はそのヤバさが詳しくわからないし……


(……ついていくしか、ない)


 まだ幼いながらも、処世術を心得ていた彼女は、今の自分の『飼い主』がこの女であることを察していた。

 なんていうことはない。ムチを打ったりする酷い飼い主から、まだ酷いかどうかわからないが何かヤバい飼い主に変わっただけである。


 少女は素直に剣聖についていく。

 生き残るために。


 少女にとって……

 今も、梅雪のもとにいた時も、さして変わりがない。

 相変わらず人生の主導権が自分にはない、そういう日々が続いていくのだった。

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