レジェンドアニマル〜動物好きの私がこの世界で生きるまで〜

仏座ななくさ

本編

転移編

第1話 二度意識を失って

「ねえ、明日の課題終わった?」

「まだまだ、あんなのやる気しないって。あんなのやるの真奈美まなみくらいじゃない?」


 通学路を歩きながら、にぎやかな女子高生たちの一団が会話を交わす。塊から離れて少し後方を歩いていた少女は目を見張ってからあいまいな笑みを浮かべた。


「ええっと……うん、やったよ。だって推薦の内申ほしいから」

「マナちゃんってば獣医志望なんだっけ?」

「そうそう。この子ってば昔っから動物大好きっ子なんだもの」


 小さな声の主張は、より大きく甲高い波に流されていく。話題がそのまま先生への文句に流れるように移っていったのを見て私……倉越くらこし真奈美まなみは気付かれないようにそっと息を吐いた。

 人間が嫌いなのだろうと言われている気がするのはあくまで私の勝手な思い込みの、はず。


 小さい時から動物が好きだった。


 捨てられた犬や傷ついた猫を拾っては親に怒られた思い出。

 家で飼う事は出来ないと分かってはいたものの、拾った動物を手当しては里親探しをして……今だって、車道をはさんで向こう側、おぼつかない足取りの猫を見つけて思わず足が止まった。


「(親猫がいないけれど大丈夫かな。ふらふらしているから、栄養失調か病気かも)」


 立ち止まったまま動かずいれば、同級生たちの輪からさらに遠ざかる。

 よたよたと歩く猫は、右に行って、左に行って、もう一度……さらに右に。小さな体が白線を越えたところで、エンジン音が鳴り響いた。


「……っ!! あぶない!」


 身体が動いたのは反射的だった。小さな悲鳴が聞こえてきたのは、それから数秒のような、永遠のような時間が経ってから。

 ブレーキ音と共に、身体を衝撃が走る。目の前が暗い。衝撃が走る。腕の中のぬくもりは……左右に揺れて小さく鳴く。

 そのことにどうしようもなく安堵しながら、私の意識は落ちていった────。



  ◇  ◆  ◇



 金属音がぶつかる音が聞こえる。

 やがてしばらくすれば止んでいくその音と、交代で訪れた鉄さびの匂いにつられて目を開けた。


「え…っと。ここ、は……、……!」


 周囲を見渡すより先に脳が理解したもの。それは毛皮だった。

 ごわごわとした毛並みは長い間手入れされていないのでしょう。かすかに脈打つように上下する壁のような巨体がそこには鎮座していた。

 そして、こびりつく赤黒い液体とさび付いた匂いの正体に、周りを見る余裕が再びどこかへと消えていく。


「血……!? 怪我してるの!?」


 飛び出すように駆け寄って、持っていたカバンをひっくり返す。止血や固定用の包帯と傷口保護用のガーゼは持ち歩いているのを感謝するのはこんな時だ。

 そこから引っ張り出した応急手当のポーチをあけながら、どれだけ包帯がいるだろうかと改めて見上げた瞬間息をのむ。


「怪我! は、腕とお腹のあたり、で……」


 鴉のようなあでやかな黒曜の毛皮より上にぐるりと幾分か薄い鉛色の羽毛、さらに上へと視線を向ければ鋭い嘴、昏い濃褐色の翼を持った獣。

 鳥ではない。翼があるというのに間違いなくこれは獣だった。

 見たこともないはずの動物だというのに、私はその名前を知っている。


 ──幻獣の一匹として有名なグリフォンが、おとぎ話の挿絵そのままの姿でそこに存在していた。


『グルルルルルッ……!!』

 グリフォンはこちらを警戒したように睨みつけ、怪我をしている腕を振りかざすように大きく上にあげた。


「そんな怪我で無理しちゃダメ!!」


 思わず大きな声を挙げれば、気圧されたか戸惑ったか、グリフォンのルビーの目がこぼれ落ちそうに丸くなる。

 振り上げられた腕が降りてきたのに胸をなでおろした。


「待ってね……今治療するから……」

『……グル…………』


 毛が長く見にくいが腕は傷が深そうだ。セットに入っている注射器に、消毒用の水を入れて血を洗い流す。

 染みたのか小さな唸り声が聞こえるが、こちらを攻撃する様子は見えない。

 腹部の赤は腕の血が飛んだものらしい。なら手当てすべきは腕の方。警戒もされているし手早く済ませてしまおう。


 患部にチューブ型の軟膏をありったけ絞り出し、ガーゼを当てた後に包帯でグルグル巻きにする。痛みはあるだろうが、先程よりは楽に動けるはずだ。


 傷の手当てが終わり一息つくと、ルビーの視線が刺さってくる。

 敵意はありません。けれど何をやったのか訝しげな様子のグリフォン。初対面の人間にいきなりあちこち触られたんだから当然でしょう。

 手当中に攻撃を受けてもおかしくなかったけれど、やっぱり伝説の存在なだけあって知恵も人と同じくらいあるのかもしれない。


 とはいえ、これでとりあえず一安心のはず。

 顔を上げ、グリフォンに「これで大丈夫だよ」と微笑んだ瞬間、視界が真っ暗になった。




 ────あ、自分の手当てを忘れてた。




 ◆ ◇ ◆



 暖かい空気に包まれている。手近にあるものを抱きしめれば羽に埋もれるような柔らかさ。休日の二度寝のような心地。先ほどの痛みや驚きがまるで夢のよう。

 これほどに至福の時間があるわけが──。



「おっ! 目が覚めたかい?」


 ────無いと云うのに、どうやら神様は簡単に私からこの時間を奪おうと言うらしい。


「起きているんだろ?そのまま二度寝は勘弁してくれよ?」


 気づかなかった振りをしてもう一度うたた寝に戻ってしまいたい。

 そう悩む私の心などお見通しとでも言う様な笑い声。テノールの響きは声質もあってか耳触りがいい。……テノールの声?


「誰っ!?!?」


 勢いよく身を起こす。

 いたのは清潔感は在るもののあまり丈夫とは言えなさそうな木造の屋内。日は既に落ちたのか若干肌寒いけれど、電燈の明かりか周囲を眺めるのには事欠かない。机や椅子もアンティークめいた造りをしていて、本当にここは日本なのかと疑ってしまう。


「え……えええええ……!?」


 机や椅子だけではない。よく見れば電燈だと思ったものは花を模したガラス…と思いきや、生花自体が発光している。

 こんな幻想的な光景、日本でお目にかかれる場所なんてどれほどあるでしょう。


 なによりも目の前の椅子に座る男性の姿。柔らかな碧色の服に磨き上げられた半透明の石で作られた肩当て。傍らには長剣を携えている。

 そもそも金髪翠眼の長髪男性が、黒髪ばかりの日本にそういるとは思えない。


 恐る恐る、半分は確信を、もう半分はそうでなければという願望を込めて尋ねる。

「あの……ここは、何と言う国ですか?」

「おや、思ったよりも頭の回転が速いね。」


 説明がする内容が減って助かるよ。と楽しげに笑う金髪の青年の言葉で、当たって欲しく無かった予想が見事に現実になった事を察してしまった。



「ここは“ルーンティナ”。魔の女神ルナイアを信仰する精霊の祝福を受けし国だよ。」

 何処ですかっ!それは!!


 反射的に叫べれば良かったのかもしれないけれど、およそ思考の限界を超えてしまった私はただ口をぱくぱくと開閉させることしかできなかった。



 動揺がはっきりと顔に現れていたのか「まあこれでも飲んで一息つきなよ。」と青年から手に持っていたカップを手渡される。

 中には透き通った紅茶色の飲み物。花のような香りの液体にこわごわと口をつけると、甘い蜜の風味が口いっぱいに広がる。


「……おいしい……!」


 美味しい物は人の心を緩ませるというが私も例にもれなかったらしい。疑問は消えないものの、波立っていた心が少しだけ凪いだ。

 喉を鳴らしながら丁度良い温かさのお茶のような飲み物を飲み干していれば、クスクスと笑い声が部屋に響く。


「それはよかった。質のいいトリミツがたっぷり入っているんだからね。これで口に合わないとか言われたらどうしようかと思ったよ」

「トリミツ?」

 ハチミツではないのかと疑問符が頭に浮かぶが、こちらが口を開く前に青年の方から質問が飛んできた。


「で、君があんな森のど真ん中で倒れていた経緯を説明してくれるかな?ついでに、この国に来た理由も」

「え……ええええ、ええと……」


 どう説明をすればいいでしょうか。困った私が俯けば、高校の制服姿が目に入る。

 いかにも幻想的な雰囲気をしている部屋や青年とはまるでそぐわない。


「えーと……何と説明すればいいでしょうか……」


 何も分からないものを説明するというのは存外苦戦することで。現状について質問をすることはさらに難しい。おいしい飲み物を飲んですぐだというのに、私の喉は貼りついてしまった。

 沈黙を続ける私に更なる追い打ちをかけるかの様に、青年の背後にある扉が荒々しく開かく。大きな音に体が一瞬ベッドから飛び上がってしまったかもしれない。



「リュミエル。供も連れずひとりでどこに行っているんだ。」

「スパイ疑惑のある娘の所に単身で向かうとは、神経が疑われるな。お前は!」


 現れたのは二人の青年。

 黒髪と銀髪、静と動の対称的な印象を与える彼らは金髪の青年の元につかつかと歩み寄った。


 絹の様に柔らかな銀髪の青年は青色を基調とした衣服に身を包み、アメジストの切れ長な瞳を吊り上がらせてこちらを一瞥だけするとすぐにリュミエルと呼んだ男の方に向き直る。組んだ腕の人差し指は忙しなく一定のリズムを刻んでいた。


 もう一人の黒髪の寡黙そうな体格のいい青年──紅を基調とした服な辺り、意識して銀髪の青年と印象を異にしているのかもしれない──は、私の方を見ると一瞬だけ真っ赤な瞳を見開いた。けれどもそれを意識したときにはもう、その赤い瞳は金の青年へと向けられている。



「折角彼女が口を開いてくれそうな時に来るとかタイミングが悪すぎるだろう、お前らは。」

 リュミエルと呼ばれた青年は心配などどこ吹く風と言う様に「もう少し空気を読んでくれよ」と苦笑しているが、私としてはそんな余裕はない。血の気が引いた頭の中で思い切り叫んでしまった。



 銀髪の男性が言った“スパイ疑惑のある娘”って私の事ですよねそうですよね!?

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