金で買われた元伯爵令嬢は踏みつけられてもへこたれない ~いつか見てなさい! こちらが踏みつける側になってみせますわ~

貴様二太郎

金で買われた元伯爵令嬢は踏みつけられてもへこたれない ~いつか見てなさい! こちらが踏みつける側になってみせますわ~

 13歳のとき、我が伯爵家は領地没収のうえ家名断絶となった。

 蝶よ花よとちやほやされ、何不自由ないお嬢様生活を送っていた私はまったく気づいていなかったのだけど、どうやら父は相当に色々やってくれていたらしい。

 事が発覚し父は投獄され、母は心労で儚くなり。残された一人娘の私は罪にこそ問われなかったものの、今まで甘やかされていたため生きる術もお金も何も持っていなかった。どうにか遠い親戚という人に引き取ってもらえたが、残念ながらすぐに売られてしまった。娼館に。


 娼館がどんなところかは、知識としては知っていた。でもまさか、自分がそこで働くことになるとは夢にも思ってなかった。

 ああ、私は恋をすることもなく、ここで一生を終えるんだなって全てを諦めたその日――救いの手は唐突に差し伸べられた。


 カマエメルム・ノビレ侯爵


 ノビレ侯爵家の若き当主。穢れなど無縁そうな純白の髪にとろりと甘そうな蜂蜜色の瞳。整った顔に常に柔和な笑みを湛えるその人は、周囲からの人望も篤い、弱冠18歳の青年実業家だった。

 彼はそのありあまるお金で13歳の私――トリフォリウム・レーペンス――を買った。



 ※ ※ ※ ※



 買われた当初、侯爵は私みたいな凹凸のないこどもが好きな変態なのかと覚悟していた。けど、そんなことはなかった。私は愛玩用ではなく、無給で働く使用人として買われたらしかった。

 無給といっても衣食住は保証されてたし、侯爵は最初にお金を払っている。いくら払ったのか知らないけど、私の今の状態は無給というより借金返済なんだと思う。そしてたぶんだけど、一生働いても返せない金額な気がする。


 あれから3年。伯爵令嬢だった私は、すっかりと使用人の仕事が板についてしまっていた。


「領民を虐げて私腹を肥やしてた薄汚いレーペンスの家のもんにやる食事なんてないよ。ご当主様がお呼びだ、とっとと仕事に戻りな」


 今日もお昼は無しらしい。ふん、別にいいわ。あとで台所からこっそりくすねるだけだもの。


「まったく、ご当主様もなんでアンタなんか……」


 そんなのこっちが聞きたい。

 ご当主様――カマエメルム様――は、ことあるごとに私を呼びつける。どれもたいしたことのない仕事だから楽でいいけれど、おかげで他の使用人から妬まれてとても面倒くさい。

 ご飯抜き、物を隠される、陰口に面と向かっての悪口、必要な連絡をしてもらえない……ひとつひとつはたいしたことなくても、毎日やられるとさすがに気が滅入る。

 しかもどこから聞きつけたのか、ここへ来てわりとすぐに私が元レーペンス伯爵令嬢だと知られてしまった。領民に高い税を課し、様々な不正で私腹を肥やし贅沢三昧していた悪徳領主、それが悪名高いレーペンス。そんな領民の血と涙で出来ているお金で育った私は、彼らからひどく憎まれていた。

 ここはレーペンスの隣の領だから少々被害を被っていて、だからここでも私は憎悪の対象になっていた。そんな場所で私の出自が晒されてしまえば、結果は火を見るよりも明らかで。


「失礼いたします。トリフォリウム参りました」

「ああ、ご苦労。珍しい茶葉をいただいたんだ。淹れてきてくれ」

「かしこまりました」


 渡された茶葉を淹れて戻ると、カマエメルム様は長椅子ですっかりとくつろいでいた。


「お帰り。そうそう、茶菓子ももらったんだ。一緒に食べよう、トリフォリウム」

「カマエメルム様、私は一使用人です。主人と同じ席に着くなど、恐れ多いことです」


 本当は食べたい。昼食抜きの胃袋は今にも悲鳴を上げそう。


「またそういうこと言う。なんのためにフォウを呼んだと思ってるの? 僕が、きみとお茶したいからだよ」

「そうは申しましても――」

「きみは僕に買われたんだ。拒否権なんてあると思う?」


 出た、「きみは僕に買われたんだ」。私が何か拒むと、必ずこれを出してくる。それを言われたら、私は絶対に断れなくなるから。


「はい、席に着いて」

 

 結局カマエメルム様とお茶をすることになってしまった。

 お茶もお菓子もおいしいけど、このあとが面倒なのよね。絶対に誰かしら見ていて、このことでまた嫌味を言われたり嫌がらせされるんだわ。はぁ……本当に憂鬱。

 だというのに。このニコニコと胡散臭い男は、何かにつけ私を特別扱いする。それが周囲にどんな感情を抱かせるか、わかってないはずなんてないのに。私がどんな目に遭うのかも。


 昔、まだここに来たばかりの頃。特別扱いされる私が気にくわない年上の使用人の男に乱暴されそうになったことがあった。「性奴隷として買われた娼館上がりの淫乱」とか言われて、暗い部屋に引きずり込まれて……

 あの時はたまたま通りかかったカマエメルム様に助けてもらえたけど、すごく怖かった。本当に怖くて怖くて、助けてくれたからって危うく元凶に依存しちゃいそうになったのよね。あれは危なかったわ。

 そもそも! あの男がこれ見よがしに私を特別扱いしなければ、私はこんな目に遭ってない‼


 ああ、思い出したら腹が立ってきたわ。

 確かに私は父が稼いだ汚いお金で育った。だから領民から恨まれるのは理解してる。でもだからといって、どんな目にあっても「私が悪うございました」なんて思えるわけないじゃない。嫌なものは嫌!

 ただ、あの件以降、直接的な暴力を受けることはなくなった。私を乱暴しようとした男が次への紹介状もなしで解雇されたのを見て、直接傷が残るようなわかりやすいことをやるのは悪手だと思ったんでしょうね。おかげで今は、毎日の空腹と精神的疲労からくる胃の痛みくらいで済んでる。


「フォウ。きみ、来月で16歳になるよね」

「はい。カマエメルム様のおかげで、無事成人の年を迎えられそうです」

「うんうん。きみもいよいよデビュタントかぁ」


 デビュタント? 家名を失ってただのトリフォリウムになった私がデビュタントボールに参加なんてできるわけないのに。何を言っているのかしら、この陰険ニコニコ男。


「来月は僕がエスコートするからね。楽しみだなぁ、フォウのデビュタント姿」

「……申し訳ありません。あの、話が見えないのですが」

「ん? 来月のデビュタントボール、僕ときみで参加するよって話だよ」


 絶対に、嫌‼ 悪徳領主の娘で元伯爵令嬢で今は平民の私がそんなものに参加なんて、晒し者にしてくださいって言ってるようなものじゃない。


「ご厚意は大変ありがたいのですが、今の私は平民でございます。どうかご容赦を」

「きみは僕に買われたんだ。拒否権なんてあると思う?」


 絶対言うと思った。本当に、なんて性格の悪い男なの。


「ですが、さすがに今回は……」

「問題ない。だからきみは来月のためにダンスの練習をするように。基礎は出来ていたし、1カ月もあれば十分だよね?」


 本当に。本当に性格悪い! 禿げろ、もげろ、加虐趣味の変態ドS男‼


「かしこまりました」



 ※ ※ ※ ※


 あれから1カ月――今夜、私は追放されたはずの場所に引きずり出される。

 何も知らなかった頃は楽しみにしていた憧れの純白ドレスもオペラグローブも、今は死出の旅への装束にしか思えない。本当に嫌。さっきからものすごく胃が痛い。


「きれいだよ、フォウ。ずっと楽しみにしてたんだ、きみがデビュタントになる日を」


 にこにこ、にこにこ。隣でドSの変態が満面の笑みを浮かべている。

 ああ、殴りたい。殴ってスッキリしてから逃走したい。


 ドS男にエスコートされホールへ足を踏み入れた瞬間、突き刺さったのは数多の視線。それはあっという間に汚いものを見るような蔑みの視線へと変わった。

 でも、なぜ? 元伯爵令嬢とはいえ、私はまだ社交界にデビューしていなかった。だから私の顔を知ってる人なんて、そんなにいるはずないのに。


「さ、王様に挨拶に行こうか」

「……は、い」


 ああ、そうか。きっとこの男のせいだわ。私がこの男に金で買われたことなど、噂好きな社交界の面々の間ではとっくに面白おかしく語られていたのでしょうね。

 突き刺さる視線も囁かれる罵詈雑言も、全部を無視してドS男は進んでいく。にこにこと楽しそうな笑みを浮かべ、私を公開処刑の場へと連行する。

 王への挨拶が終わり、いよいよ舞踏会が始まった。ドS男はファーストダンスを済ますと、友人を見つけたとか言って私をひとり残して行ってしまった。これでもう、盾になるものはなくなった。


「初めまして、レーペンス元伯爵令嬢」


 くすくすと。悪意を一切隠そうとしない少女たちが早速やってきた。


「それにしても、なぜ薄汚い平民がこのようなところにいるのかしら」

「ノビレ侯爵の優しさにつけこんで、このような場所にまで来るなんて。ああ、怖い。娼婦上がりの平民はなんて恥知らずなのかしら」


 くすくす、くすくす。彼女たちは笑顔で悪意をぶつけてくる。

 にこにこ、にこにこ。だから私は笑ってそれを受け流す。反応したら、きっともっとひどいことになるから。


「何かおっしゃったら? それとも平民は言葉も理解できないのかしら」


 にこにこ、にこにこ。相手をするのもバカらしくて、笑顔で無反応を貫く。

 でも、これは悪手だったみたい。


「あなた、わたくしたちをバカにしているの⁉」


 令嬢その1を怒らせてしまったらしい。彼女は持っていた扇子を振り上げると――


「……あ、え?」


 痛みを覚悟して目を閉じた私に訪れたのは、ぱしんという乾いた音と令嬢の戸惑った声。

 目を開けると、目の前には大きな背中。私より頭一つ高いその後ろ姿はカマエメルムのものだった。


「ノ、ノビレ侯爵……その、申し訳ありません!」

「困るなぁ、これは僕のだよ。今回は見逃すけど、次はないからね」


 カマエメルムの言葉に真っ青な顔で令嬢たちは散っていった。

 これは、もしかして助けられた? 元凶は私をこんな場所で放置したこの男とはいえ、助けられたのは事実。人として、いちおう礼は言うべきよね。気は進まないけど。


「お手を煩わせてしまい申し訳ありません。ありがとうございました」


 顔を上げると、そこにはなんとも言えない顔をしたカマエメルムがいた。

 ええと、それはどんな気持ちの顔なのかしら。残念? 不服?


「はぁ。参ったな、これはもう認めるしか……」


 なにやらブツブツと独り言を呟き始めた。意味がわからないし不気味だわ。


「……くっ! やはり」


 突然胸を抑えて叫んだカマエメルム。いったいどうしたというのかしら。頭がおかしいのはいつものことだけれど、今日は特におかしいみたい。


「帰ろう」


 私の手首を掴むと、カマエメルムはずんずんと歩き出した。馬車に乗り込んでからも彼の挙動不審は続いていて、終始顔を赤らめたりため息を吐いたりと鬱陶しかった。


「フォウ……ずっと考えてたんだ。そして今日、僕は確信した」


 もうすぐで屋敷につくという頃になって、カマエメルムはようやく口を開いた。


「僕は今まで自分は、女の子が精神的に苦しんでいる姿に興奮するたちだと思ってたんだ」


 ……ちょっと意味がわからないわ。この変態、何を言い出したの?


「だからフォウを買ったんだ。特等席で調整しながら、いい具合に苦しむきみの姿を見るために」


 薄々感じていたわ。こいつ、わざと私を特別扱いして周囲の感情を逆なでしてるんじゃないかって。やっぱりそうだったのね。


「あふ……でも、今日ようやく確信したんだ。きみをかばってあのお嬢さんに扇子で打たれたとき、気づいたんだ」


 え、なに? 今なんか気持ち悪い声上げなかった? 


「僕が本当に興奮するのは! 踏みつけても踏みつけても立ち上がってくるフォウに、蔑みの視線とキツイ一発をもらうことだって‼」


 …………気持ち悪っ!


「あの、お言葉ですが。私、視線はともかく、カマエメルム様に手をあげたことなど一度もありませんが」

「そうなんだ! だから、いつも想像してたんだ……フォウに蔑みの視線を貰ったあと、キツイ一発をもらう想像を‼」


 これ、殴ってもいい流れかしら? 殴るべき? 殴っていいのならぜひ殴りたいのだけど。

 なんて逡巡していたら、変態がいきなり座席からおりて馬車の床に這いつくばった。


「というわけで、とりあえず踏んでください!」


 開き直りやがったわね、この変態。ドSだと思っていたのに、とんだドMじゃない。

 でも、そんな這いつくばる変態を前にして、私の中には不思議な高揚感が湧き上がってきていた。


「あらあら。立派な侯爵様ともあろう御方が、こんな変態だったなんて」


 カマエメルム――もう面倒だからエムでいいわね――の頭をヒールで踏みつけた瞬間、私の中で何かが目覚めた。


「ありがとうございます、ありがとうございます! フォウ、どうか僕と結婚してください。僕はもう、フォウの罵りとヒール以外受け付けられない‼」

「どうしようかしら……」


 懇願するエムの頭をヒールで踏みつけながら微笑み、焦らす。

 でも、本当はもうわかってる。こんな気持ちを知ってしまったら、私もエム以外では満足できないもの。


「この先ずっと、一生私のドアマットになってくれるなら考えてあげる」


 私を目覚めさせた責任、きっちりとってもらうから。

  

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