4

「……待ってて、そっちに行く」

「え!?待って、そこ二階……!」


 私の制止を華麗に無視したルードは、軽やかにベランダの柵を飛び越えて、音もなく地面に着地した。

 ルードは驚く私に歩み寄り、羽織っていた上着を脱いで私の肩にかけてくれる。


「夜は冷えるから。使って」

「……ありがとうございます……」


 上着を借りると薔薇とはまた違う良い香りがして、思わず赤面してしまう。ルードに促されて、庭の隅にあるベンチに並んで腰掛けた。月明かりが静かな庭を照らしている。少しの沈黙の後、ルードが口を開いた。

 

「……何かあった?」

「え?」

「この前から……少し、様子がおかしいから」


 そういえば、まともに視線を合わせるのも久しぶりだった。柘榴色の瞳が、不安げに私を見つめていた。

 

「……ヘデラに、ルードのことを聞きました」

「俺の?」

「はい。と、いっても、ギルドがいつできたか、とか。昔はルードのファンがいっぱい押しかけてきて大変だった、とか。そんなことですけど」


 苦笑して話す私を見て、ルードは怪訝な顔で首を傾げる。


「なんで……俺のことなんか」


 なんで、と聞かれると、少し困るんだけどな。

  

「あなたのこと……もっと、知りたかったから」


 ……理由になってるかな。

 左手の指輪を見る。この指輪の位置の意味も知ってる、と言ったら。この人はどんな顔をするのだろう。 

 ――『女嫌い』と噂されるルードが遠ざけたというたくさんの女性達に思いを馳せる。

 知っていてなお、このまま指輪をつけていたい、なんて。そんな事を正直に言ったら。……ルードは、私のことも突き放すだろうか。


 ――沈黙。おそるおそる視線を上げ、ルードの表情を確かめる。……ルードは、目を限界まで見開いたまま……硬直していた。


「……ご、ごめんなさい、やっぱり、気分悪かったですよね?こそこそ聞かれて」 

「いや、決して……そんなことはない。……破壊力が、すごかっただけで……」


 ルードは私から顔を逸らすように、天を見上げて手で顔を覆ってしまった。表情はよく見えないけれど、心做しか……口元が緩んでいるような。


「……物心ついた頃から、死者の声が聞こえていた」


 ルードはそのままの姿勢で、ぽつりぽつりと話し出す。


「変な子供だって言われ続けてたよ。当然だ。壁に向かって一人でブツブツ喋ったり、笑ったりする姿は不気味だったろうな。周りとは距離があった。父と母とも。……兄とは仲良かったんだけどね。なんというか……エキセントリックで、色んなことをあまり気にしない人だから」


 ……お兄さんのことを話すときだけ、ルードは不自然に言い淀む。エキセントリックって……一体、どういう人なんだ。


「他の人間には聞こえないものが俺には聞こえる。そう気づいてからは、極力聞こえないふりをした。怖い思いもしたけど、そういうものを追い払う方法も少しずつわかってきたし、そのうち慣れた。そうして俺が十歳の頃……母が亡くなった」


 息を呑む。幼いルードを思い、胸が痛んだ。


「母が亡くなってから……彼女の声が聞こえるようになったんだ。……酷い恨み言だった。『私が死んだのはお前のせいだ』『お前がおかしな子供だから』『お前なんて生まなければよかった』って」

「……そんな……!」


 思わず声を上げた私に、ルードは苦笑して手を振った。

 

「ああ、大丈夫。この後、笑い話になるから。……結論から言うと、それは母じゃなかったんだ」

「え?」

「ちょうどその頃……ある人が、俺に霊の姿を見る方法を……教えてくれた。それまでは声だけで、姿は影みたいにしか見えなかったから。はっきり見えるようになって、俺に恨み言を言う奴の顔を見てみたら……母じゃなかった」


 ルードは笑いながら話を続ける。 

 

「全然別人だったよ。声だけじゃわからなかったけど。そいつを追い払ってから、母の墓に行ってみた。話は出来なかったけど、そこには母がいた。微笑んで、俺に手を振って……消えた」


 ルードは真剣な顔に戻り、私を真っ直ぐに見つめ直した。

 

「視力をくれたその人に、俺は感謝してるんだ。見えないままだったら、騙されたまま自分を責めて、母を恨んで……どうなっていたかわからない。だから、次は俺が、力を誰かの助けに使おうと思った。そうして『薄明』を作ったんだ」


 ルードはいたずらっぽく笑いながら、私の顔を覗き込んだ。


「……おしまい。どう?知りたいことはわかった?」

「……うん」


 綺麗な笑顔に、ぼうっとなりながら返事する。彼の強さの理由が、わかった気がした。

 ……やっぱり間違いなく、この人は……優しい人だ。


「……次は、俺が知りたいな」

「え?」


 間抜けに聞き返した私に向かって、ルードは続けた。

  

「君のこと。……別に、俺みたいな身の上話じゃなくてもいい。好きなもの、嫌いなもの、行ってみたい場所、楽しかった思い出……些細なことでも。なんでも」


 声が、甘い。ルードはいつの間にか、少し私の方に寄ってきていて、二人の距離が縮まる。


「俺も……君のことが、知りたい」


 それは、どういう意味なのか。のぼせた頭で考える。ルードの顔が、私に近づいた、その時――


「……ふっざっけんなよお前!!」


 ――宿屋の中から、ヘデラの怒鳴り声が聞こえてきて、私達は我に返った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る