第2話 破滅フラグをへし折るために
「まずい……まずいぞ……」
『剣聖』はけっきょく、奴隷の少女を連れて出て行ってしまった。
大名家の跡取りである梅雪を侮辱したので、当然ながら氷邑家に仕える侍たちは、『剣聖』を捕縛しようとした。
だが、集団でかかっても取り逃がしてしまった。
それだけの使い手を、息子たる梅雪のために、父があらゆる伝手を使って用意してくれた指導役なのだ。
それをキレ散らかして逃してしまった。
これで主人公くんは流れ着いた剣聖を師匠とし、奴隷少女をメインヒロインとしてシナリオを開始してしまう。
このシナリオをブレイクしないことには、氷邑梅雪は死ぬ。
まずい。非常にまずい。
まずいのはそれだけではなくって、この氷邑梅雪とかいうの、今はまだ十歳の子供なのだが、それを加味したって、あまりにも煽り耐性がなさすぎる。
ささいなことに過敏に反応してキレ散らかす、この情動をまったく制御できない。
もう呪いのようなものだ。日常生活を送るのにも不便なほどの煽り耐性の低さ。
しかも大名の後継である唯一の男児なので、このクソガキがキレ散らかすとみんな謝って逃げて行くのだ。
これでは増長しきって我慢のきかない、本編時間軸の悪役ができあがるのも無理がなかった。
あとたぶん、この煽り耐性と『煽り』と判断する範囲が広大な性質のせいで、まともに訓練もできていないので、本編時間軸でも弱い。
いちおう、設定的には、家柄と才覚に優れた御曹司ということになっているのだが、その才覚なりの強さを発揮できないのだ。それはたぶん、この煽り耐性の低さが百割ぐらい悪い気がする。
「まずい……」
梅雪の中に入った人は、この煽り耐性をどうにか我慢しよう、それか、うまく付き合おうと思い、ここ一週間ほどを過ごして来た。
だが、無理だった。
たとえば……
「まあ、坊ちゃま、今日はお早いお目覚めですね」
中の人が言いたいこと:ええ、そうなんですよ。今日から心を入れ替えて、氷邑家の嫡男として朝の訓練にも積極的に参加しようと思っているんです。今までさぼっていまいしたからね。
実際の発言「貴様、この俺が普段は目覚めが遅いと言ったか? 使用人の分際でこの俺に皮肉を言うとは身の程を知らんらしいなァ……そこに直れ! 折檻してやる!」
「坊ちゃま、ついに訓練場にいらしていただけたのですね……! さすが、歴史ある氷邑家の嫡男にございます。剣の重要性を、ようやく理解していただけたこと、このじいや、感無量にございます!」
中の人が言いたいこと:今まで期待を裏切って申し訳ありませんでした。私に剣の才能はないかもしれませんが、これからは歴史ある家の後継として精一杯努力していきますので、どうぞご指導ご鞭撻よろしくお願いします。
実際の発言「よもやこの俺が剣の重要性を理解していないと思っていたのか? そのようなこと、赤子でもわかるわ! この俺が剣の修練に来なかったのは、貴様の教え方がクソだからだ! だというのに反省もせず、まるでこの俺に責があるかのような発言、万死に値する!」
「……ほ、本日のお食事はお気に召していただけたようで、な、何よりでございます……」
中の人が言いたいこと:「はい。いつも残してしまって申し訳ありません。せっかく健康に気遣って献立を考えていただいているのに失礼でしたよね……これからは心を入れ替え、苦手なものだからといって残さずに、きっちりいただき、健全な心身を育んでいこうと思います」
実際の発言「何を勝手に俺の感想を決めつけている? 気に入ったか、気に入ってないかなどと、お前ごときに理解できると思っているのか? この俺が! お前ごときに読み取られるような浅い考えしかないと思っているのか!? この俺を愚弄するなァ!」
こいつ大丈夫か?
そして煽り耐性がないので煽りと判断した言葉には全力でキレ散らかすのだけれど、それ以外の行動は中の人が望んだようにやるので、『折檻だァ!』と叫んでおいて特に何もせずにその場を離れたり、『万死に値する!』と言いながら普通に訓練をつけてもらおうとしたり、『愚弄するなァ!』と言いつつデザートまで普通にたいらげる。
言行が不一致すぎてたいそう愉快な人みたくなってしまっていた。
なお場の空気が凍り付いているので当事者としてはひたすら居心地が悪い。
「まずい……」
煽り(煽りではないと思う)にキレ散らかすところは制御できないが、訓練自体はたぶん本編の氷邑梅雪よりしているので、これで『才能があるのに訓練してないせいで実力がない』みたいなことにはならないだろう。
だが、人望が死ぬ。人望が死ぬとどうなるか。家中の者が味方してくれない。死ぬ。
このゲームは集団戦がメインなのだ。
基本的にネームドユニットが集団を率いているていでぶつかり合い、そうして部隊同士の戦いのすえに領地をとったりとられたりというようなことが起こる。
この時に率いることのできる集団の最大値は『統率』という数値で現され、氷邑梅雪の統率は一、ようするに最低値だ。一は一人を率いることができるという意味ではない。自分一人で戦場に立つという意味だ。
そりゃ家中でこんな感じなら誰もついて来んわ……というのが、氷邑梅雪に転生してしまったせいで納得できるリアリティを持ってしまった。
地雷がどこに埋まってるのかわからない、そして大量に埋まっていることだけが確定の平原を歩きたい者などいないだろう。氷邑梅雪はそれ。
自分だってそんな場所歩きたくないよ。わかるよ~と中の人はうんうんうなずくも、そのうなずいている肉体が地雷原です……
「まずい……どうしよう……」
破滅を避けるための第一の作戦、『人に優しくする』という、破滅云々の前に、人間として当たり前のことがぜんぜんできない。
そうなると、どうしたらいいか。
「もう、こうなったら……最強になるしかない……」
優しさと人望はもう、無理だ。
この煽り耐性の異常な低さはなんらかの神からの呪いにしか思えない。
だからあと、生き残るために氷邑梅雪の体でできること。
それは……
破滅のシナリオをぶっ壊す力を手に入れることだけ。
こうして、中の人は猛特訓を己に課すことを決意した。
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