第20話 ただ寄り添い
身体の震えが治まったベレクトはなんとか立ちあがると、玄関扉の鍵を開けた。
そこには、銀の髪が乱れ緊迫した表情を浮かべるフェンがいた。
「怪我はない? 何もされていない?」
「……まだ扉越しに、脅迫されただけだ。大丈夫」
その姿を見ただけで、ベレクトの心の荷が軽くなり、今にも泣きそうになる。
寝間着に近い動きやすそうな白地の服に使い込まれた革靴から、急いでここまで走ってきたことが見て取れる。手には、ガラスと金属で作られたランプがあり、その中で神鉱石の宝玉が淡い光を放っていた。
「そ、そっか。よか……いや、よくは無いけど、ベレクトに怪我がなくて安心した」
肩の力を抜いたフェンは、大きく息を吐いた。
「Ωの避難所まで、案内するよ」
性暴力や家庭内暴力、ストーカー等の被害に遭うΩの為に作られた避難施設が、島には点在している。αやβが来ないように公にせず隠されているが、聖徒であり白衣の医療団に所属する医師であるフェンは、その場所を知っているようだ。
ベレクトもΩと判明した際に医師から教わっているので、場所は把握している。ここより安全であり、早急に向かうべきだが一歩が踏み出せない。
「外に出るのが、怖いんだ」
絶海の孤島であり、Ωの性を持つ以上、どこにも逃げ場がない。それを再認識させられた。誰かに見張られている気がしてしまい、部屋を出る勇気を今のベレクトは持てなかった。
「だったら、今日は俺の奇蹟をこのアパート周辺に発動させて、悪い奴が来ないか見張っておくよ。これで、ベレクトも安心して眠れるだろ?」
「どうして、そこまでするんだよ……おまえが倒れるぞ。医者なんだから、ちょっとは自分の健康に気を付けろよ」
苦笑するベレクトだったが、フェンの心遣いに安心をした瞬間に全身の体が抜ける。恐怖と緊張によって限界に達した体は言う事を聞かず、壁に添えていた手は滑り落ち、体勢を崩す。視界が一気に落ち床に激突するかと思われた時、フェンは即座に反応し、その両腕でベレクトと支え、抱き抱えた。
「……悪いな」
謝罪の言葉を並べるだけで、精一杯だった。
鼓舞しようとしても、手は震え、全く力が入らない。
強がることも、一気に追い込まれたせいで無意味になった。
「謝らなくていいよ。あんな事があった後で、平気な人間なんていないだろ」
仄かに香る薬草の匂い。ランタンの光に照らされた白く美しい微笑みと、包み込むように優しい声に、視界が歪んだ。
フェンの地位であればΩを言い包めるなり、囲い込むなりできるはずだ。なのに、あくまで対等に接し、寄り添い続けてくれる。
全てを敵視するように警戒し、一人で戦っていた過去を思い出せない程に、ベレクトの中でフェンの存在は大きくなり、支えとなっている。
「なぁ、フェン。俺のせいでフェンを振り回し続けて、迷惑かけているって分かってる」
「うん」
「でも、俺は……フェンしか、頼れない」
「頼ってよ。なんなら危なくなった時には、また抱えて逃げてあげるからさ」
冗談めかしに言うフェンは、ベレクトを抱き抱えたまま立ち上がり、部屋へと入る。
扉は音も無くひとりでに閉まり、宙に浮いたランタンがテーブルの上に着地する。
フェンはベレクトを椅子へと座らせると、主導権は君にあると言うように彼の前で跪いた。
「ベレクトは、どうしたい?」
「……今晩は、一緒に居て欲しい」
その声は今にも消えそうなほどに弱々しい。
傍から見れば、怖い夢を見た子供の様であり、大人として、αとΩの関係では勘違いされかねない願いだ。しかし、フェンならばこの意味をしっかりと理解してくれるとベレクトは期待し、信頼をする。
「もちろん」
一呼吸を置いて、フェンはベレクトの頼みをしっかりと引き受けた。
「ブランケット一枚借りて良い? 俺は床で寝るからさ」
身体の関係に持ち込むわけでは無い。番の契りを交わすわけでは無い。
ただ、傍に居るだけ。ただ同じ時間を共有し、寄り添うだけ。
「寒くないか? フェンがベッドを使ってくれてもいいんだぞ」
「俺は野宿も出来る位に頑丈だから、大丈夫。発情期近くて体が不安定なんだから、ベレクトは温かくして寝なよ」
安心をしたベレクトの視界はさらに歪み、頬を伝って一滴が手の甲へと落ちていく。最初の一滴が流れれば後は零雨となり、ベレクトの頬を濡らしていく。
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