第六章

第42話 再びの王宮

 くしゅん!


「リリアーヌ嬢、風邪でも召されたか」

「申し訳ございません……陛下の御前でこのような不調法を」

「お気になさるな。大事ないか」

 恥ずかしさに身を縮めるリリアーヌを横目に、レオはいつも通りの明るい声で言葉をかけた。

「おおかたローレンスが寒い中連れ回したのであろう」

「陛下。人聞きの悪い」

 ローレンスの声も相当ガラガラにひび割れているが、そこは知らん顔だ。


 裏庭での会話から数日後、二人は再び王宮を訪れていた。あれ以来王都は温かい日が続いていて、確実に春が近づいていることを感じられる。


「それで? 今日は何の用で?」

 レオが前のめりになって、期待と不安の入り混じった表情で尋ねた。用件はお分りのはずなのに、とリリアーヌはふとおかしくなる。

 一つ大きく息をつくとローレンスが椅子から立ち上がり、片膝をついて礼を取った。リリアーヌも椅子から降りてスカートを摘み、腰を深く屈める。


「国王陛下。大公位叙爵の儀、ローレンス・フィッツジェラルド、謹んでお受けいたします。陛下の御世みよ永久とこしえの光あらんことを」

 低いがはっきりとした声だった。

 レオは押し黙ったまま、何も言わない。頭を下げたまま時間だけが過ぎ、リリアーヌは不安になったが、隣にいるローレンスも身じろぎ一つしないため、どうすることもできない。


 ふと、レオが立ち上がる気配がした。テーブルを廻ってこちら側へ来ると、ローレンスを立たせ、泣き笑いのような顔で二、三回頷くと、黙ったまま強く抱き締めて背中を何度も叩いた。


「……長かったな」

「はい」

「しかと聞いた。もう取り消すことはまかりならんぞ」

「はい」

「……やっと、人目をはばからずお前を弟と呼べるのだな」

「はい……兄上」


 陽気で明るい陛下のことだから、もっとお気持ちを露わにされるかと思っていたけれど……でもきっと、こうして静かに喜びが満ちていく時間がお二人の失った日々を埋めていくのだわ、これで良かったのよと、リリアーヌは頭を下げたまま必死に涙を堪えていた。

「リリアーヌ嬢」

 呼ばれて目線を上げると、レオの右手が顔の前に差し出されていた。

「立ってくれ」

「そんな、おそれ多い……」

「何を言っているのだ、さあ。貴女は今日この時から私の義妹いもうとだ。共に喜びを分かち合ってくれ」

 どぎまぎしながらローレンスに目をやると、レオの肩越しにローレンスが微笑みながら両手の平を上に向け、いいから立ちなさい、と伝えてくれた。


 思い切ってリリアーヌはレオの手を取り、助けを借りて立ち上がった。だがレオはリリアーヌの手を離してくれない。それどころか、先ほどまでのローレンスのように思い切り抱き締められてしまった。

「へ、陛下……?」

 リリアーヌは身体を固くしたが、レオはお構いなしに抱き締めたままリリアーヌを左右にブンブンと揺らす。

「貴女のお陰だ、リリアーヌ嬢。貴女がローレンスを説得してくれると信じていたよ。礼を言う」

「あ、あの……」

「ああ、今日は人生最高の日だ。リリアーヌ嬢、貴女もそう思うだろう?」

 先程までの静かで落ち着いた王はどこへやら、このはしゃぎっぷりである。


「兄上、いや、陛下。そろそろ解放してやって下さいませぬか。彼女は私の婚約者なのですが」

 その声に振り向くと、ローレンスが憮然とした顔で立っている。おっと、とリリアーヌから腕をほどいたレオがけらけらと笑った。

「兄が妹を抱擁して何が悪い。大の男が悋気やきもちなど、みっともないぞローレンス」

 図星を突かれて言葉に詰まるローレンスであった。


 兄と弟の和解の時が過ぎ、三人は再び椅子に腰かけた。

「それで今後のことだが」

 すっかり冷静さを取り戻したレオが口火を切る。

「結婚式は来月であったな」

「はい」

「では二人が正式に夫婦の誓いを交わしてから、大公位の叙爵を執り行うことにしよう。異存はないか?」

「ございません」

 レオは満足そうに頷くと、話を続けた。


「結婚祝いは何が良い」

「お気持ちだけで十分でございます、兄上」

 だがレオは引き下がらない。

「まあそう言うな。大公ともなればそれなりに領地が要る。それで考えたのだが」

 そこで一旦言葉を切るとにこやかに続けた。


「南ゴーディエ地方に王家直轄領がある。どうだ、


「……今、何と仰せられました……?」

 ティーカップを持ち上げたままローレンスが固まった。が、すぐに真剣な顔になった。

「なりません、兄上」

「何故だ?」

「あそこは王国でも最上級の小麦が収穫される場所です。そのように重要な土地を頂くなど」

 レオは身を乗り出してローレンスを見つめた。


「さればこそだよ、ローレンス」


 そしてレオは更に驚くべきことをローレンスに告げた。まだ極秘事項だが、最近その南ゴーディエ地方で鉄鉱石の鉱脈が発見されたのだという。レオはその鉱山開発をローレンスに任せたいと考えたのだ。

「鉱山経営は困難も多いが、上手く軌道に乗れば底知れぬ利益を王室にもたらす。それ故、生半可な人間には任せられぬ。お前以上の適任者はいない」

 そう言うとレオはローレンスを横目で見てニヤリと笑うのだった。


「……兄上、それは結婚祝いと呼べるのですかね……?」

 ローレンスがああやっぱりなという顔でぼやくが、レオは涼しい顔で続ける。

「王国で肩を並べる者はいないと言われるほどのやり手のローレンス・フィッツジェラルドなら、造作もなかろう。やり方は任せる。お前の好きにしていい。鉄鉱石の鉱山だぞ? 実業家として食指が動かずにはいられまい。どうだ?」

 やはりこの二人は血を分けた兄弟だ、とリリアーヌは痛感した。レオの言葉どおり、ローレンスの顔に明らかに野望めいたものが浮かんでいるのを見て取ったからだ。


 果たしてローレンスは、してやられた感と将来への意気込みがないまぜになった顔でレオに向かい合うと言った。

「有難く頂戴いたします。陛下と王国のため、不肖ながら全力を尽くし、必ずご期待に添います」

 レオは満足そうによし、と頷くと、今度はリリアーヌに向かって言った。

「それとね、リリアーヌ嬢」

「はい」

 そしてテーブル越しに身を屈めると小声で続けた。


「南ゴーディエ地方からそう遠くないところに伯爵領があるんだが、私の見立てだとそうだな……あと二、三年もすれば売りに出される」


「!……陛下、それはまさか」

 両手を顔にあてて息を呑んだリリアーヌに、レオはいたずらっぽく笑って言った。

「近くで様子をうかがっておいて、その時が来たら正々堂々と言い値で買い戻せばよい。成金が騙し討ち紛いの手口で爵位を手に入れても、世の中そう甘くはないよ」

「陛下……何とお礼を申し上げれば良いか……」

 リリアーヌの両目から涙が溢れた。レオが焦ってローレンスに助けを求めた。

「ローレンス! 違うんだ、泣かせようとは……」

「兄上! 私の婚約者を泣かせるとは! リリアーヌ、良く分かっただろう、この方はこういうお人なんだ。気を許してはいけないよ」


「もう、ローレンス様も陛下も……あまりわたくしを驚かせないで下さいまし」

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