10. 新たな決意
よろよろと胸を押さえながら光の道を進んでいくと、次々と並んでいる画面には知らない自分の姿が映し出され始める。
恋愛を経験し、結婚し、子供を育てる美咲――――。
はぁっ!?
頭が真っ白になる。なによこれは?
他の画面を見てもそこには記憶にない自分の姿が次々と流れている。大企業で活躍するスーツ姿のキャリアウーマン。世界を旅する冒険家としての姿。
「な、何よ! こ、これも私だって言うの!?」
がく然とした。システムは「選択しなかった未来」を次々と表示していくのだ。それらの画面の中の自分はキラキラと輝き、とても幸せそうに見えた。
「こんな……未来もあったの……?」
後悔の念が芽生え始める。確かに言い寄ってきた男たちの中にはとてもやさしく誠実な人もいたし、大企業の先輩に転職を誘われたこともあった。しかし、変化に臆病なあまりあと一歩踏み切れず、断り、逃げ続けてきたのだ。
「逃げない人生……そうよね……」
あまりに幸せそうな笑顔を見せる画面の中の自分を直視できず、うつむいてしまう。
その時、足元の光の道が揺らめき、明るさが陰っていく――――。
「えっ!? や、止めて!」
この世界は想いが力になる世界。心が揺らげば存在そのものが揺らいでしまうのだ。
「違う! 違うのよ!」
思わず叫んだ。
「確かに私は逃げてきたわ。でも、キラキラと輝くだけが人生じゃないのよ。私には……私には……」
しかし、その先が続かない。
自分の生活は地味だが割と気に入ってる。しかし、それがキラキラ生活より良いのだとうまく言い表せる言葉がのどから出てこないのだ。
くぅぅぅ……。
大きく明滅しだす光の道。このままではいつ消えてもおかしくなかった。
その時、胸の中の蝶が大きく羽ばたく。その瞬間、空中に新たな映像が現れた。
祖母と一緒に店番をする楽しそうな姿。常連客と笑顔で話す様子。一人で推しのグラスを綺麗に拭いて棚に並べ、静かに微笑む場面。
「そう……、そうよ! これが私の選んだ人生!」
思わず涙が湧き上がってくる。
「完璧じゃない、キラキラなんてしてない。でも、確かに私の人生。そして……」
美咲は胸の蝶を優しく見つめた。
「おばあちゃん、紗枝ちゃん、お客さん、みんなと過ごした時間、一つ一つが私の宝物なの! とっても大切なの!!」
涙でぐちゃぐちゃになりながら叫ぶ。
全ての画面の映像が止まり、ブロックノイズがあちこちに走り始める。
「そして……」
胸に去来する後悔の念を押さえつつキュッと唇を噛んだ。確かにもっといい生き方はあった。だが、人生が終わった訳ではない。その気になれば人生は何度だってやり直せる――――。
「私は今回の冒険で変わったの……。もう逃げないわ!!」
決意のこもった目で力強く宣言する。それは生まれて初めて断言した人生の指針だった。
刹那、全ての画面が消えた――――。
ヴゥン……。
電子音とともに現れる一つの扉。
それは幾多の物語を秘めたような古びた木の扉だった。その温かな趣は、まるで優しく「おかえり」と囁きかけているかのようにすら感じられる。
胸いっぱいに空気を吸い込み、震える指で蝶を胸元に寄せた。世界樹の試練を乗り越えた安堵感が、春の陽光のように全身を包み込んでいく。
世界樹の鋭い指摘が、心の奥底に眠る脆さを容赦なく暴き出した。その痛みと向き合う中で、思いもよらず自分の在り方が鮮明に浮かび上がった。世界樹にそのような意図があったのかは定かではないが、今となっては、この厳しくも慈愛に満ちた導きに心からの感謝を覚える。
「行こう、おばあちゃん。私たちの新しい未来へ」
扉のノブに手をかけ、決意を乗せて力を込める。冷やりとした鉄製の黒いノブはガチャリと小気味のいい音を立てて回った――――。
◇
扉を開けると息を呑むような光景が目の前に広がっていた。そこには、夢幻の世界から切り取られたかのような透き通った泉が、まるで永遠の時を湛えているかのように静かに佇んでいる。天空から降り注ぐ光は泉面で踊り、この世のものとは思えない神聖な輝きを放っていた。
「こ、ここが目的地……なのね?」
中を覗くと、星屑を散りばめたかのような金色の微粒子が踊り、見る者の魂を浄化するかのような神秘的なオーラを放っている。
ふわぁ……。
それは生命の根源とも呼べるような力強さを感じさせ、まるで天国の一隅を覗き見ているかのような畏怖の念に包まれた。
「おばあちゃん、ついに着いたよ! これで治るよ!」
あふれてくる涙をぬぐいもせずに、両手に蝶を乗せた。
傷ついた羽、くすんだ青い輝き。それでも祖母は気丈に美咲の方を向いてゆっくりと羽を動かした。
ゆっくりとうなずくと、祈りを込め、おそるおそる蝶を水面に解き放つ――――。
刹那、鋭い青い光の波紋が泉全体を包み込み、息を呑むほどの美しさに心を奪われた。
言葉にできない感動が胸を満たす中、泉は静かに蝶を光で包み込んでいく。蝶の輪郭が曖昧になり、光の中に溶け込んでいく様は、まるで魂が昇華していくかのように見えた。
やがて、眩いばかりの光が辺りを覆い尽くし、その温もりに包まれながら、意識が徐々に遠のいていく。
「あぁ、よかった……」
心温まる確信の中、安堵の涙を流しながら、穏やかな闇の中へと身を委ねた。
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