ミーナの冒険 女王の夏休み

きょん

第一話 邂逅

 いかに高地に位置する山間の街であっても、盛夏の暑さは他所と同様だった。

 けれども、真っ白なワンピースをひらめかせながら歩く娘の表情は涼やかで、その足取りは時折吹き抜ける冷涼な山風にも似ていた。

 太陽から逃げ場の少ない表通りから一本奥へと足を踏み入れると、僅かに熱気が和らぐ薄暗い路地の空気が彼女の肌を撫でる。大きな革製の旅行鞄を足元へと置いた娘は額の汗をハンカチで拭い、おもむろに周りを見回した。 

 そして娘は通りがかりの中年女性を目にすると、彼女の傍へと小走りで近寄った。


「そちらの方、この辺りにレンフィールドさんという方がお住まいでなくって?」

「ああ、レンフィールドさんならこの先の角を右に曲がった二軒先の家だよ」


 言葉を交わした娘は小さく会釈をすると、再び鞄を持ち、教えられた家へと歩みを進めていった。

そしてすぐに目的の、それは古びた家のひしめく路地の一角にある、年季の入った木製の扉の質素な住居へと辿り着く。娘は荷物を置くと数度扉を叩き、乾いた音が裏路地に響いた。


「ごめんください」


 娘は被っていた麦わら帽子を脱ぎつつ、柔らかな口調で声を掛ける。すると中から返事と共にどたばたという駆ける音が聞こえ、やがて扉が開いた。


「はい、何の御用で…………っ!?」


 中から現れた蒼い瞳の女性は、来訪者の顔を見るや否や、顔を少し引きつらせて言葉を失った。

だがそんな彼女とは対照的に、白いワンピース姿の娘は表情を綻ばせて口を開く。


「元気にしていたかセレス、いや違った。今のお前はエリーだったな」




 エリーと呼ばれた女性は訪問者を家の中へと招き入れた。彼女は手にしていた帽子をテーブルへ置くと、疲れたような表情を浮かべて椅子へと腰掛ける。


「にしても姉さん、一体どういう事なの?」


 エリーは困惑したように眉根を寄せながら、姉の前に氷の浮かんだ飲み物を注いだグラスを置いた。すると彼女は得意げな笑みを浮かべて、妹の顔を見てこう言った。


「王宮を抜け出して、夏休みを楽しみに来た」

「夏……休み?」


 自分用に用意した、冷えた飲み物を湛えたグラスを手にエリーは言葉を失う。目を見開いたまま、呆れとも、あるいは怒りとも取れる顔つきの妹と、そんな彼女の表情を悪戯っぽい笑顔で見つめ返す姉。二人の間には静寂が訪れる。

 けれどもその静けさは長くは続かず、玄関の扉を開ける音の後に、この家の主の孫娘であるミーナ・レンフィールドのくたびれた声が響いた。


「ただいま~~」


 間延びした声と、鞄かなにかを放り投げる湿った音がした後、声の主である少女がエリーたちの前に現れる。


「エリー、ただいま~。お客さん来てるの……ってフィオレンティーナ様⁉」


 ミーナは来訪者の、フィオレンティーナの顔を見ると、元々大きな瞳を更に見開いて驚きの声を上げた。そして傍に居たエリーはため息と共に肩をすくめたが、フィオレンティーナはその笑顔を崩す事無く、ミーナに向かって口を開いた。


「あの時は世話になったな。随分と……そうか、もう一年以上経つんだな、元気にしてたか?」


 そんな彼女の言葉の後、再度の静寂がレンフィールド家の居間を包み込んだ。




 椅子に腰掛けたミーナはフィオレンティーナを前に落ち着かない様子だった。時折、エリーの方を向いたり、視線を宙に泳がしてみたりするが、何を話せば良いのか分からないようで、口を噤んだままに泳がせた視線を手元におさめる。

 すると見かねたエリーはグラスから唇を離すと、会話の糸口をつかむかのように口を開いた。


「まさかこんな庶民の家に、アルサーナ王国の生きた伝説、フィオレンティーナ女王陛下が御出でになってるとは、誰も想像しないでしょうね」


 その行動を無責任と糾弾するような、皮肉に満ちたエリーの言葉だったが、女王は眉一つ動かさずに妹に言葉を返した。


「あたしは誰かさんみたいに家出したわけじゃない。残された者に迷惑が掛からないようにきちんと準備した上で、休暇を楽しみに来たんだ」

「……というと?」


 皮肉に嫌味を返されたエリーは、眉根を寄せてグラスに再度口をつける。そしてその横ではミーナが姉妹の顔を交互に見やりながら、心配そうな表情を浮かべていた。


「まあ話せば長くなるんだが。元、とは言え第二王女のお前にも話しておいた方が良いかもしれないな。ところで……ミネルヴァだったな?」

「あっ、はい!」


 声を掛けられたミーナは、自宅だというのに背筋をしゃんと伸ばし、隣国の女王への敬意を最大限に表す。


「もう一杯、もらえないか?」


 グラスに手を掛けたフィオレンティーナは、かつて見せた威厳ある女王とは思えない程に悪戯っぽい顔つきで、少女に飲み物のお代わりをねだった。




「あっ~~! 氷を使ったら作っておいてよ!」


 木製の外装に磁器の内張りを持つ箱の内部を見ながら、ミーナはげんなりとした声を上げた。そして、中に収められていた暗い青色をした石板を取り出し、それを両手で持ったまま念じるように眉間にしわを寄せる。少女の手元が淡い光を帯びると、石板は明るい水色へと色を変えた。


「ごめんなさい、うっかりしてたわ」

「エリーも動揺するんだね」


 ちょっといやらしい笑みを浮かべるミーナは石板を元の位置に戻すと、金属製の小箱に水を注ぎ、それを板の上に置いた。


「という事で、氷はもう有りませんが」


 すっかり氷の溶けたグラスに紅い色の飲み物を注いだミーナは、先ほどまでの固い表情から一変、普段通りの顔つきで椅子に腰掛けた。


「すまんな、あたしの妹が迷惑を掛けてるようで」


 グラスを受け取ったフィオレンティーナが冷笑にも似た笑いを漏らした後、ちらりとエリーの方を見遣れば、そこにはむっとした妹の姿があった。

 けれどもそんな彼女の態度を気にせず、女王は再び得意げな笑顔を作り、眼前に座った庶民の娘と王族という身分を捨てた妹に、これまでの顛末を語り始めた。

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