初心に帰るメリィ

 のんびりとした朝、眠るロイの隣でメリィがせっせと身だしなみを整えていた。

 耳の付け根や尻尾をマッサージしてコリをほぐし、血行を良くすると、次は真っ白い髪に丁寧に櫛を通す。

 うねりの少ない真っ白な長髪に加え、頭からピョコンと飛び出した大きな耳やフサフサの尻尾まで綺麗に毛並みを整えると、最後にヘアオイルでしっとりツヤツヤにまとめた。

『やっぱ、美人さんなんだな』

 少し前にメリィの気配で目を覚ましていたロイが、重たい眼を半分ほど持ち上げて彼女を眺めた。

 窓から差し込む日光に反射して揺れる白髪は清水や宝石の様で、無表情ながらも少し真剣な顔つきになっているメリィの横顔は人形か彫刻のように美しい。

『なんか、出会ったばっかの頃もこうやってメリィを眺めてた気がする。あの頃はメリィの意図なんかわからなかったから、とにかく怯えてたっけな。今は、こんな風にできるけど』

 懐かしい記憶にじんわりと胸が温かくなって、ロイは何となく油断したメリィの腰にガバッと抱き着いた。

 油断しきっていたメリィは、そもそもロイの起床に気がついていなかったし、加えて普段からあまり悪戯をしない彼からのハグだったので、彼女は二重の意味で驚いて飛び上がってしまった。

 せっかく整えたはずのメリィの髪と耳はぼさぼさに逆立っており、尻尾もボフッと膨張して滑らかな毛をけば立たせている。

『そんなに驚かなくてもいいだろ』

 ロイが上機嫌に笑いながら眼前の尻尾を撫でて毛を寝かせると、少し固まっていたメリィも動き出して髪などを整え直す。

 基礎がキチンとしていたからか、メリィの姿はすぐに小綺麗なものに戻った。

『おはよう、ロイ』

『ああ、おはよう、メリィ』

『さっきのビックリしたけど、いつから起きてたの?』

『正確には分からないけど、少し前だよ。メリィが耳のマッサージを始めた頃からだな』

『それなら、ちょっとじゃない。けっこう前だ』

『そうかもな』

 淡々と返してくるメリィの反応が何故か妙に面白くて、ロイはクスクスと笑った。

『ロイ、朝からご機嫌だ』

 メリィはニマニマと口角を上げる楽しそうなロイにコテンと小首を傾げている。

『それにしてもメリィ、今日は自分でブラッシングしてたんだな。珍しい。それこそ、多い日はマッサージからヘアオイルまで全部俺任せにしてたのに』

 ロイより早起きしてもブラシ片手に彼の起床を今か、今かと待っていた甘えん坊なメリィだ。

 そんな彼女が、最初から最後まで身だしなみを整えきったのは随分と久しぶりのことだった。

 ロイが関心の声を上げるとメリィはコクリと頷いた。

『今日、自分でブラッシングして、ロイの手の偉大さを思い知った。やっぱり私は、ロイの手が好き。でも、今日はお風呂上がりのブラッシングも自分で全部やる。初心に戻るから』

『初心に?』

 オウム返しで問うロイにメリィが再び頷く。

 どうやらメリィは最近、ロイに甘えてばかりだったことが気になっていたらしい。

 少し前まではロイにブラッシングをしたり、餌付けをしたりしていたのが、いつの間にか綺麗に立場が入れ替わっていたことに、今さらながら気がついたらしい。

 隙あらば抱っこをせがんだり、ブラッシングをしてもらいたがったり、「あ~んして!」と強請ったりする自分を振り返って、酷くたるんでいると思ったようだ。

『たるたる、むちむち……』

 メリィが「くぅん……」と切なそうに耳と尻尾を垂れ下げて、自分の腹肉をキャミソール越しにつまみ、揺らす。

『いや、別に増えてねーよ?』

 薄く肉の付いた下腹部を無理やりプニッとつまむメリィにロイが苦笑いを浮かべた。

 しかし、メリィはフルフルと首を横に振り返して、今度はブラシを持ったままロイに手招きをした。

『初志貫徹するから、ロイのこともブラッシングする。おいで』

 基本的に朝型の生活を送ってきたロイは、あまり二度寝に執着がない。

 欲を言えばもう少し眠りたい気もしたが、肉体と脳はスッカリ目覚め始めていたので、ロイは大人しく体を起こした。

 ぬくぬくの布団から抜け出した上半身が朝の冷たい空気に触れて少し震える。

 肌が引き締まるような感覚を覚えつつ、ロイは熱心にブラッシングするメリィに体を委ねた。

『耳のマッサージって、人間にも効くんだな』

 温かく柔らかな手のひらに耳全体を包み込むようにして掴まれ、グルングルンと回される。

 そうすると普段は全く動かされていなかった耳の周りの筋肉がほぐされて、こめかみや目の周辺、首の後ろの方まで柔らかくなった気がした。

 ポカポカと顔全体が温まって非常に気持ちが良い。

 ロイは和む気持ちと共に目を細めて、のんびりとリラックスし始めた。

 だが、しばらくして耳のマッサージを終えたらしいメリィが、唐突にロイの尻の辺りを擦り始めると彼は違和感に薄目を開けた。

『急にどうした? メリィ』

 尾てい骨を擦られたりムニムニと揉まれても不快感はないが、別に気持ちよくも無い。

 ロイが不思議そうにメリィを見ると、彼女もコテンと首を傾げた。

『いや、私は尻尾の辺りもモチモチされるの好きだから。ロイ、さっき耳は気持ちいいって言ってたでしょ。それなら、お尻はどうかなって。気持ち良くない?』

『まあ、気持ち良くはないな。尾てい骨なんて別に凝らないし』

『そっか』

 フムフムと無表情で考え込むメリィが、今度はロイをうつぶせに寝かせる。

 そして、モチモチとお尻全体を手のひらや指で揉みこみ始めた。

 初めは意地でもお尻を揉みたいのかと呆れていたロイだが、これが意外にも気持ち良い。

 一見ぜい肉ばかりのプニプニで柔らかなお尻だが、実際には少なくない量の筋肉が内包されている。

 ロイのように農作業などの肉体労働で体を鍛えていた筋肉質な体を持つ者はそれが顕著であり、普段はほぐされないお尻の筋肉が揉みこまれる心地良さは想像を絶するほどだった。

「あ~」

 思わずおっさんのようなダミ声がロイの唇から転げ出る。

 ロイが再び気持ち良さで目を細め、脱力すると彼の幸せなオーラを感じ取ったらしいメリィがフンフンと張り切って、更にお尻を揉みこみ始めた。

 その後、たっぷりのマッサージを終えたロイにブラッシングまで施して、彼の髪をサラサラにする。

 自分とお揃いのヘアオイルまでつけさせると、メリィは満足げにゆったりと尻尾を振った。

『ロイ、どう?』

 ブラシを持ったまま腕組みをして、ドヤッと問いかけるメリィは自信満々だ。

 ロイが、

『結構いいもんだったよ。やっぱ、たまにはメリィに世話されるのもいいな』

 と笑って頷けば、メリィがコクコクと頷き返して嬉しそうにブンブンと尻尾を振った。

『ご飯も食べさせてあげる。あと、お着替え!』

『いや、それはいいよ。メシと着替えは自力でやっとく。でも、夜、風呂上がりとか寝る前とか、どっかのタイミングでマッサージしてもらえるとありがたい』

『分かった!』

 威勢良く頷くメリィは、頑張る! と両手でガッツポーズを作った。

 その瞳は相変わらず「無」であるが、同時にどことなくキラキラと輝いている。

『やる気いっぱいなのは良いが、今はいいからな。あと、張り切りすぎて俺の体を壊すなよ』

『分かってる!!』

 ワフワフっとした様子で頷くメリィはあまり信用できそうにない。

 ロイは苦笑いを浮かべた。

 ところで、朝からイチャついたひと時を過ごしていたおかげで結構時間が立っており、ささやかだった日差しもかなり強くなっている。

 ロイの胃も空腹を訴えてうめいた。

『そろそろメシにするか』

 ガシガシと後ろ頭を掻きながらベッドから立ち上がるロイにメリィもコクリと頷く。

 しかし、ロイがドアの方に向かってもメリィはマゴマゴとその場で待機していて、一緒に部屋を出る様子がなかった。

『どうした? メリィ』

 訝しがったロイが問いかけると、メリィは恥ずかしそうにモジモジと指を擦り合わせて小さく尻尾を揺らした。

『お願いがある』

『お願い?』

『うん。久しぶりに、ロイに喋ってほしい。声、聞きたい』

 上目づかいでチラッとロイの顔を覗き込むメリィは籠る熱を逃すかのように忙しなく両耳を動かしている。

 モゾモゾとする彼女は羞恥でいっぱいのようだ。

「別にいいけど、喋るって……これでいいのか?」

 二週間ぶりに出した声に少し違和感を覚えるが、口頭で喋らなくなってからそこまで長い月日が経っていたわけでもないので、特に問題なく言葉を出すことができた。

 変な注文だな、と首を傾げるロイに対し、メリィが歓喜で激しく尻尾を振っている。

『テレパシーの声は普通に出す声と聞こえ方が違う。久しぶりにロイの声、聞きたかった』

「なるほど? まあ、俺もたまには声を出しときたいからいいけどな。じゃ、メリィ、朝ごはん食べに行くぞ。俺は今日はトーストの気分だけど、メリィは……メリィ?」

 パッと見の視界からメリィが消える。

 どうやら彼女はロイが目を離した隙に床にうずくまっていたらしい。

 心臓がドギッと嫌な音を立てる。

「メリィ!」

 ロイが急いで彼女に駆け寄ろうと足を一歩踏み出す。

 しかし、心配したのも束の間、メリィの尻尾がブンブンブンブンッ! と激しく振られているのを確認して呆れ笑いを浮かべた。

「そんなに嬉しかったのか?」

『うん』

 久々の口頭による名前呼びが嬉しくて堪らず、喜びが爆発してしまったらしい。

 苦笑いのロイにメリィが頷いた。

「メリィの分もトースト作っておくから、落ち着いたら来いよ」

『うん。分かった』

 尻尾と耳を激振りし、周囲に冷風を飛ばすメリィだが心の声は意外と冷静だ。

 大人しく返事をするメリィを背に、ロイは台所へと去って行った。

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