第25話 領主になったアルス

 アルスは振り向きざま反射的に距離を取って身構える。見ると、先ほどベルンハルトの隣にいた若い女性武官だった。心臓の鼓動が早い。彼女がもし、僕を殺すつもりで近づいていたのなら僕は今頃死んでいただろう。そう考えるだけで冷汗が止まらなかった。そんなアルスの胸中など意に介さない様子で、彼女は先ほどと同じにこやかな表情で話し始める。


「びっくりさせてしまってごめんなさい殿下。私はベルンハルトさまの配下で十傑のひとり、バーバラと申します」


「・・・・・・」


「ふふっ、そう警戒なさらないでください。ただ、先ほどベルンハルトさまの言動を謝りに来ただけですから」


 彼女は微笑を浮かべたまま、両手を広げて敵意が無いことを示しつつアルスにゆっくりとした足取りで一歩近づいた。彼女の動作にはムダがない。


 穏やかに見えるのは武技に対する絶対の自信からくるのではないか?そんなふうに考えさせられてしまうほど、彼女が纏う雰囲気と行動にチグハグ感を感じた。そもそも、普通に声を掛けるだけならアルスの背後から気配を消して近づく必要などない。


「どういうこと?」


「深い意味はないんです。ただ、ベルンハルトさまはあれで、アルスさまのことを認めていらっしゃるんです」


「・・・・・・そう」


「ええ、ですから余り悪く思わないで頂けたら光栄です。それだけですわ」


「・・・・・・」


「それでは、失礼いたします」


 そう言うと、彼女はお辞儀をしてもと来た道を戻っていく。あとに残されたアルスは彼女が言った言葉の内容よりも、その所作に気を取られていた。彼女のそれは「絶対的強者」が見せる振る舞いであった。


 もし彼女と闘うことになったら・・・・・・僕は勝てるんだろうか。


 十傑・・・・・・と彼女は言った。つまり、あと9人は彼女と同等かそれ以上の力を持った人間がベルンハルト兄さんの下にはいるということになる。先ほどのあの若い男の武官もその一人だろうか。僕はかなり鍛えてきたつもりだったけど・・・・・・もっと強くならないといけない。アルスにとって、このことは衝撃的な出来事であった。


 死の危険を感じた冷汗は、冬の寒さでアルスの身体を冷たく凍らすのだった。


「やることいっぱい増えちゃったな・・・・・・」


 アルスは天を仰いでそう呟くと、重い足取りで自室に戻って行く。領地を得た喜びなど既にどこかに吹き飛んでいた。




              領主になったアルス




 王都ヴァレンシュタットを離れ、エルン城に戻ってからというものアルスは大忙しであった。3大ギルドの動向やベルンハルトの部下など気になることもたくさんあったが、今は荒れた領内を立て直すことに全力を注いでいる。


 この領地には大小さまざまな村が点在しているが、エルン城の周りには特に大きな村が2つ川沿いの北にハイム、そして、南にウルムが存在している。


 アルスが領主として赴任してから、この二つの村を中心に領民たちの陳情が毎日のように続いた。まず酷かったのが前領主のハインツが定めた徴税が高すぎたことで農民の生活が限界を超えており、そこに農作物の不作が重なったことで餓死者が出始めていたことだ。運の悪いことに南の村で細々と行っている漁も不漁が続いている。このため、アルスが領主に着任してすぐ始めたことは食料の確保と配給だった。


 それと徴税についても抜本的に見直す必要がある。村には水車があり、村人には小麦を製粉するための必要不可欠な存在となっている。もちろん自家用の石臼で製粉することも出来るのだが、時間がかかる割に少量しか出来ない。川の力で安定的に製粉出来る水車は大変貴重なものだった。この水車は領主が所有しており、使用料として通常であれば領主の取り分は製粉した量の16分の1と相場が決まっている。


 しかし、ハインツは水車の強制使用を領民に強いた上で4分の1の量と法外な重税を課していた。同じような内容を涙ながらに多くの領民から聞いたアルスは余りの酷さに深いため息をつく。


「先代の領主っていったいどこまで強欲だったんだ!?」


 何度も領民が訴えているのは、どこまでいっても先代領主ハインツの酷さだった。そこでアルスは領民の生活が崩壊しているこの状況を鑑みて、領地の税を半年間、完全に免除する。


 そして、その後に適正の税額に戻すことを領民に約束した。これだけでも領民は大喜びで新たな新領主を歓迎してくれたのだが他にも問題は山積みである。例えば、獣が人を襲ったり、農作物を荒らすので定期的に見回って欲しいであるとか、水車の軸や柵の修繕の要請、野盗などの出没による治安の悪化の改善であるとか、もう挙げればキリがない。これらを同時に解決することは出来ないので、地道に出来ることからやっていくしかないのだ。


 まずは、食料の確保が必要だったので、当面の食料を今回の報酬で貰った資金の一部を充てながら冬を乗り切ることにした。そして、資金管理や書類手続きなどの秘書業務をマリアにお願いした。


「ふぅ、陳情のリストはこんなものかぁ。食料は確保出来たし、これで少しは領民も安心できるかな?」

 

 エルン城の執務室では、机の上に積まれた書類の山を見てアルスとマリアが話していた。執務室の中は辺境の城には似合わないような調度品が並んでいる。前領主の強欲振りがよく表れてる部屋だ。


「そうですね、ここの領民たちはアルスさまが来てきっと感謝してると思いますよ」


 マリアがにっこりとアルスに笑いかける。マリアとの会話はアルスにとって癒しの時間だ。領民たちから涙ながらの陳情を何十人と聞いていると、どうしても様々な感情が渦巻いてきて最後には自身が疲れてしまうのだ。一刻も早く解決しなければと思う。


「そうだといいんだけどね。ただ、どうしても時間がかかっちゃうね」


「アルスさまなら絶対できますよ!」


 マリアは剣士よりこっちの業務のほうが向いてるんじゃないかなとアルスは心の中で思い始めていた。わざとらしく咳払いをしてからアルスは続ける。


「それはともかく、家もボロボロだね。僕としては街道を作ってそこに居住地を作りたいんだよね。ゆくゆくはその街道を中心に商業施設や宿を整備出来れば、交易も出来るからね」


「それは素敵です!」マリアの目がキラキラと輝く。


 そんなやり取りをしていると、突然ドアが激しく叩かれた。

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