7

 彼は押し付けられた婚約届と契約書を手にする。宗寛そうかんは手にした二枚の紙を見る。特に契約書の内容を見返す。中を見ては、頬を赤く染めてむず痒そうに笑っていた。


「……これは、まるで下名かめいへの恋文。ラブレターだね」


 言われてなぎさは更に顔の熱を上げる。だが、訝しげに彼を見ながらなぎさはリュックを降ろして、二つのファイルを出す。ファイルには婚姻届とコピーされた手書きの契約書が多く挟まれていた。見せると宗寛そうかんは唖然とし、なぎさは強く出て話す。


「破ろうとしても、予備は何十枚か用意してますからね。逃がしませんよ?」


 逃げる先もなく、山の中にある祠の前で捕まえられた。彼女は宗寛そうかんの性格を把握して、ここまで来た。

 追い詰められたのだと理解し、彼は仕方なさそうに話す。


「……なぎちゃん。君はどうやってここまできたんだい?

弔いに集中していたとはいえ、下名かめい登山しているのに気付かなかった」

「術に術を重ねて、この世界の風景に溶け込むほどにしました。その分、術の維持は出来ないので、時間との勝負でした。早めに頑張ってここまで登りました」


 リュックにファイルを仕舞いながら答えた。しまいながら、片手にしている手袋を外し、仕舞う。やっていることはほぼ脳筋、単純作業である。話を聞きていた宗寛そうかんは間抜けた顔になる。激しく動いたせいもありドキドキしているが、なぎさは早く来て良かったと思っていた。

 リュックを手にしながら、彼女は彼の一番弟子の名前を口にする。


「全部、夜凪やなぎさんのおかげです」

「……夜凪やなぎ?」


 まさかの人物が出るとは思わなかったらしい。なぎさは頷き、伝えるべき内容を話す。


「俺の願いを聞いてくれてありがとう。けど、子孫の願いを聞かないなら許さない。と先生に伝えてほしいと」


 リュックを背負いながら話をした途端、宗寛そうかんは複雑そうな表情をする。深い溜息を吐いて、彼は顔を押さえる。


「そうか、君が思い出したのも夜凪やなぎのせいか……。死者の特権を思いっきり使ったか。……いや何人か、これ仲間が噛んでるな。……はぁ」


 顔から手を放し、空を見上げた。なぎさから見て、彼の表情はどんなものなのかわからない。

 だが、わかることはあるだろう。夜凪やなぎ宗寛そうかんを恨んでいないと。夜凪やなぎがいい加減に負い目を感じるのをやめろと伝えている証明でもある。


夜凪やなぎさんは、先生が不幸になるのを望んでません。私も、同じです。……先生は自分を許すことはできませんか?」


 聞くと、宗寛そうかんは苦笑を向けた。


「難しいかな。下名かめいは元より許すも何も、許されていい存在ではない」


 立場や存在、してきた経緯を含めて言っているのだろう。

 自分を許すのは、人によって簡単ではない。ましてや手を汚し、自身を罪人と自覚しているならば余計に難しい。

 わかっているからこそ、なぎさは提案をした。


「じゃあ、こうしましょう。私が生きている間、先生は自分を少しだけ許します。そして、私が死んだら、先生は自分を許さなくていい」

「……それは、どういうことだい?」


 なぎさは自身の胸の上に手をおいて、片手で彼の胸の上を触る。


「この先、私からのトラウマと私との思い出を貴方の中に刻みつけます。私からの傷と思い出、私が死んだ後でも永遠の支えにしてください。

私からの幸せと痛みの傷で苦しんで、ずっと私を忘れないで」


 呪いのようで、彼に向ける愛の言葉だ。酷い事を言っている自覚はある。だが、彼女は考えられるだけの方法を選んだ。宗寛そうかんの為の告白であり、被虐趣味をもつ彼ならば喜ぶはずだと。

 なぎさは彼を見る。

 言われた当人は熱を発するほどに顔を赤くしており、目を丸くしていた。言葉にならない言葉を漏らす。しどろもどろになりながら口を押さえた。眉を八の字にしながら、数分経つと口から手から外す。

 宗寛そうかんの口からは困惑した笑みが現れた。


「……嬉しいの、むず痒いの、ドキドキするので大変だ。惚れるって、こういう事をいうのかな」


 熱くなった顔を手で扇ぎ、なぎさに困ったように聞く。


「顔が熱い……。まったく、そんな殺し文句をどこで思い浮かんできたんだい?」


 どこでと言われ、彼女は恨めしく宗寛そうかんを見つめる。

 

「幼稚園の頃と再会の思い出をくれて、数ヶ月前に傷をくれた目前の人のお陰で思いつきました」

「か……下名かめいのせいかー……」


 身に覚えがありすぎる故に、引きつった笑みを浮かべる。因果応報、自業自得。それが帰ってきた形でもあり、なぎさがつけた決着でもあった。

 涙目でなぎさ宗寛そうかんを上目遣いで、見つめ続ける。彼は肩の荷荷を下ろすように息を吐く。手にした二枚の紙を折り畳み、スーツの胸のポケットに入れる。

 宗寛そうかんは彼女を見下ろし真顔となった。


「一つ。五条目について。下名かめいは君達を悲しませる機会があるだろう。それは、どんなに自分がそうさせないようにしようとしても、理不尽の悲劇はやってくる。それでも、下名かめいの隣にいたいのかい?」

宗寛そうかん先生」


 胸の上、いや彼の心臓の上を人差し指で示して、顔を合わせる。


「双方、傷つけ合って支え合い、尊重しあって妥協する。分かり合いながら乗り越える。これも夫婦の形の一つであると思って、私が持ちかけた契約ですよ」


 思った以上の答えが出たらしく、彼は言葉を失う。前髪を掻き上げて降参したように笑ってみせた。


「……参ったな。なぎちゃん。強くなりすぎだよ」

「責任感が強いだけです」

「それだけじゃないと……いや……下名かめいのせいだね。まったく、色んな意味で完敗だ」


 情けなくなったのか笑って、複雑そうに目をそらしてつけられた指輪を見る。つけられた時点で責任を取るしかない。かつての一番の教え子に言われては、下手な手出しはできない。

 話し合うしかなく、彼はなぎさと目を合わせる。


「ごめん。君に嫌な思いをさせて」


 彼女の頬に手を添えて優しく撫でる。


「それに、ここまでしてくれて、下名かめいを思ってくれてありがとう」


 少し頬を赤らめながらなぎさは撫でられた手を片手で優しく包む。


「先生。小さい頃に私を守ってくれて。今でも、私を守ろうとしてくれてありがとうございます。

……でもね」


 心臓の上の人差し指の腹は、なぎさ自身の顔へと向けられる。


「これからまた契約して夫婦になるんです。私のことはちゃん付けじゃなくて、呼び捨てでお願いします。私も先生呼びは頑張ってやめます。宗寛そうかんさん」


 月下美人を思わせる華やかな笑顔だ。その笑顔の彼女から呼ばれ、宗寛そうかんは瞬きをする。名前で呼ばれた彼は、彼女を見ながら名前を呼ぼうとする。


「なぎさ……──」


 彼女を呼び捨てにした途端に、彼は多くの汗を流す。間を起きつつ、彼は顔を茹でダコのように赤くしていく。なぎさはきょとんとするが、宗寛そうかんは顔を俯かせて口を動かす。


「ちゃん」

「……ええ」


 なぎさは拍子抜けてしまう。彼は全身を震わせ、顔を片手で隠しながら慌て始める。


「ごめん、なぎちゃん。今すぐは無理! 普段なら羞恥プレイで興奮するんだろうけど、なんかドキドキと別の気持ちの方が勝って……苦しいの、恥ずかしいのなんのでなんか、訳が分からないから、呼び捨て、は……練習して、させてからにしてください……」


 言葉を途切れさせながら話し、彼女は小首を傾げた。


「自分の家族と夜凪やなぎさんは呼べるのにですか?」


 一番弟子と親類は呼び捨てで呼んでいた記憶を見た。千年以上も生きてきて、女性を呼び捨てに慣れてないことに驚きだ。宗寛そうかんは熱が引いたのか顔を少し上げた。まだ頬は微かに赤いが、困り顔で教えてくれる。


「……家族は家族で呼べる。仕事は仕事で割り切れる。夜凪やなぎは特別な最初の一番弟子だったからさ。夜凪やなぎ以降の教え子たちを呼び捨てにしたことはない。それに、下名かめいは、ちゃんとした女性の恋人を作ってこなかったから……大切な人からこう、プライベートで、呼ばれたり、呼んだりするのは、初めて、です……」


 照れて弱々しい彼を見るのは初めてだ。宗寛そうかんは照れながら頭を掻いた。


「君から宗寛そうかんさんって呼ばれるのも照れるけど、呼ばれ慣れるように下名かめい頑張るから」


 なぎさは何か良くないものが湧きそうになるのを抑え、了解する。


「わかりました。先……宗寛そうかん、さん」

「……う、うん」


 むず痒そうに笑って彼は返事をした。なぎさは落ちている物を拾い、手にしていく。彼女の様子を見た宗寛そうかんから声が掛かる。


「なぎちゃん。これから下山するのかい?」

「ええ、はい。もう、目的は果たしてので。宗寛そうかんさんが、ちゃんと後日来てくれればオーケーです」


 宗寛そうかんは別行動があるだろうと彼女は考える。雪山の下山は大変であるが、ゆっくり行くつもりだ。リュックを背負い直して下山をしようとする。見兼ねた宗寛そうかんから声がかかる。


「待った。トレッキングポールを抱えて。代わりに、身を隠すお面をしてほしい」

「何故ですか?」


 聞くと彼は変化していた。手には龍を模した木造の面がある。


下名かめいも同じようなものをして、空から送るよ。前みたいに早く行くわけじゃない。

一緒にこの土地を見下ろしながら行こう」


 空いている手を、なぎさの前に差し出す。


「おいで」


 優しく朗らかに笑う。異形の姿に近付いて別人に見えても、宗寛そうかんは変わらない。彼女は面をして、トレッキングポールを方で抱きしめた。



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