第8話 ラブ・ストーリーは突然に

 呆然としている私の目の前にスッとハンカチが差し出された。


 つと顔を上げるとアラスター王太子が痛ましそうな顔を向けている。


「申し訳ない。まだこんな話をすべきではなかったのに…」


 私は軽く首を振るとハンカチを受け取って涙を拭いた。


 今朝のお母様の様子から私の事を怒っているだろうとは思っていたけれど、まさか公爵籍を除籍するまでとは思ってもみなかった。


 それを聞いて泣くなんて、私は心の何処かで両親が私を慰めてくれるのを期待していたのだろう。


 それにしても…


「どうしてアラスター王太子はレイノルズ公爵家にいらしたのですか?」


 キャロリンにお祝いを言いに行ったのかしら?


 でも今、私に会いに行ったと言われたような。


 するとアラスター王太子は何故か頬を赤らめて、視線を彷徨わせている。


 その様子が可笑しくてちょっと笑ってしまうわ。


 アラスター王太子は後ろを振り返ると立っているウォーレンに指示を出す。


「少し席を外してくれないか」


 けれどウォーレンはかぶりを振ってアラスター王太子の願いを却下した。


「それは出来ません。未婚の男女を二人きりにするわけにはまいりません。アラスター様はともかく、キャサリン様に不名誉な噂が流れるのは避けなければなりません。なので耳を塞いでおきます」


 セドリック王太子に婚約解消された以上に悪い噂なんてないと思うんだけれど、私を気遣ってくれるのが嬉しいわ。


 だけど、アラスター王太子の後ろで両手の人差し指を耳に突っ込んで立っているのはどうなのかしら?


「ウォーレン、後で覚えてろよ」


 ポツリとアラスター王太子が何か言ったようだけれど、私の耳には届かなかった。


「え?」


 聞き返そうとした私の隣にアラスター王太子がスルリと腰を下ろす。


(ち、近い…) 


 先程、アラスター王太子に抱き上げられたけれど、あれはまだ猫の姿だったから何とか耐えられた。


 こうして人間の姿ですぐ隣に座られるなんて、私の心臓が保たないわ。


「あ、あの…」


 少し距離を取ろうと位置をずらすと、アラスター王太子はその分私に詰め寄ってくる。


 二人きりじゃないにしても、こんなに距離を詰めて座っても大丈夫なのかしら?


 チラリとウォーレンに目をやると、耳に指を突っ込んだまま、素知らぬ顔をされた。


 どうやら距離が近いのは黙認するようだ。


「キャサリン嬢。昨夜婚約解消されたばかりのあなたに告げる事ではないかもしれません。ですが、今を逃せば次はないかもしれない」


 アラスター王太子の言葉はちょっと大げさに聞こえるけれど、公爵家を追い出された身としては、これからどうしていいかわからないからあながち間違いじゃないかもね。


 アラスター王太子は一旦言葉を切ると、更に真剣な眼差しを私に向けてくる。


「キャサリン嬢、どうか僕と結婚してください」


 …結婚…?


 …私と…?


 雰囲気的に「好きです。付き合ってください」くらいは言われるかもと思っていたけれど、いきなり「結婚」なんて言葉が出てきて私はびっくりした。


 いや、まあ、王族だから『お付き合い=結婚』なのはわかるけれど、何もこんな傷持ちの私と結婚なんて、周りが許さないと思うわ。


「アラスター王太子、いくら何でも私と結婚なんて、コールリッジ王国の方々が許してくださるとは思えません」


「いえ、大丈夫です。僕はキャサリン嬢以外とは結婚しないと両親に宣言してきましたので」


 そんなきらびやかな笑顔で言われても、「はい、そうですか」なんて言えるわけないでしょう。


 返事に困って再びウォーレンに目をやったら無言でコクコクと頷かれた。


(耳を塞いでいるはずなのに聞こえてたのかしら?) 


 だけど、すぐにアラスター王太子の手を取る気にはならない。


 学生時代に多少の交流はあったけれど、それほどアラスター王太子の事を知っているわけではない。


 ましてや公爵籍を抜かれて平民になった私をコールリッジ王国が受け入れてくれるとは思えない。


 それに一番の懸念は私の呪いが解けたかどうかなのよね。


「アラスター王太子。お申し出は大変嬉しいのですが、すぐにはお返事出来ません。どうかしばらく考える時間をくださいませんか?」


 アラスター王太子は少ししょんぼりした表情を浮かべたけれど、すぐに笑みに変えた。


「了承を得られなかったのは残念ですが、速攻で断られるよりはマシですね。きっと僕を好きにさせてみせます」


 …まぁ、その笑顔にやられない人なんていないと思うけれど、その自信は何処から来るのかしら。


 曖昧に笑った所で妙に鼻がムズムズしてきた。


 …ヤバい…


「…クシュン!」


 再びクシャミをした途端、またもや「ポンッ」と音がして私の姿は猫に変わっていた。


 …結婚より先にこの呪いをどうにかしなきゃね。


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