第46話 永遠の祝福を

 *少しだけですが性的表現があります。苦手な方はご注意下さい。



 もう何度、乾杯! の声が響いただろう。

 滞りなく式を終え、ローレンスとリリアーヌが晴れて夫婦となった後、そのまま裏庭で小さな饗宴が設けられた。

 贅を凝らした料理と選りすぐりのワインが出され、皆、美酒に酔いしれながら口々に花嫁の美しさを誉めそやした。


 午後になり迎えた饗宴のクライマックスは、アビゲイル夫妻とフランシスが腕によりをかけてこしらえたウェディングケーキだった。

 この日のために数か月前から仕込んだ様々なフルーツやナッツをぎっしりと焼き込んだ丸いケーキを三段に重ね、白と薄ピンクのアイシングで全体を包み込んで、砂糖細工の花と生花で飾られた美しいものだった。


 だがローレンスはそのケーキをほんの一口味わうと、突然立ち上がった。

 そしてリリアーヌをいきなり横抱きに抱き上げると皆に背を向け、屋敷のほうへ向かった。皆、一瞬あっけに取られたが、すぐに意図を理解してどっと笑い、口笛を吹いたりグラスをフォークで叩いたりして盛り上がった。


「おいおいローレンス! まだ明るいぞ!」

「社長! 顔がヤバいっすよ!」

「リリアーヌさん、いざとなったら叫ぶのよ! すぐに助けに行きますからね!」


 その囃し声に数歩歩いたローレンスが立ち止まって客のほうを振り向く。いつもの強面に皆の騒ぎがぴたり、と静まった。

 だがローレンスはそのまま再び背を向けて歩き出すと、背中越しに大声で言った。


「皆、今日は無礼講だ! 好きなだけ飲んでいいぞ! 後は頼む!」


「ローレンス様、あの......」

 リリアーヌはローレンスの腕に抱かれながら困った様子で話しかけたが、ローレンスは歩みを止めない。

 大股で裏庭を通り抜け、屋敷に入ると速足で階段を駆け上がる。


 途中、いつの間にか控えていたアランに一言だけ声を掛けた。

「準備はできてるか、アラン」

「万事、整えてございます」

 腰を折って丁寧に答えるアランに小さく頷くと、そのままローレンスは寝室へ向かった。その間、リリアーヌには一瞥もくれないままだ。


 半分ほど開けられていたドアから寝室に入ると、そのまま後ろ手にドアを閉める。寝室はカーテンが閉じられていて、昼下がりだというのに薄暗い。


 ローレンスはリリアーヌをマホガニーの大きな寝台に降ろした。靴を履いたまま膝立ちになり、シルバーグレーの上着とジレを脱ぎ捨て、胸元の深いバラ色のタイをむしり取る。シャツがはだけ、ダイヤモンドのピンが外れて床に転がった。

 そのままローレンスはリリアーヌの髪飾りとヴェールも剥ぎ取った。黒髪がはらりと肩にかかる。そしてローレンスはリリアーヌの唇を奪った。


 今まで経験したことのない深い、激しい口づけがリリアーヌを動揺させる。


「ふ......は......ぁ......っ......待って、ロ、レンス......さま......」

「待てない」

 何とか唇を離し、声をかけたリリアーヌの前に、熱病に浮かされたような瞳に欲望をたぎらせた雄の獣がいた。

「もう限界だ、リリアーヌ」

「でも......」

「黙って。話は後だ。頼む、今だけは、俺のしたいようにさせてくれ......」


 その命令とも懇願ともつかぬ切ない声を聞いた瞬間、リリアーヌの全身から力が抜けた。そのままリリアーヌは向かい合ったローレンスに身を委ねた。

 唇に、瞼に、こめかみに、首筋に、ローレンスは口づけを繰り返しながら、純白のドレスの背中のボタンをせわしなく外していった。


 閉じられた窓の外から、主不在のまま未だ続く饗宴の声が、時折かすかに聞こえていた。


 リリアーヌが目を覚ましたのは翌日の早朝だった。この時間はまだ少しひんやりと肌寒い。

 ぼんやりとした頭に、いつもと違う光景が映る。

(ここ......ローレンス様の寝室......そうだわ、昨日......)

 ゆっくりと視線を移すと、ローレンスは部屋着姿で朝日の差し込む窓際に座り、何やら手紙を読んでいた。その姿を認めた瞬間、リリアーヌの脳裏に昨日の出来事が生々しく蘇った。

 リリアーヌが目覚めたことに気づいて、ローレンスが声を掛ける。その声は少し掠れていて、低く、どこまでも甘い。

「おはよう」

 咄嗟にリリアーヌは枕にがばっと顔を埋め、シーツに頭から潜り込んだ。


「おいおい、どこへ行ってしまったんだ?」

 ローレンスのふざけたような声が近づいて、寝台が揺れる。どうやら隣に腰かけたらしい。リリアーヌがシーツの端から横目で盗み見ると、果たして笑いながら自分を見下ろしているローレンスと目が合ったので、再度リリアーヌは枕に顔を埋めた。

「おはよう、リリアーヌ」

 シーツの端がそっとめくられて、耳元で囁かれる。その声と吐息が耳にかかり、それだけでリリアーヌの背筋に稲妻が走った。


「奥様、今朝はご機嫌斜めですかな? ご挨拶もして頂けないほど?」

 おどけたローレンスの問いかけに、リリアーヌは枕に顔を埋めたままくぐもった声で答えた。

「おはようございます......ローレンス様」

「よく眠れたか?」

「おかげさまで」

 もう少し新妻らしく気の利いたことを言おうと思ったのだが、なんとも他人行儀な返しになってしまった。だがローレンスはそれが却って面白かったのか、喉の奥でクックッと笑っている。


「リリアーヌ、顔を見せてくれ」

「......無理です」

「一生そのままでいる訳にもいかんだろう? 今日は午後から兄上のところへ式のご報告に伺わなければならんし」

「いけない、忘れてましたわ!」

 一気に現実に引き戻されたリリアーヌは勢いよく起き上がった。が、自分が昨夜のまま一糸纏わぬ姿であることに気づき慌ててシーツで身体を隠した。

 ローレンスが腕を伸ばして椅子にかかっていたリリアーヌのガウンを取り、肩にかけてくれた。そのまま寝乱れた髪を愛おしそうな手つきで撫でる。

「身体は大丈夫か?」

「はい。ローレンス様は良く眠れましたか?」


 するとローレンスがリリアーヌの唇を親指でそっと塞いで言った。

「リリアーヌ、今日からは『おはようございます、ローレンス様』ではなく、『おはよう、ローレンス』と言ってほしい。俺と貴女はもう夫婦なのだから」

「えっ......」

「嫌か?」

「嫌ではありません。ただ、恥ずかしくて」

「そう言ってくれたほうが、俺は嬉しい。いくらなんでももう、"様"は要らないだろう? 今更"ローレンス様"なんて呼ばれると、どう返事をすれば良いのか困ってしまう」

「......分かりました。すぐには無理かもしれませんが、そうお呼びしますわ」

 リリアーヌがそう答えると、ローレンスの目がきゅっと細くなった。この人はこんなに愛らしい表情もできたのだと、リリアーヌは改めて驚いた。


「よし、じゃあもう一度。おはよう、リリアーヌ」

「......おはよう、ローレンス」


 戸惑いながらそう返すと、ローレンスは満足そうに頷き、視線を下に落とした。リリアーヌがふと見ると、白い胸元に無数の赤い痣ができている。それに気がついた瞬間、またしてもどうしようもなく恥ずかしくなり、慌ててガウンの前を合わせた。

「ちょっと暴走し過ぎたな。自制しようと努めたんだが......すまん」

「......驚きました。貴方があんなにも情熱的な方だったなんて」

「貴女もあんなに歓びを感じてくれるとは思わなかった。素晴らしかった」

 その言葉に、またリリアーヌの全身がかあっと熱くなる。昨夜の自分の姿が思い出される。


 自分でも信じられなかった。まさか自分があんな声をあげるなんて。自分の身体からあんなに蜜が溢れて、あんなはしたない音を立てるなんて。

「も、もう、言わないで下さい! こんな明るいところで......」

「ん? じゃあ暗い時ならいいのか?」

「ローレンスさ......ローレンス!」

 揚げ足を取られてムキになったリリアーヌの肩を抱いてローレンスがはははと声を上げて笑う。

 ああ、わたくし今、幸せだわ......とリリアーヌが幸福の余韻に浸ろうとしたその時。


「旦那様、奥様、お目覚めですか?」

 寝室のドアがノックされてアランの声が聞こえた。かと思うとローレンスがありえない返事を返したのだ。

「ああ、アラン、入ってくれ」

「!?」

 リリアーヌは大慌てで肩からずり落ちかけていたガウンの前を整えようとしたが、その間にアランは静かに寝室に入って来て、こう質問したのだ。

「おはようございます、旦那様、奥様。朝食はいかがいたしましょう。いつも通り食堂にご用意しますか、それともこちらにお持ちしましょうか?」


(嘘、嘘、今アランさんに見られた......)


 だが頭が真っ白になっているリリアーヌに構わず、ローレンスは全くの普段通りの様子で答えた。

「ああ、俺はいつも通り食堂で頼む。リリアーヌ、貴女はどうする?」

「......わたくしも、しょ、しょくどう、で......」

「承知いたしました」


 お辞儀をしたアランが寝室を辞し、ドアが閉まると、ローレンスが大きな伸びをしながら寝台から降りようとした。

「さて、風呂に入るか」

 リリアーヌは半泣きで抗議した。

「ローレンス! どういうことですか⁉︎ あ、アランさんに見られた......」

「別に構わんだろう。夫婦なんだから」

「構います! ......んっ」

 だがローレンスはリリアーヌの必死の抗議を口づけで押しとどめると、優しいがしかし有無を言わさぬ声で答えた。


「王宮ではこれが普通だよ。慣れなさい」


 そして口をポカンと開けたまま固まっているリリアーヌの頭を撫でると、浴室へ向かったのだった。

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