第11話 ゴキブリの存在意義 存在の哲学から離れた花

 次の日。朝のホームルームで、先生が体育祭と文化祭の話をした。体育祭は二週間後まで迫っている。文化祭は体育祭が終わってから一ヵ月後だ。

 放課後、残って文化祭で何をするか決めるようにと先生は言って、それでホームルームは終了となった。

 放課後になると先生に言われたとおり、私たちは文化祭で何をするか話し合った。みんなで意見を出し合って、いくつか出た候補の中から投票で選んだ結果、お化け屋敷をすることになった。


 お化け屋敷か……文化祭におけるメジャーな出し物だ。去年は全学年合わせて五クラスぐらいお化け屋敷をやっていたので、今年もそれぐらいあるだろう。

 私たちはそれから、お化け屋敷の準備における役割分担を決めた。衣装の創作をする人、飾りつけの作成をする人、お化け屋敷の順路や装飾を飾る位置を考える人などに分ける。    

 私と立華は飾り付けの創作を担当することになった。そして役割分担を決めたところで、今日は終了となった。

 学級委員長が、翌日から少しずつお化け屋敷の準備をするから、できるかぎり学校に残って作業をしてほしいという。

 正直言って、居残って作業をするなんて嫌だ。だって、文化祭なんて私には地獄のようなイベントだし……。

 体育祭や文化祭などのイベントは、リア充にとっては楽しいイベントなのだろう。だけど、私みたいな非リア充にとっては地獄なのだ。

 去年の体育祭はひっそりと百メートル走に出て三位を取った後、最後の競技であるクラス対抗リレーまで一人でポツンと他の人たちのプレーを眺めていた。

 文化祭に関しては、去年の私のクラスは自主制作映画をやっていたのだが、私だけ映画に出させてもらえなかった。一日目は一人で寂しくぶらぶらと校内を回っていたのだが、文化祭なんて一人でブラブラしてもつまらないことがわかったので、二日目はサボった。

 今年は、体育祭は競技に出ないといけないので参加するが、文化祭はできたら全日サボろうかと考えている。

 体育祭や文化祭なんてリア充のためのイベントだ。なくなっちゃえばいいのに。 いや、そもそも学校自体リア充のためにあるような場所だ。学校なんてなくなっちゃえばいいのに。


 ……さすがに極論か。

 正直に言うと、体育祭や文化祭を楽しめる人が羨ましくて羨ましくてしかたがなかった。高校生活をエンジョイしている人が妬ましくて妬ましくてしかたがなかった。去年文化祭をサボったのは、自分の惨めさに耐えられなかったという理由もある。

 今年も私は惨めな気分を味わうのだろうか?

 そんな不安を抱きながら学校生活を送っている内に、体育祭当日の朝がやってきた。この日、私は二百メートル走に出ることになってる。他に出るのはクラス対抗リレーだけだ。

 女子更衣室で体操服に着替え始める。着替え終えたら、グラウンドに集合だ。私が上着を脱いでいると立華が、


「ねぇ、モカちゃん、モカちゃんは今日何に出るの?」


 上着を脱いで、上半身はブラを付けているだけになっている立華が訊いてきた。

 着替えるとき、立華の白い肌や豊満な胸にどうしても目がいってしまう。 ずっと前から体育のときなどで一緒に着替えてはいたが、いまだにドキドキしてしまう。特に最近はそれが顕著だ。


「に、二百メートル走だけ」


 立華から目を少し逸らして言うと、


「あ、そうなんだ。じゃあ、応援するね。がんばって!」


 朗らかな笑顔で激励される。

 応援されるのなんて初めてだ。私は少し救われた。


「……ありがと。私、がんばるよ」

「いやいやこれぐらい当然だよ」


 立華が胸の前で右手を左右に振る。


「立華は何に出るの?」

「私は百メートル走と四百メートルリレーと八百メートルリレーとスウェーデンリレーに出るよ」

「……ずいぶん多いね」

「あはは、立華は足が速いからって言われて、たくさん入れられちゃったの」

「大変だね。嫌じゃないの?」

「大変だけど、それだけみんなが私を頼りにしているって事だからね。嫌じゃないよ」

「……そっか」


 私だったら嫌だけどなぁ。

 私たちは着替え終えた後、グラウンドに出た。数分後開会式が始まり、無駄に長ったらしい校長の話を聞き終えた後、ようやく開会式が終わって体育祭が始まる。

 私たちのクラスは、グラウンド南西側のちょうど角辺りが座席の位置となっている。開会式が終わるやいなや、私たちはそこに移動して安っぽいパイプイスに座り始めた。席の配置は教室での配置と同じになっているので、私と立華は教室と同じく隣同士だ。


「じゃあ、モカちゃん、私行って来るね」


 立華は自分の座席に着いて、席に水筒やタオルを置くとすぐに出て行こうとする。

 そうか、最初の競技は立華が出る百メートル走の予選からか。辺りを見ると、一部の生徒がぞろぞろと移動しているのが見えた。


「うん。がんばってね」

「ありがと。じゃあ、行ってくる!」


 私だけでなく、クラスのみんなに応援されながら立花はここから離れていった。

 数分後、応援席と選手たちがプレーする場所の境界を示す白線の内側――選手たちがプレーする場所で、百メートル走の予選が始まった。選手たちはグラウンド北東側辺りでずらっと並び、号砲と共に走り始める。

 なかなか立華の出番が来ないので待ち遠しく思っていると、五走目で出てきた。南側の一番端のレーンなのでここからはっきりと見える。

 号砲が鳴り、立華と他の選手は走り始めた。立華はスタートダッシュの時点で他を引き離す。そこから徐々にストライドを大きくして加速していった。他の選手たちはどんどん差をつけられていく。

 立華の走る姿は美しかった。長い足を活かした大きなストライドで走る姿は、さながらチーターのようだ。

 結局、他の選手は全く差を縮められず、立華はぶっちぎりでゴールした。その途端にクラスが湧く。他のクラスでも、「はえー」「そこらへんの男よりよっぽど速いんじゃないか」などの声が聞こえてきた。

 立華が戻ってきた。一斉にクラスメイトたちが「一位おめでとー」「立華ちゃん速すぎー」「すごーい」などと、立華に賛美の言葉を投げかける。それらの言葉に、立華は「そんなことないよー」と言って苦笑しながら、私の隣に来た。


「おつかれさま。一位おめでとう」

「あはは、ありがとー。モカちゃんいつ出るの?」

「この百メートル走が終わった後」

「あ、じゃあもうすぐだね」


 そのとき、突然「キャー」という女子たちの甲高い声が響き渡った。

 なんだと思って白線の内側を見ると、女子の百メートル走はいつのまにか終わっていて、男子の百メートル走が始まっていた。そして、城ヶ崎浄が走っている最中だった。

 立華と同じく手足の長い彼の走りはダイナミックで、周りに圧倒的な差を付けている。そのまま大差をつけてゴールすると、女子の歓声がさらに大きくなった。

 確かにかっこいいが、正直うるさい。


「あはは、すごいねー。城ヶ崎くんは」


 立華が眉を垂れ下げて笑う。


「立華もすごいよ」

「え、そうかな。照れるな」


 私の褒め言葉に立華は顔を赤くして、ぽりぽりと頬を掻く。

 やがて男子の百メートル走は終わり、私が出る二百メートル走の番になる。


「じゃあ、そろそろ行ってくるね」

「いってらっしゃい。がんばってね!」


 立華がグッと両手を握って言う。私はそんな立華に手を振って、ここから離れていく。私を応援してくれたのは立華だけだった。

 二百メートル走はグラウンドの北側から走り始める。そこの辺りに集合して、出番を待つ。

 私は一番右端のレーンだ。私と一緒に走る選手を窺うと、私以外全員スパイクを履いていた。一方、私が履いているのは安い上に使い古したスニーカーだ。

 全員運動部なのだろうか? どいつこいつも筋肉質な脚で、見るからに速そうだ。

 立華には悪いけど、これはあまりいい順位取れないだろうな……。

 私の出番が来る。号砲が鳴り、スタート。序盤はあまり差をつけられなかったが、前を走る五人にどんどん差をつけられる。

 ああこれはダメだなぁ、と思っていると、


「モカちゃんガンバレー」


 という声が聞こえてきた。応援席の方を見ると、立華が一人だけ立って周りの目も憚らず叫んでいた。

 まったく立華は……。

 私は力を振り絞って加速する。正直言って普段運動なんてしていないので苦しい。辛い。でも、あんなに立華に応援されて、がんばらないわけにはいかない。

 うおおおおお、と心の中で叫んで走る。前に走っている選手が目の前まで来る。

 苦しい。辛い。でも、もう少し。もう少しで……。

 最後の力を振り絞る。ゴールの手前で、一人抜く。そしてゴールの線を越えた。

 私は疲れきってゴール線から数歩歩いたところで地面にどさっと座り込んでしまう。息が荒い。苦しい。でも、清々しかった。

 まぁ、一人抜いたといっても結局六人中の五位だ。微妙すぎる。


 溜息をついて席に戻ろうと移動する。その途中、応援席から「さっき走ってたヤツの顔見た? マジでキモかったよなー」「なー。見てるだけでゲロ吐きそうになったわー」という声が聞こえてきた。

 これ、どう考えても私のことだよな……。

 ……必死に走った結果、このような事を言われると、がんばったことがバカらしくなる……。

 沈んだ気分で自分の座席に着くと、立華が太陽のように眩しい笑顔で出迎えてくれた。


「おつかれー! かっこよかったよ!」

「そんなことないでしょ……私、五位だよ?」

「でも、がんばったじゃん、最後の方で一人抜いたし。すごいよ!」


 心からそう思っているような真剣な表情の立華。

 私は少しだけ救われた気がした。


          *


 午前中の競技は全て終え、昼休みになった。運動場でご飯を食べる人もいたが、私と立華は教室に戻り、いつものように机をくっつけて弁当を食べることにした。


「モカちゃんはもう出る競技ないんだっけ?」


 立花は箸を動かすのを止め、喋った。


「うん。後はクラス対抗リレーで走るだけ」

「いいなー、私はもう疲れたよ」


 立華は机の上に突っ伏して、組んだ腕にあごを置いた。

 立華は午前中に百メートル走の予選と四百メートルリレーと八百メートルリレーとスウェーデンリレーに出ていたので、疲れているのも当然だろう。しかも、午後からは百メートル走の本戦があるから、なおさら大変だ。

 二百メートル走も午後から本戦があるが、本戦に進めるのは二位までなので、五位の私は出れない。まぁ、べつに出れなくてもいいが。


「でも、がんばるよっ! みんなに期待されてるからねっ! その期待に応えないと!」


 机の上から上体をガバッと起こす立華。そして、立華はパクパクとご飯を咀嚼しだした。

 みんなに期待されてる……か。立華はみんなに必要とされている……それに比べて私は……。

 先ほど二百メートルを走り終えて席に戻ろうとしたとき、キモイとか見てるだけでゲロを吐きそうとか言われたことを思い出す。

 私に……私に存在する価値などあるのだろうか?

 こんなにも疎まれる私に……。存在するだけで人を不快にしてしまう私に……。

 神様はどうして私なんかを創ったのだろうか?

 立華は――私と全く異なる立華は、自分の存在理由についてどう思っているんだろうか?


「立華は、自分の存在理由についてどう思っているんだろうか?」

「へ?」


 立華がマヌケな声を上げて、呆けた顔をした。

 発言した本人である私もびっくりしている。気づいたら、口に出ていたのだ。


「ど、どうしたの? 急に?」

「い、いや、なんでもないよ。なんでもない」


 私がすごい取り乱しながら言うと、立華は珍しい生物でも見るような顔をした。だが少し経つと、あごに右手を添えて、なにやら考え込んでいる仕草をしはじめる。やがて立華は開口した――


「私も昔よく考えていたよ、そういうこと」

「へ?」


 今度は私がマヌケな声を上げてしまった。


「一時期そのようなことをずっと考えていたんだけどさ、どれだけ考えてもそんなのわかんなかったよ。というより、考えているうちにそんなのわかるわけないことに気付いたんだ――」


 立華はそこで話をいったん止め、水筒からお茶を飲んだ後、また続ける。


「――それでね、昔はさ、世界の意義とか、自分の存在理由とかを、わからないで生きなくちゃいけないことに理不尽さを感じていたけど、最近はそういうのどうでもいいと思えるようになってきたの。だってそんなの知らない方が自由に生きられるでしょ。自分が存在する意味なんて知ったら、私はその意味に縛られて生きないといけなくなってしまうじゃない」


 そこまで言って、立華はご飯を再び食べ始めた。

 新鮮な考え方だった。自由……か。たしかに意味なんて知らない方が自由に生きられるのかもしれない。

 ……でも、私はどっちみち自由にはなれないな。汚い私は輝かしい舞台に立てないから……。汚い私は汚く生きていくしかないから……。

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