第33話 追憶

 三院会議と食事会があった日から3日が経った。この3日間は、食事会で知り合った商会に訪れたり、クリーンの街を観光したりして過ごした。


 そして迎えた今日。ブルースに帰る日である。旅行から帰るというのはやはり寂しい気持ちであるが、正直なところ、帰れて嬉しいといった気持ちの方が大きい。なぜなら、この街は私のような年寄りにとっては、色々と情報量が多すぎるからだ。ブルースの平凡な街並みが恋しい。


 朝の8時頃にホテル前の駐車場に集合と言われていたので、少し早めに支度を済ませてホテルを出た。


 ミックが大荷物を持ったまま、名残惜しそうな顔でホテルを眺めていたので、「そんなに帰りたくないのか?」と訊いた。


 するとミックは「俺、いつかクリーンに移住するよ」と言った。冗談を言っている様子ではなかった。


「ドレイアの英雄の名が泣くぞ…というか、この街がそんなに気に入ったのか?」


「そうだな。とても気に入った。具体的には"第一西地区5丁目"がな」


「…まあ、そうだと思ったよ」


 そんなくだらない話をしていると、ルルシエルが大荷物を持ってホテルから出てきた。その大荷物を荷馬車に積み終えると、ついに出発のときが来た。


 ルルシエルが荷馬車の中から「出発するわよ。昌彦もさっさと乗って」と言ってきた。私は改めてホテルを上から下までじっくりと見た。心の中で「数日間ありがとう」と告げて荷馬車に乗り込もうとしたそのとき、背後から誰かに肩をつかまれた。そして、「待て。君は私と来てもらおう」と言われた。


 驚きつつ後ろを振り返ると、そこにはレイラ・バレンタインがいた。つい数秒前は誰もいなかったはずなのだが…


 私が言葉を発するより先に、荷馬車の中のルルシエルが「ちょ! レイラ!? なんなのよ一体!?」と言って、焦った様子で荷馬車から降りてきた。


 レイラは相変わらず落ち着いた様子で「さっき言った通りだ。昌彦を数日貸してもらいたい。目的地はもちろんファズの街だ」と言った。


「いや、そういうことじゃなくて…昌彦を連れていく理由は何なの?」


 レイラは口元に手を当てて、「…そうだな。昌彦に頼みたいことがあるからだ」と言った。


 ルルシエルが少し呆れた様子で「それで、昌彦はどうしたいの?」と訊いてきた。


 私は考えるふりをした。そして「…俺は行っても構わない。特に予定もないしな」と言った。最初から断るつもりなんてなかった。断る理由がないからだ。それに、ファズにも行ってみたいと思っていた。


 レイラは「昌彦本人もそう言っているわけだし、彼は私が連れていく」と言って、そそくさと自分の荷馬車の方に歩いていった。


 ルルシエルは私の目を見て「まあ、行ってきなさい。気をつけてね!」と言った。


 私は少し気まずそうに「ああ。行ってくるよ。それと、ミックにお願いなんだが、ブルースに帰ったらティカに色々と伝えといてくれ。じゃあ」と言って、レイラの後ろをついて行った。


 後ろでミックが「羨ましい奴め!」と言っているのが聞こえてきた。


 私はレイラが乗った荷馬車に乗り込んだ。不思議なことに、その荷馬車は荷物が積まれているだけで、レイラと私以外には誰も乗っていなかった。普通なら護衛の人とかが乗っているはずなのだ。それに、レイラ自らが馬に跨っていた。


 これをおかしく思った私は「なぜレイラさんが手綱を握るんですか? 護衛の方とかがやることだと思うんですけど」と言った。


 レイラは馬のたてがみをさすりながら「護衛はつけていない。クリーンには私1人で来た」と言った。


「護衛をつけるのってルールじゃないんですか?」


「それはそうなんだが、私から国王に『私に護衛は必要ありません』と申したら、特例として護衛なしを許してくれた。私の場合、自分の身は自分で守れるからな」


「まあ、確かにそうですね。でも、御者くらいつけてもよかったんじゃないですか?」


「私は一人の方が好きなんだ。さあ、私たちもそろそろ出発しよう」レイラはそう言って、馬を手綱で叩いた。


 私とレイラを乗せた荷馬車は、ファズを目指して軽やかに走り出した。


 クリーンの街中を南東に向かって5時間ほど走ると、やっと平原の道に出た。クリーンはロウサーニャ王国の王都なだけあって広かった。それから、日が暮れるまで平原の道を走り続けた。


 その日の夜の8時頃、荷馬車を停めて夕食を食べることにした。薪を集めて火を焚いて、それを囲むように私とレイラは座った。


 レイラが、肉を焼いている私をぼんやりと眺めながら「こういうことも懐かしいな…いつぶりだろうか…」と言った。どこか寂しそうな様子だった。


 私は肉の焼き加減を確認しながら「冒険者時代のことですか?」と訊いた。


「そうだ。肉を焼いている君を見ていると、ふと思い出した」


「…やっぱり昔の方が楽しかったですか?」


「ああ。それはもう、本当に楽しかった。4人でパーティを組んでいてな。毎日が新鮮で…あいつらは今何してるのだろうか…」


「ということは、もう会ってないんですか?」


「そうだな。何十年も会ってない。3人のうち2人は私と同じエルフだから、まだ生きているはずなんだがな」


「どこにいるのかも分からないんですか?」


「別れ際に『カタハヤ共和国に行く』とは言っていた。何十年も前のことだから、今もいるかは定かではないが」


「また会いに行ってみたらいいじゃないですか」


「そうしたいのは山々なんだが、審判院代表という職務がある以上、それはできない。まったく…昔の自分に手紙を送れるなら『冒険者をやめるな』と言ってやりたい」


 私は焼けた肉をレイラに渡しながら「なら、いっそのこと審判院をやめてみるってのはどうですか?」と言った。


 それを聞いたレイラは柄にもなく笑って、「それもいいかもしれないな」と言った。普段の冷徹さが感じられない、可愛らしい笑顔だった。


 その後、肉を食べ終えると、明日に備えて早めに眠った。


 それから2日後、レイラの「昌彦。ファズに着いたぞ」と言っている声で目が覚めた。目を開けると、レイラが私を見下ろしているのが見えた。私が起きたのが分かると、レイラは「さっさと降りよう」と言って、荷馬車から降りた。


 私は眠い目をこすりながら荷馬車を降りた。辺りはまだ暗かった。レイラが「こっちだ」と言って、2階建ての煉瓦造りの家に入っていった。とてもじゃないが審判院本部には見えなかった。しかし、特に何を言うでもなく、レイラの後に続いて私も家の中に入った。

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