レオナードの十年間
アンリが消えた。ピアスだけが残された。
レオナードは、手がつけられないほど荒れた。
対外的には何ら変わらない態度をとっていても、プライベートは大層荒れた。誰も寄せ付けず、食事もろくに取らず、空いた時間には生ける屍のようにピアスを見つめている。
本当は、王城へ彼を呼んで、修理したピアスを渡すはずだった。
アンリの喜ぶ顔が見たくて、レオナードは頑張ったのだ。これから先の人生をアンリと過ごしたくて、今は無理でもいつか迎えに行くから、待っていてほしいと言いたくて。
だけどアンリは、レオナードを置いていった。
国内は、重臣の起こした大事件で大荒れだった。
誰もが、アンリのことを忘れろという。その通りだとレオナードも思った。だけど、忘れられるはずがないのだ。アンリの隣で、ただの少年として息ができたあの喜びが、どれほど大きかったことか。
アンリが好きだった。それすら、本人へ伝えられなかった。
「見てろよ、アンリ」
だからレオナードは止まらなかった。ありとあらゆる手を尽くして、王太子である兄の敵対勢力になるように動いた。不穏分子を味方につけて、同時に、自身の失脚の種をばら撒く。
従者と姉は、レオナードを咎めた。
「どうして破滅へ向かおうとするのです」
「最近のやけになっているあなたはもう、見ていられないの。いい加減にして」
何を言われても、レオナードは止まらない。
これが、レオナードが人間として破滅しない唯一の方法だと、信じていた。
二十歳を迎えた頃には、悪辣な王子として名を馳せていた。アンリが見たら叱ってくれるだろうかと思った。
随分と背が伸びた。女性から秋波を送られることが増えた。アンリも、かっこいいと思ってくれるだろうか。
欠片も好意を持っていない人間と、利害のために肉体関係を持つこともあった。こんなもんかと思った。行為のあと自室に帰ると、決まってアンリの肌のにおいを思い出した。
二年、三年と時間は過ぎる。レオナードは王族の中でも、手のつけられない野心家と言われていた。どうして父と兄が自分をまだ野放しにしているのか、分からないくらいには。
二十四歳。国王に呼び出された。
「レオナード。お前はどうしてこんなことをしているんだ?」
国王は、「お前はそんなことをする人間ではなかった」と静かに言う。レオナードは、「いいえ」と彼は首を横に振った。
困ったように眉間へしわを寄せながら、国王はおもむろに口を開く。
「……お前を、辺境へ追放しようという動きが、王太子の一派から出ている。このままでは、本当にそうなってしまうぞ」
「今より自由に動けるならば、それで構いません」
目も合わせないレオナードに、そうか、と国王は頷いた。そして困ったように顔をしかめながら、机を指で叩く。
「魔獣が多く、整備が進んでいない街がある。そこの再開発事業を、お前へ任せようと思っているのだ。これが、お前へ与えられる最後の機会だぞ」
レオナードは断ろうと口を開いた。それと、と、彼は付け加える。
「お前が仲良くしていたベレット家の息子が、その辺りで暮らしているらしいな」
レオナードの呼吸が、比喩でなく止まった。父は「おや」と目を丸くして、考え込む仕草をとる。彼の指が机の上を滑り、ぴたりと、レオナードの前で止まった。
「……うん。私とお前の利害を、うまく落とし込めそうなところが見つかった」
そして、少しだけ寂しそうに笑った。子を思う親らしい、優しい顔だった。
レオナードは、やっと顔をあげた。国王の顔は、穏やかだった。深々と頭を下げて、礼を言う。
「ありがとうございます」
二十五歳。レオナードは失脚した。
二十六歳。辺境への追放が決まった。
王城から退去する日、赤ん坊のころから仕えてくれていた従者はため息をついて、レオナードに言った。
「負けました。あなたの粘り勝ちです」
うん、とレオナードは頷いて、従者と姉に頭を下げた。喉の奥から、謝罪の言葉を絞り出す。
「散々迷惑をかけた。すまなかった。元気で」
二人は泣きそうな顔で、レオナードに最後の礼をとった。
もう二度と、ここへは戻れないだろう。だけどたった半年、一緒にいた人の隣が、レオナードの居場所だと決めていた。
自分を愛してくれた人も、自分を育ててくれた人も、何もかもを捨てて、レオナードはアンリへ会いにいく。
後先も考えず、飛び込んでいった。
その人は、武具店を営んでいた。
その人は、レオナードを忘れていなかった。
その人は、レオナードを好きだと言ってくれた。
油と金属となめした皮のにおいの漂う、アンリの築いたすべての中。彼を腕の中に閉じ込めて、レオナードは死ぬなら今がいいと思う。首筋に顔を埋めるには背が伸びすぎて、耳元に鼻を当てた。あの頃と同じ、ほっとする肌のにおいがする。
小さな手が背中に回されて、なだめるように撫でてくれた。呼吸の音が耳に届いて、あたたかくて、どうにかなってしまう。
「すみませーん」
は、とアンリが顔をあげる。レオナードの背中を叩いて、「離れて」と囁いた。
「お客さんが来ました。出ないと」
「ん」
なおも抱きしめていると、アンリはため息をついた。そのままするりと、身体が抜ける。本当だったら、すぐにでも抜けられたのだろう。なのにずっと、レオナードをなだめるために、腕の中にいてくれた。
「はい、今行きます!」
レオナードは、ついさっきまであたたかい身体のあった腕の中を、じっと見つめた。
店先を見ると、アンリは店先で客と話し込んでいる。どうやら、銃の手入れの相談のようだった。
「悪いねアンリちゃん。最近、あんまり銃のメンテナンスに来てなかったからよ」
「やり方は教えてるじゃないですか。もう」
ぷりぷり怒りながら、アンリは慣れた様子で銃を分解していく。その顔へ向けられている不埒な視線に、レオナードの眉間へしわが寄った。
(あいつ、にやけた面しやがって)
「アンリ」
店の奥から声をかけると、アンリが振り返った。客が、ふと店内を見る。
「誰か来てるのか?」
「昔馴染みが、ちょっと」
へえ、と、客は興味を惹かれたように、さらに奥を覗き見た。そしてレオナードと目が合い、縮み上がる。
「な、なあ、あのでかい奴か?」
「はい」
アンリは集中しているのか、相槌もおざなりだ。レオナードはのっそりと歩み寄り、背後からアンリの手元を覗き込んだ。アンリがちらりと視線だけで振り向く。
「後で構ってあげますから」
ん、と頷いて、アンリの肩に顎を置いた。彼は振り払うでもなく、淡々と作業を続ける。
「今は無理。どいてください」
集中すると対応が雑になるのは、出会った頃から変わらない。レオナードは口元を緩めて、そして客へ視線を向けた。
その視線に、客は顔を引きつらせる。レオナードはアンリの腹へ腕を回す。
レオナードがにらみを利かせている間に、アンリは組み立てまで終わったようだった。銃をもとの形に戻し、安全装置を確認している。
「はい。手入れはこれでおしまい。試し撃ちしていきますか?」
「い、いや。今日はいいや」
客は慌てて銃を受け取り、代金を支払って立ち去っていった。
あれ、とアンリは、彼の背中を見送っている。レオナードは、その油まみれの手を取った。
「終わったら、構ってくれるんだろう?」
「邪魔した人が、何言ってるんですか」
アンリが、呆れたように言う。じっとりと不満げな視線に、レオナードの口元がゆるんだ。
その頬を指の背で撫でると、ん、とアンリが気持ちよさそうな声をあげる。
「キスしていいか?」
「さっきしたでしょうが」
文句を言って尖った唇に、そのまま吸い付く。これはくせになるな、とどこか冷静な部分が思った。
(くせになってもいいか)
唇を食みながら、レオナードは、そのあたたかさへ夢中になった。
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いつも読んでくださってありがとうございます!
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完結まであと少しですが、よければ最後までお付き合いください。
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