第22話 ノアの絵

 ローレンの上着を着たことが分かってしまったのだろうか?俺の匂いがする、と俯いて…嫌がられてしまった…。俺はあの日、アルファとオメガの特別な繋がりを知った。『本能』という強烈な…強い絆。精神性なんて霞むくらいの、お互いがお互いを求める肉欲、その渇望。ローレンも、どこかでオメガを求めているのだろうか。だから俺の匂いを嫌がるのかも知れない…。


 



 マリクの発情期も終わり久しぶりに休みを貰ったのだが、何も気力が湧かない。しかしエドガー家の召使ベルと約束をしていたから仕方なく俺は街へ向かった。


「ノア…どんどん上手くなるわね!すごく人気なのよ!本当に!はい、これ!」

 ベルはそう言うと、謝礼入りの袋を手渡した。何だかまた、額が増えている気がする。大丈夫なんだろうか…?俺は少し、心配になった。


「大丈夫!ノアも…少しでも早く、借金を返したいでしょ?協力させて!」


 ベルはまた片目を瞑って見せた。そして次回の注文書を俺に手渡す。


「じゃあまたね!ノア!」


 俺たちは領都の街の、待ち合わせの目印にはうってつけの時計台の下で別れた。いつものようにまた来週、そう約束して。


 この後アロワの家へ行くため、画材が入った袋にベルから貰った注文書と謝礼の袋を入れた。


 その後、数歩歩いたところで後ろから肩を叩かれた。


「おい、お前。」


 振り向くと、エヴラール辺境伯家の騎士が複数いた。そのうちの一人は俺の前に移動して進路を塞ぐ。何だ…?戸惑う俺に説明もなく騎士は俺の腕を掴んだ。腕を掴んだのは以前、訓練場で俺に売春を持ち掛けた騎士だった。


「画家のギルドから市場で無許可に絵を売っている奴がいると訴えがあった。市場でものを売るには、ギルドを通すという法律になっている。ちょっと、来てもらおう。」

「え…?市場で?そ、そんなことしていません!俺はただ!」

「言い訳はエヴラール辺境伯家で聞く 」


 俺は問答無用でエヴラール辺境伯家の騎士団の詰め所へと連行された。軽微な罪は裁判などせずそこで、罰金額が告げられる仕組みのようだ。知らなくてもいいことを知ってしまった…。


「期日までに所定の罰金を支払うこと。エヴラール辺境伯様にも報告をしたが、『ノアは知らなかったんだろう 』とおっしゃってな?普通なら首になる所だが…罰金を支払えば今回はお許しいただけるとの事だ。寛大な処分に感謝しろ!」

 騎士の一人が罰金額のか書かれた紙を俺に差し出す。その金額を見て俺は震えた。

「こ、こんなに?!」

 罰金額は銀貨二十枚…!まさか、そんな…!俺の給料、何ヶ月分なんだ…?!

「なぜ、こんなに高額なのですか?!銀貨二十枚なんて、そんな… 」

「そんなも何も…。これは市場でお前が稼いだ額だ。しかも、売った証拠があった分だけだぞ!これもエヴラール辺境伯の温情…!」

全額で無いのだから、高くないだろうと罰金額を説明した騎士は言う。しかし、俺の動揺した様子を見て顔を見合わせると、騎士達は笑った。

「まさか全部使っちまったのか?顔に似合わず賭博場に出入りしているとか?」

 そんな事はしていない…。していないけど、言い返す気力も湧かず俯いた。最後に期日を告げられ、「関所には知らせてあるから、陸からは逃げられない。逃げるなら運河を泳いで渡るしかないな!」と脅された。逃げるなんて、考えてはいないが…。

 

 ベルが、俺の絵をギルドを通さず、市場で売っていた。ベルがそんなことをしていたという事にも驚いたが、その金額にも衝撃を受けた。俺が謝礼として受け取ったのは銅貨のみ…証拠がある分だけでその、何十倍…。

 借金を返して切り詰めて生活しているんだ。俺にそんな金、あるわけが無い。俺はとりあえず、ベルに話を聞かなければと、騎士の詰め所を出た。


 すると後ろから騎士が数人ついて来て、俺を取り囲む。その中には例の、俺に売春を持ち掛けた騎士もいた。


「おいお前…!破廉恥な絵を描いてだいぶ儲けていたんだな。しかし罰金を払う金はあるのか?全部賭博ですっちまったんだろ?ああ…娼館で働いて返すのか?」

「少しなら協力してやってもいい。店を通さないで、一回…銀貨一枚。なかなかいい条件だろう?」


 騎士たちは俺の腕を掴み、下卑た笑い声を上げる。


「なら私は、金貨一枚 」


 騎士達がぎょっとして声の方を見ると、声の主はフィリップだった。


「娼館の相場が分からないけど。それって高いのか?安いのか?」

 フィリップはそんな呑気な事を言っている。

 騎士たちは頭を下げて、足早にその場を立ち去った。


 フィリップの後ろに控える騎士の中に、冷めた顔のローレンを見つけて、頭が真っ白になった。こんなこと、知られてしまった…。


「ノア…お前は賭博なんかやりそうに無いけど…。だってここの所ずっと、働き詰めだっただろう?ひょっとしてお前の、『夫』がやっているとか?健気だなあ、お前…。この間も発情期のマリクに散々殴られたのにまだここにいるし。…そういう奴、嫌いじゃないんだ、私は 」

 フィリップは笑いながら俺に近づいてくる。俺の顎を指でなぞり、息を吹きかけ、俺の全身を品定めするように見つめた。その視線に、恐怖で鳥肌が立つ。


「そんな、恐れ多いです。じ、自分で何とかしますから… 」

「ふぅん…?」

 フィリップに何度も頭を下げて、俺はその場から逃げ出した。ローレンの表情は怖くて、確認できなかった。


 俺はエドガー家の邸まで走った。勿論ベルを探すためだ。

 エドガー家で対応してくれた侍従長から、驚きの事実が告げられた。ベルは一昨日から無断で休んでおり、心配した同僚が今日、自宅を訪ねたところ…そこは既にもぬけの殻だった、と…。


「ベルのやつ、色んな理由をつけて、ここの使用人仲間から金を借りるだけ借りていたんだ。どうやら良くない男と付き合っていたようで、そのまま飛んじまった。…参ったよ 」

 俺も貸してしまったんだ…と侍従長は頭を抱えている。そしてハッとしたように俺を見て眉を寄せた。

「そうか、お前も…?運が悪かったな。でももう返っては来ないな。多分… 」

「そんな… 」


 どうしよう…。多分ベルは俺の絵を違法に売って金を稼いでいた。自分の絵がそんなに金になるとは思っていなかったから、よく聞きもせずに絵を渡してしまっていた。卑しくも目先の金に目が眩んだ、自分の馬鹿さ加減が嫌になる…。


 俺は沈んだ気持ちのまま、エドガー邸を出た。


 もう、エヴラール辺境伯に頭を下げて罰金の支払いを待ってもらうしかない…。しかし罰金はエヴラール領の法律だ。辺境伯は許すのだろうか?俺だけ特例という訳には行かないだろう。もし、それが許されなければ強制労働所への送致になるかも知れない。それか、覚悟を決めて娼館で身売りするか…。


 天涯孤独の俺に、頼れるものなどない。


 ーーいや、あった。たった一つだけ…。

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