80 温泉
宿が誇る自慢の温泉に入った二人は窓から見える絶景に驚いていた。
初代となる日本人の男の意向により、庭には出来るだけ日本の木々に似ている見た目のものが集められているのだ。
そうした木々の奥にそびえ立つ火山はまるで富士山かのように見えていた。
そうまでして日本を意識した作りになっているのだ。その景色に二人が圧倒され、懐かしさを感じてしまっても無理も無かった。
たった数週間。されど数週間。
全く違う異世界に放り出されてしまったと言うのは、それだけ心に大きな影響を与えるのである。
「……私たち、帰れるのかな」
懐かしさのある光景を目の前にしてセンチメンタルになってしまった桜はふとそう呟いてしまった。
勇者として召喚される際に元の世界への執着は弱められるものの、それが完全に無くなる訳では無いのだ。
桜のその一言はとても短いものの、その中には色々な感情が込められているのだった。
「……今のところこれと言った方法は無いらしいけど、探していけばいつかは見つかるかもしれないね」
そんな彼女の言葉に対して、咲はそう返した。
それはどこまで行っても、結局のところはただの希望的観測にしかならないのかもしれない。
だがそれと同時に、この世界にはまだ見ぬ何かがあるのもまた事実であった。
要するに一切帰る方法が無いのだと確定している訳でもないのだ。
「うん……そうだね。ありがとう咲ちゃん」
桜もそれは理解しているため、それ以上話を続ける訳でもなく、隣にいる咲に肌を密着させるのだった。
「……」
「……」
黙ったままの二人を湯煙が包み込み、湯から出ている部分をもゆっくりと温めていく。
そのせいか、はたまた別の要因があるのか、いつの間にか二人とも頬を赤く染めていた。
チラチラと互いの顔や体を見るものの、何をするわけでも無い二人。
しかしその時だった!
とうとう我慢の限界を迎えてしまった桜は咲を襲ってしまったのである!
「さ、桜……!?」
「ごめんね咲ちゃん、最近全然発散出来て無かったから……私、もう限界で……」
彼女の眼はまさしく野獣と言うべき捕食者のそれであった。
フェーレニアを出てからというもの、行商人の馬車の護衛をしている間はそう言った事を出来る雰囲気では無かったし、匿ってくれた金銀姉妹の屋敷でおっぱじめるだなんてそれこそもってのほかだったのだ。
その結果、抑圧されていた全ての欲望が解放されてしまった今、彼女は二度と止まらぬ暴走機関車と化してしまった訳である。
「ハァ……ハァ……咲ちゃん……!!」
「ま、待って桜……! ひとまず落ち着こう!?」
荒い息のまま体を押さえつけてくる桜に向けて咲は慌てた様子でそう叫んだ。
「私はおち、おちつついてるよ」
「駄目だこれ早く何とかしないと……!」
咲は暴走した桜をどうにかして鎮めようとするものの、残念ながら時既に遅し。
哀れな子羊である咲は捕食者たる桜に容赦なく食われてしまう……。
……と、思われたその時。
「ふえぁ……」
桜は気の抜けた声を漏らし、意識を失ってしまったのだった。
――――――
「ごめん、咲ちゃん……」
頭を冷やした桜は開口一番、これでもかという程に真剣な声と表情で咲への謝罪の言葉を口にした。
「ううん、私こそもっと早く気付くべきだったから」
金銀姉妹の屋敷でのこともあり、咲は彼女が湯あたりしやすい体質だと言うことは知っていた。
しかしまさかここまでとは思っておらず、完全に油断していたのだった。
「……お水飲む?」
咲はそう言って未だ頬を染めたままの桜に水の入ったカップを手渡した。
「うん、ありがとう……」
それを受け取った桜はゆっくりとその水を飲み始める。
「んくっ……ぷはっ」
そんな桜の姿を咲は黙って見つめていた。
「……」
同時に彼女もまた頬を染めてしまう。
しかし温泉で上がった咲の体温はとっくに元に戻っていた。
では何故こうなったのだろうか?
その理由はただ一つ。桜のその姿があまりにも煽情的過ぎたのである。
上気した顔に、どこか虚ろな目。そして乱れた服のまま、嬌声にも似た声をごくごくと水を飲むたびに漏らしているのだ。
つい先程襲われそうになったばかりの咲にとってそれらは抗いがたい誘惑であり、同時に劇毒でもあった。
「桜……」
無意識の内に、咲は桜に向けて両手を伸ばしていた。
もはや彼女自身ですら自分が何をしているのかわかっていない様子である。
「咲ちゃん? ……ふふっ、いいよ」
咲のその行動の意味を理解したのか、桜は優しく微笑み肯定の意を示した。
そして両手を広げて彼女の次の行動を待つ。
「……ごめん」
しかし咲は彼女に触れる直前でその手を引っ込めてしまった。
あろうことかこの土壇場で我に返ってしまったのである。
また真昼間からおっぱじめることに抵抗を持っているのも事実であった。
「……咲ちゃんの意気地なし」
そんな咲を見ながら桜は彼女に聞こえない程の声量でそう呟くのだった。
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