魔界化ダンジョンにて

 魔界ダンジョンの入り口を潜り、俺たちは再びこの奇怪な世界に足を踏み入れた。灰色の空、赤黒い大地、生きているかのように蠢く環境。二度目とはいえ、その光景は俺の心を強く揺さぶる。


「相変わらず、すごい場所だよね」


 シルヴィが呟く。彼女の声には、恐れより興奮の色が強い。ミアは黙ったまま周囲を見回している。彼女にとっては、ある意味では故郷のような場所なのかもしれない。その表情からは複雑な感情が読み取れる。


 硫黄の匂いが鼻をつく。前回の教訓を活かし、俺は防毒マスクを装着している。他の二人は魔法でなんとかなるそうだ。それでも、この世界の空気そのものが、俺たちの体に負担をかけているのが感じられる。


「行こっか。私とミアが見つけたルートなら、安全なはずだよ」


 シルヴィが前に立ち、俺たちを導く。彼女とミアが共同で発見したという、魔神の雷を避けるルートだ。


 俺たちは慎重に歩を進める。足元には相変わらず、黒く光る川が流れている。あれは超高密度の魔力が流れなのだという。


「あれ、前より……増えてない?」


 シルヴィの言葉に、俺も気づいた。川の流れが前回よりも速く、量も多いように見える。


「気をつけて進んで。この印を辿っていけば大丈夫」


 ミアが指さす先に、かすかに光る印が見える。それは通常の目では捉えにくいが、確かにそこにある。俺たちはその印を頼りに、迷路のような空間を進んでいく。


 頭上で雷鳴が轟く。しかし、シルヴィとミアが示すルートを外れなければ、その脅威に晒されることはない。


 壁は生きているかのように脈動し、奇妙な模様を浮かび上がらせる。その模様は、何かの文字のようにも見えるが、俺には読み取ることができない。


「ミアはあの模様、どんな意味かわかるのか?」

「さあね。でも、何かを伝えようとしているのは確かだと思う」

「無視して大丈夫なんだろうか」

「んー。今のところはなにも問題はないのよね」


 歩を進めるうちに、俺は一つの法則に気づいた。壁に現れる模様は、次第に複雑さを増していく。そして、その複雑さが頂点に達したとき、次の部屋への入口にたどり着くのだ。


「ここが次の部屋だよ。準備はいい?」


 シルヴィの言葉に、俺は頷いた。足を踏み入れるまでは、真っ暗でなにもない、暗幕のようになっている。そして、そこに足を踏み込むと、そこには予想もしなかった光景が広がっていた。


 部屋全体が巨大な水晶でできているかのようだ。床、壁、天井、すべてが透明で、その向こうには無数の星々が輝いているように見える。しかし、よく見ると、それは星ではなく、小さな生命体のようだ。


 部屋の中央には、巨大な祭壇がある。その上には、球体の物体が浮遊している。球体は虹色に輝き、中で何かが渦を巻いているように見える。


「これは一体……」


 俺が言葉を失っていると、ミアが祭壇に近づいた。


「この球体、私に何か語りかけてくるの」

「こっちの意味はわかるのか?」

「この世界の……起源? そんな感じのことを伝えようとしているみたい」


 俺たちが球体を観察していると、部屋全体が振動し始めた。


「わっ、これは初めての事象かも!?」


 シルヴィの叫び声と共に、部屋の壁面に無数の文字が浮かび上がる。それは先ほどの壁の模様と同じだが、今度ははっきりと文字だと分かる。


「これは……古代魔法文字?」


 ミアが静かに前に出た。


「私に……読めるわ」


 俺とシルヴィは驚いて顔を見合わせた。


 ミアは真剣な表情で文字を追っていく。その瞳には、何か強い決意のようなものが宿っていた。


「これは……世界の調和と……新たな力の到来について書かれているわ」


 ミアの声は低く、どこか遠くを見ているようだった。


「新たな力? それって何のことだ?」


 俺の問いにミアは即答せず、しばらく黙っていた。


「詳しくは分からないけど……世界を導く存在が必要になるって。そして、その存在を見出し、導く者の役割についても」


 ミアの言葉に、俺とシルヴィは首を傾げた。その意味するところが掴めない。


「これ以上は私にもよく分からない」


 そう口にしながらも、ミアは何か、瞳の奥で読み取っていくような感じが見て取れた。もっとこの部屋を探求したかったし、そのことについても言及したかった。しかし、これ以上は叶わなかった。球体が激しく輝きだし、部屋全体が揺れ、壁面の文字が次々と消えていく。


「やばい、ここはもう危険だ。急いで戻ろう!」


 俺の叫びに、三人は急いで来た道を引き返した。どうやらダンジョンが崩れたりはしていないみたいだが、壁は塞がってしまった。この魔界ダンジョンはただ景色が禍々しいだけの個室になってしまっている。その後も、ダンジョンに変化がないかと確認してみたが、めぼしいものは何も見つからなかった。


 工房に戻ると、リサが心配そうな表情で迎えてくれた。


「お帰りなさい。無事で何よりです」


 俺たちは軽く頷き、作業場に向かった。そこで、今回の探索で得た情報を整理し始める。


「ロアン、あの球体のこと、知ってるの?」


 シルヴィがおもむろに口を開いた。俺の様子に気づいてのことだった。


「あれは明らかに人工物だ。しかも、高度な魔力技術を使って作られている」


 俺は考えながら答えた。球体の構造は、俺のクラフトスキルでは到底及ばないレベルのものだった。しかし、それでもわかる。あれを作ったのが、人間側か、それに近しい何らかの存在であることが、俺のスキル知識を通して読み取れたのだ。これも、新たに習得したスキルのおかげなのかもしれない。


「でも、誰が、何のために作ったんでしょうね」


 リサが疑問を投げかける。


「それが分かれば、この魔界化ダンジョンの謎も解けるかもしれない」


 俺はそう言いながら、ミアの方をちらりと見た。彼女は黙ったまま、遠くを見つめている。


「ミア、大丈夫か?」


 俺が声をかけると、ミアは少し驚いたように顔を上げた。


「あ、ごめん。考え事してた」


 隠している、というわけではなさそうだ。ただ、中でも混乱が激しいのだろう。


「気にするな。とにかく、今回の探索で分かったことを整理しよう」


 俺は話題を変え、探索の結果をまとめていく。魔界ダンジョンの構造、魔力の流れ、そして古代魔法文字の存在。これらの情報を組み合わせれば、何か新たな手がかりが得られるかもしれない。


 作業を進める中、俺の頭の中では次の行動計画が形作られていった。S級パーティの対抗戦の準備も進めなければならない。そして、ブレイクウォーター領の依頼も控えている。


「忙しくなりそうだな」


 俺は小さく呟いた。しかし、その声には期待と興奮が混ざっていた。これらの難題が、俺のクラフトスキルの向上を予感させるものだったからだ。


「明日は、ダンジョンタイムアタックだ。俺たちの装備がどう使われるのか見てみよう。それからは、ブレイクウォーター領と他領地の代表者を出迎える準備だ」


 まずは直近のやることから整理していくことにした。

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