とにかくみんな死ねばいい。
探偵とホットケーキ
第1話
二〇二六年一月四日。
曇り空のような色のビルの二階。実は、此処に到着してから、かれこれ三十分ほどこうしている。時々ドアノブに手を掛けたり、下がったりを繰り返し、じっと考え込み――そして、一時間ほど経ってやっと、ドアを開けた。
「水樹、お疲れ様でした」
次の瞬間、ぱぁんと派手にクラッカーを鳴らされ、水樹はぎゅっと目を瞑る。上品な茶色のスーツにオーボエのような声を携えた黒髪の彼は、
「……理人。その言い方はやめてくれませんか」
「何故です? 事実に即していると思いますが」
水樹は、二〇二四年の夏に、とある事件を起こした。怪我人は一人も出さなかったが、豪華客船の船員たちを困らせてしまった。
そのため、一時逮捕され、裁判などを経て、今、此処に帰って来ている。勿論、これほど早く解放された裏には、理人や、もう一人の職員である
「今までの水樹の探偵としての功績が認められたのですよ」
と、面会の際に理人は言っていたが、気を遣わせないためだろう。
こうして、水樹は杖の音を響かせながら、約一年半ぶりに「探偵社アネモネ」に足を踏み入れた。
内装は何も変わっていなかった。事務所のソファはマリンブルー。グレーの机が三つ、その一つは理人の整頓されたスペースで、もう一つは陽希のもの。書類の類が散乱しているからすぐ分かる。そして、愛用していたパソコンが埃一つなく置かれている最後の一つの机が、水樹の場所だ。
この事務所の状況が、気持ちを落ち着かせてくれる。水樹は思わず頬を綻ばせた。
「何も変わっていませんよ。私たちも――嗚呼、陽希のピアスが二つ増えましたが」
理人は、水樹の様子を見ながらコーヒーを淹れつつ、そんな風に笑う。
「二つも!? 僕がいた当時から、右耳に三つも着けていませんでしたっけ」
「水樹がいなくて、退屈で。ついつい増やしてしまったそうです」
「そんなやつがあるか」
水樹はため息を吐き、常に皆がたむろしているソファに座る。そして、理人がコーヒーを淹れる背中を眺めた。
モカ豆をミルに入れる。ミルのスイッチを入れると、豆が粉になる音が部屋に響いた。理人が、その音に耳を傾けているのが水樹にも分かる。ミルが止まると、理人は粉をドリップポットに移し、沸騰したお湯を注いだ。すると、チョコレートだったりスパイスだったりするような甘く刺激的な香りが立ち上った。理人は、その香りに鼻を近づけて深呼吸した。
コーヒーが落ちる音がポタポタとリズムを刻む。理人は、ポットの上からコーヒーの色を見た。深い茶色の液体がゆっくりとカップに満たされていることだろう。
そして、その白いカップを水樹の前とその隣にもう一杯分置いて、理人も水樹の隣に座った。
「それで、陽希は何処へ?」
「さぁ……昨日、『水樹ちゃんが久々に来るから絶対サボらなーい』と宣言していましたが、いつもの通りに重役出勤でしょうか」
「本当に変わりませんね」
水樹が呆れて溜息を吐いた、その時だった。事務所のドアのすぐ外から、「あーけーて!」と元気いっぱいの声がした。
水樹と理人でハッとなって目を見合わせる。すると、もう一度、「俺だよー! あーけーて!」と声が響いた。
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