第20話 再会



 翌朝、マリーは一番早い電車で西の領地ルーコックへと向かった。


 もう二度と戻りたくないと思っていた場所に、こんなに逸る気持ちで向かっていることは自分でも信じがたい。急いで出て来たから荷物も少なく、電車の中で暇潰しに読もうと思っていた本すら忘れてしまった。


 かろうじて握り締めているのは、最後に届いたネイトの手紙。記された住所が変わっていなければ、彼はまだあの広い屋敷に住んでいるはずだ。


 記憶を辿ってみる。

 何処までも伸びる青い壁に秘密の中庭。


(………どうか、覚えていて)


 彼がもしもマリーのことを忘れていたり、会いに来たことに対して少しでも嫌そうな顔を見せたら潔く身を引けば良い。「友人として」挨拶に来ただけだと伝えよう。


 座席の方に回って来た売り子にサンドイッチを注文したけれど、中の具材の味はよく分からなかった。昨日出会った国王夫妻を前にした時とはまた違った種類の緊張が、マリーの身体を支配していることは確か。





 ◇◇◇





「マリー様……!」


 呼び鈴を鳴らすや否や飛んで来てくれたのは、かつてハワード男爵家で世話になったゾフィーで、聞けば彼女はガーランド伯爵家ですでにメイド長にまで昇進したという。


 会えなかった一年あまりのことをゾフィーが嬉々と話して聞かせてくれる隣で、マリーはやはり落ち着かない気持ちを持て余していた。


 案内された客室に入っても胸の高鳴りは治らず、このままではネイトが来た時に爆発するのではないかと心配になる。


(何をしているの、まだ何も伝えてないのに…!)


 肝心な話に突入するまで小心者の心臓が持つのか非常に不安だ。気を利かせたのかゾフィーはお茶を用意するとそそくさと退室してしまったし、ネイトはどういうわけかまったく姿を見せない。


 やはり唐突過ぎただろうか、と無計画な訪問を反省していたら、閉じていた部屋の扉が勢いよく開いた。


 パッと顔を向けた先に驚いた顔のネイトが映る。

 青い瞳が大きく見開かれて、すぐに手で覆われた。



「っは、あははっ!ゾフィーにやられたな…!」


 マリーは訳が分からずにただその反応を見守る。


 一番上のボタンが掛け違えられ、やけに乱れた髪型のネイトは何がおかしいのか暫くの間は肩を震わせて一人で笑っていた。なす術もないのでマリーはただ彼が話し出すのを待つ。


「優秀なメイド長ときたら、馬の世話をしていた俺を呼びに来て、旦那様に天からの贈り物ですよって言うんだ」


「贈り物……?」


「慌てて着替えたし、てっきり領地経営が上手くいっていることを讃えてノア国王が褒美でも贈って来たのかと思ったら、」


 そこで言葉を切って、ネイトはマリーの手を取る。

 引っ張られて立ち上がると彼を見上げる形になった。


「褒美なんかより、もっとずっと良いものだった」


「………っ!」


 なんと返せば良いのか分からずにマリーはただドギマギと視線を泳がせる。何度も練習してきた言葉は何処かへ出掛けたきり、完全に迷子になっていた。


 ネイトが何か話し掛けてくれているけれど、度を越した緊張は五感を鈍らせている。やっとの思いで口を開くのを、家主はただ穏やかな笑顔を浮かべて待ってくれていた。


「と…突然来てごめんなさい、」


「いいや、俺の方こそ手紙を返せずごめん。なかなか自由に使える時間が無くてね。あー、違うな……これは言い訳に近い」


「?」


「実は、ちょっと自粛してた。君は何度誘ってもこっちに来ないし、俺が遊びに行きたいって言っても断っていただろう?嫌われたかと思って心配してたんだ」


「ごめんなさい、どんな顔で会えば良いか分からなくって……!」


「そのままのマリーで良いんだよ」


 焦るあまりに両腕をバタつかせるマリーを落ち着かせるようにネイトは笑顔を向ける。変わらない優しい目元に、心の内がじんわりと温まる。



「マリー、今回も何かの逃避行かい?」


 意地悪な質問に思わず面食らう。

 慌ててキッと睨み返しながら腰に手を当てた。


「いいえ。私はもう何処へも逃げないわ」


「へぇ、翼を休める場所を見つけた?」


 答える必要はなかった。


 ゆっくりと伸びて来た手がマリーの頬に触れる。暫くぶりの熱に目を閉じると、穏やかな気持ちが胸の内に広がるのを感じた。心を落ち着かせてくれる大きな手。


「もっと素直に私たちは話すべきだと思うの。ある人が教えてくれたのよ、大人になると回り道が多くなるって」


「それはその通りだ。俺たちは一年使ったから」


「ネイト、自由をありがとう。お陰で色々と見つめ直すことが出来たし……本当の気持ちに気付けた」


「奇遇だね。だけどきっと俺の方が速く気付いたよ」


「ねぇ、また回りくどくなってない?」


 揶揄うように笑ったマリーの前でネイトは困ったように眉を顰めて、少しだけ黙り込んだ。


 やがて開かれた青い双眼がマリーを捉える。長い間伝えられなかった言葉を先に口にしたのは、誰よりもこの時を待っていた若い領主だった。



「マリー、愛してる。一緒に居てほしい」


 何度も頷いてマリーは口付けを受け入れる。

 自分で選んだ道を、二人は一緒に歩み始めた。






End.


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