ブラッド×ブラッド
名月 遙
プロローグ
死に場所を探していた。
それを妄想から現実に移すのは意外にも早くて、何年か前から、僕は散歩と称して、深夜に出かけたりしていた。
ただ、死にたいと思っていたわけではない。かといえば、生きたいと思っていたわけでもない。積極と消極が互いに交わり続けて、いつしか僕は生と死が同居しているような、そんな毎日を送っていた。
通い慣れた教室は、凍えるように寒かった。
都会にしては、今日はよく星が見える。空を塗すように散らばった星はキラキラと輝いていて、名前を呼んでと主張している気がした。
ごめんね、君たちの名前を僕は知らない。
整然と並んでいた椅子と机はほとんどが大破して、誰かの私物も散乱していた。教室からでも夜空が見えるのは、天井が空撃にでもあったかのように、根こそぎ取られてしまっているからだ。
それはさながら戦場の教室の様相を呈していた。冷たい空気が絶えず僕の肌から体温を奪っていく。だんだん寒いという感覚が薄れていくのがわかった。死の足音がもう耳のそばまでやってきている。
人生、十六回目のクリスマス。
僕は家族や恋人、友人といるでもなく、たった一人で死を待っていた。生きることにしがみつけばやれることはあったかもしれない。止血をすれば猶予が生まれるし、その間に救急車を呼べば間に合うかもしれなかった。
けれど、僕は何もしなかった。
学校の教室が死に場所になるというのはちょっと複雑だったけれど、まぁこういうのもありかもしれないと思えた。
夜空に固定されていた眼球を少しだけ自分に向ける。
血だまりがあった。
初めて目にする大量の血に、僕は思わず笑みを零した。走馬灯を見るよりも、美しい夜空を見るよりも、僕にとってこの赤い血が心を穏やかにする。悪くない結果だった。もう最初に感じた激痛の感覚もなくなっている。きっとこのまま眠れば僕の命はそこでお終いになるだろう。
ただ一つだけ気がかりがあるとすれば、今日出会ったあの子のこと。
けれど、それは杞憂だろう。
あの子は僕と違って、どんな挫折や困難にぶつかっても明るい未来に向かって走ることができる。僕になかった強さを持っている子なんだ。
「
消失しかけた僕の意識は、その呼び声に僅かな力を取り戻した。
赤みがかかった長い髪を揺らした少女が僕のそばへやってきた。お気に入りだと言っていた長いフレアスカートは腰までスリットが入ったように破けてしまっている。それでも怪我はないみたいだ。それも余計な心配だろう。この子は世界で一番頑丈な女の子だから。
「冬紀、しっかりしてっ」
僕の側にしゃがみ、スカートに血が付くのも気にせずに彼女は僕の頬に手を触れた。彼女の手は氷のように冷たい。夜空を覆う冷たい空気よりも遙かに冷たかった。それは彼女が彼女たる所以でもある。
彼女、カシア・シルヴァレイズは夜がよく似合う女の子だった。
僕と同じ十六歳の彼女は、端からみれば美しく可憐な少女だ。学校に行けばきっと人気者になる、クラスメイトに囲まれる彼女を想像するのは難しくなかった。
「……君の、お父さんは?」
辛うじて、僕が問いかけるもカシアは首を横に振った。
「そんなこと気にしなくていいから。気を強く持って」
カシアはもう片方の手で僕の肩口の傷を強く圧迫していた。それでも出血しているのは見なくてもわかった。生きるつもりなんてなかったけれど、もしかしたら最初から手遅れだったのかもしれない。自分の命がじわりじわりと外に流れていくような感覚があった。
「ルドっ。何か方法はないの!」
焦りを滲ませたカシアが誰かに問いかける。どこかで耳にしたような名前だった。
「血を流しすぎている。もうダメだろう」
トーンの高い綺麗な声だった。それでも男の人だとわかる力強さも感じられた。けれど姿が見えない。誰だろうか。
冷静な返答にカシアは何も応えなかった。その代わり、僕の傷口を圧迫する手を強めた。もう声を出すことも叶わなくなってきた僕は、彼女を見つめて訴える。いまこの場で僕の死を拒んでいるのは君だけなのだと。
うまく伝わったのだろう。カシアはかぶりを振った。
「ダメよ、絶対にダメッ。約束したじゃない。私を……学校に連れて行ってくれるんでしょ!」
それは僕じゃなくても大丈夫。
だって、君は一人でここまで来たんじゃないか。
一人でも走れる強さを持っているじゃないか。
心が読めるのだろうか。カシアは切なげな表情で再び首を横に振った。そして、僕の身体を抱き起こした。血が滴る音が死神の足音に聞こえた。
「冬紀。あなたは自分の価値に、頓着がなさ過ぎるわ」
彼女は困ったように微笑み、意を決したように僕を抱きしめた。彼女の息づかいを耳元で感じた。
「よせ、正気か」とルドと呼ばれた彼の口調が鋭くなった。叱責と焦りが含まれているように聞こえた。カシアが何かをしようとしている。けれど、もはや僕には拒むことも尋ねることもできそうになかった。
カシアはルドの声には耳を傾けず、小さくそれでもはっきりとした声で僕の耳に囁いた。
「あなたは今日、私と出会った。これは……運命だったのかしらね」
そして、彼女は告げる。
その声色はカシア・シルヴァレイズという少女ではなく、吸血鬼の王としての威厳に満ちたものだった。
「生きろ。これは私からの祝福だ」
何かをされた感覚があった。身体の重量が増したように重くなったと思いきやすぐに綿毛になったように軽くなる。まるで身体全体が自分のものではなくなったみたいだ。それでも異物感はなくて、むしろ心地良いと思えるくらいだった。
これが死の感覚なのだろうか。死ぬことが全てを失うことなのだとしたら、最後に感じるこの感覚は心地良いと思えるものだった。
僕はカシアの肩越しに見える夜空を見つめていた。僕を抱く彼女の冷たい体温はとても心地よくて、少しでも長く感じていられるように重たくなる瞼に抵抗し続ける。
僕の意識が完全に消失するまで、カシアは僕を抱きしめ続けていた。
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