6

 ――翌朝。

 リデーレの森の前は広大な土地一帯が墓地になっていた。立ち並ぶ墓石を眺めながら、その下に眠る多くの人の人生に思いを馳せる。

 満足して逝った人、道半ばで逝った人。フィミラのように、自ら命を絶つほど追い詰められた人。

 ――その全て、死んだあとは平等に地面の下で眠るのだ。


「……意外に、何も居ないんですね」


 見回しても霊の影はなかった。墓地とは言っても太陽の光降り注ぐ朝では、姿を見せないのだろうか。

 

「墓地に居るというのは、執着する人や場所がないっていうことだ。だから存在が薄くて、昼間は見えない場合が多い。夜は別だけどね。ぼんやりと立っているのが結構いる。……よっ、と」


 ルードはそう言いながら、持参したシャベルを地面に突き刺し、てこの原理で墓石の下を持ち上げた。ぐらついた墓石をユルゲンスさんが倒れないように支える。その墓石には、『フィミラ・イリーネ』の名前が刻まれていた。

 墓石を脇に避け、男性二人はざくざくと地面を掘り進む。手伝いたいと申し出たが双方から固辞された。体力には自信があるのにな。


 ヘデラは険しい顔をして二人の作業を見つめている。無実の証明のためとはいえ、自分の妹が間違いなく死んでいるなんてことを確認する、なんて。一体、どんな気分なのだろう。


 しばらく掘り進むと、ルードのシャベルが何かにぶつかってコツリと音を立てる。シャベルを持つ二人は目を見合わせ、ぶつかったものを傷つけないよう慎重に土をどかしていく。土が完全に掘り上げられると、そこには立派な棺の蓋が現れた。


「……埋葬された遺体は、腐敗の進行が遅くなる」


 棺を見下ろしたルードは、額の汗を拭いながら話す。


「完全に骨になるまで五年。フィミラの埋葬が三年前なら、まだそこまでは至っていない。中の遺体はそれなりに直視しづらい状態になっているはずだ。……それでも見るか?」


 そう言って、確かめるようにヘデラを見上げる。

 

「舐めんな。どんな姿になってもフィミラはアタシの妹だ。体が腐ったくらいで見られないなんて薄情なこと言うもんか。……でも」


 言い淀んだヘデラは、ちらりと私の方を見て、申しわけなさそうに続ける。


「中を見るのは、アタシと……ルードと、ユルゲンスだけにしてくれないかな。三人で確認すれば十分だろ?……フィミラも、女の子だからさ。あんまりたくさんから見られるのは、嫌かなって思うんだよね……」


 ヘデラの視線を受けて、私は頷く。


「うん、わかった」

「……ごめん、アリー」


 微笑んで首を振る。それがフィミラへの優しさと、私への気遣いであることはわかってる。私は墓穴から少し離れ、中が見えないように背を向けた。


「開けるぞ」


 ルードの声がして、背後から金属の蓋が持ち上がる音がする。

 

 ――その瞬間、私の視界の奥、森の前に一人の女が立っているのが見えた。

 ぼろぼろのドレスを着て俯いているから顔は見えない。手足は青白く、斑状に黒く変色していて、この世の者じゃないのはひと目でわかった。

 それは、するすると腕を持ち上げる。そして森の奥を真っ直ぐに指し示すと――消えた。 


「……アリー!アリー!?どうした!?」


 揺さぶられてはじめて、名前を呼ばれていることに気がついた。こめかみを冷たい汗が流れ落ちる。ガタガタと身体が震えて止まらない。空気が足りない。

 見ただけで、わかる。あれはなにか、とても……良くないものだ。

 

「……森の前に、何かいました。……女の人です。森の方を……指さして……消えました」


 からからに渇いた喉から、どうにか言葉を振り絞る。私の背中を支えたルードは森の方を睨みつけた。


 しばらく背中をさすってもらって、少しずつ呼吸が整ってくる。そこでようやく、ここへ来た目的を思い出す。そうだ、棺の中身は。


 ルードを見上げる。彼は首を振って墓穴を指差した。おそるおそる覗き込んでみる。蓋の開いた棺の中には茶色く萎れた、かつては花だっただろうものが敷き詰められている。その上には女性ものの装飾品が散らばり――それだけだった。

 

 フィミラ・イリーネは、どこにも居なかった


 ヘデラは拳を握りしめて、それを見下ろしていた。


*****


「可能性は二つ」


 無言のまま棺を埋め戻した後、ルードは私達に向かって、長い指を一本立てた。

 

「一つは、自死を装い仮死状態になって協力者に掘り返してもらった。この場合、フィミラは生きていて、レイディと名乗っている可能性が残る」


 続けて、指を二本に増やす。

 

「……二つ目は、アグラ氏が語った昔話の伝承通り、フィミラの遺体は森に召された。この場合、フィミラは間違いなく死んでいて、レイディではない」


 ここでユルゲンスさんが手を上げる。

 

「はい、墓荒らしの可能性は?」

「棺の中には副葬品の貴金属がそのまま残されていた。どれもそれなりに高価なものだ。墓荒らしなら、それを放置して遺体だけを持ちするのは不自然だ」


 ルードはそう言うと顎に手を当て考えながら言う。


「……何らかの目的で何者かが遺体だけを盗み出したという線は、ひとまず置いておこう。今検証できるのは、二つ目の可能性だ。アリーが見た女のこともある。行くしかないと思う――あの森へ」


 その視線の先には、リデーレの森が黒々と横たわっている。それはまるで私たちが飛び込んでくるのを待っているような不気味な雰囲気だった。

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