第19話
ゆっくりと前かがみになったなるダグラスの体が、黒いシルエットに覆われたような錯覚を覚える。
すると瞬きの合間に、彼の姿は巨大なオオカミへと変貌を遂げていた。
黒々とした毛並みは夜露をまとったかのように艶やかに風になびき、血のように赤い瞳が闇夜に妖しくきらめく。
「っ!? ワーウルフ……!?」
「ふん……。あんな野蛮な連中と、一緒にしてくれるなよ?」
心外だと言わんばかりに鼻を鳴らしたダグラスは、一足跳びにエルザの頭上を飛び越える。
そうしてゆっくりとした動きで彼女を振り返った。
「おれはライカンスロープ。気高き人狼の末裔だ」
その声は凛とした響きを持ち、自信に満ちあふれていた。
何者にも惑わされず、己が生き方に誇りを持つその姿は、まるで彼が神々しいものであるかのような風格さえ感じさせる。
目の前の雄々しいオオカミの姿に目を奪われているエルザをよそに、ダグラスは低い雄叫びを上げると颯爽とグールの群れに飛びこんでいった。
一方で、先陣を切ったアリシアは目の前を横切ったグールの頭を鷲掴みにすると、勢いよく地面へとたたきつけた。
「もう! こっちに来ないでくださいまし! しつこい男は嫌われましてよ!」
奥から飛びかかってきたグールの攻撃を、アリシアは上空へと軽やかに跳躍してよける。
膝を曲げたまま飛び上がった彼女のナイトドレスの裾が、風を受けてふわり、と優雅に広がった。
「レディの足元にもぐり込むなんて、無礼にもほどがありますわ!」
ちょうど落下地点に転がりこんできたグールに向かって、アリシアはそう吐き捨てる。同時に彼女は、腐りかけたグールの顔面めがけて両足を突き出した。
下敷きにしたグールの頭から何食わぬ顔でちょこんと降りると、そのまま地べたに這いつくばる頭部を、片足を上げて力任せに踏みつける。
頭蓋骨が砕け、中身がつぶれたような耳ざわりな音に顔をしかめる間もなく、それはただの灰となって消滅する。
「アリシアー、そっち行ったよー」
「嫌ですわ、汚らわしい!」
ヴァンパイアの長く伸びた鋭い爪が、グールの腐った喉を切り裂く。
ライカンスロープの牙が脳天に突き刺さる。
おもわず耳をふさぎたくなるような奇声は、いつしか断末魔となり辺り一帯に響き渡った。
肉を切り裂き、骨が砕ける音がこだまする。
消滅していくグールの数に比例して、風に巻き上げられた灰が視界をさえぎっていく。
「こんなの見せつけられたら、かなうわけないじゃない……!」
こぶしを握りしめながら、エルザはにらむようにしてじっと戦況を凝視していた。噛みしめた奥歯が音を立てて軋む。
とてもじゃないが、自分の出る幕ではない。
いま戦場に飛びこめば、足手まといになるのは明白。くやしいが、このままウッドデッキから見守ること以外に、彼女にできることはない。
「っ! あれは……!」
灰に覆われた視界の中、ギルベルトの背後で影が揺らめいた。
地面から体を引きずるようにして、とどめを刺しそこねたであろうグールが起き上がる。
陽炎のようにゆらりと揺れるシルエットは、いまにもギルベルトに襲いかかろうとしていた。
――あいつ、まさか気づいてない!?
彼が目の前のグールの喉元を切り裂いた直後、それはギルベルトの背中めがけて飛びかかった。
「っ!? ギル! うしろ!!」
咄嗟にエルザは彼の名を叫んだ。
その声に瞬時に反応したギルベルトは、即座にきびすを返す。
彼は長い足に遠心力を乗せて、だらしなくよだれを垂らしたグールの脇腹を勢いのままに蹴り飛ばした。
息を詰まらせたグールは宙を舞い、待ち構えていたようにダグラスの牙がその喉元に食らいつく。
グールは断末魔も上げずに灰と化し、とたんに辺りはもとの静寂に包まれた。
「よし! しゅーりょー」
周囲の状況を見渡して、ギルベルトがのんきな口調でそう言った。
再び訪れた平穏に、彼は腕を前に突き出して首を回している。
特に何事もなかったように、三人はのんびりと歩きながらエルザの待つウッドデッキへと戻ってきた。まるで、そろって深夜の散歩にでも行ってきたかのような雰囲気である。
「まったくもう! 手が汚れてしまいましたわ」
「んなもん洗えばいいだろーが」
いつの間にか人型に戻っているダグラスは、ガーデニング用の蛇口をひねりながらため息をついた。
彼は勢いよく流れ出る冷たい水を口に含むと、口内をゆすいで水を吐き出す。噛み殺したグールの後味が気持ち悪いらしい。たしかに、腐った肉と血の混ざりあった味など想像したくもない。
ダグラスは何回か同じ行為を繰り返し、最後にバシャバシャと水しぶきを散らしながら顔を洗った。
いつの間に用意したのか、洗濯したてのふわふわのタオルから上げた彼の表情は、先ほどまでと比べればいくぶんかスッキリとしたように見える。
「やっぱり、もう一度シャワーを浴びてきますわ!」
ダグラスの横で丹念に手を洗い、彼の使っているタオルを強奪したアリシアが叫ぶ。どうやら彼女はひどくご機嫌ななめのようだ。
それも当然と言えば当然である。
せっかくの安眠を邪魔された挙げ句、戦うことを余儀なくされたのだ。おかげでおろしたてのかわいらしい白いナイトドレスが灰まみれである。
「エルザ? どーしたの?」
無言のまま彼らを見つめていたエルザに、手を洗い終わったらしいギルベルトが声をかけた。
彼女のこわばった表情からは困惑さえ見て取れる。
「ダグのオオカミ姿が怖かった?」
「……そうなのか? すまん」
ギルベルトの言葉に反応したのはダグラス本人だった。わずかに頭を下げたダグラスは、背丈に似合わず少々背を丸めている。
「ダグ大きいもんねー。希少種のライカンスロープは変化も思いのままだし、満月の夜は一段と力が増すからね。ワーウルフみたいに自我をなくすわけじゃないから、めったにオオカミ姿で人前に出てくることもないし。びっくりしちゃった?」
そう言って笑うギルベルトだが、エルザの表情はいまだ変わらず。
さすがのギルベルトも、反応を示さないエルザが心配になってきた。
「……エールザー?」
前かがみになってエルザの顔を覗きこむギルベルトに対して、エルザの関心は彼らの心配事とは別のところに向いていた。
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