第55話 楓のアフター。

 

 手を引かれて、街の中を歩く。

 楓は小さいから、きっと、他の人からは、妹が兄の手を引いているように見えるだろう。


 楓がこっちを振り向いた。


 「あっ、映画見に行かない?」


 とってつけた感がハンパないな。


 「別にいいけど、BLやってないと思うぞ?」


 楓は頬をふくらます。


 「そんなの見ないよ! もっとこう……ドキドキしそうなやつ」


 この人、なにいってるんだ?


 結局、無計画に映画館にいき、その場で人気ありそうな恋愛ものを選んだ。


 楓こそ、こんなの興味なさそうなんだけど、大丈夫なんかな。


 座席に座って、映画がはじまるまで予告を見て過ごす。楓は俺の左側に座って、真剣な顔をして、まっすぐスクリーンをみている。


 映画がはじまった。


 すると、案の定、楓には面白くなかったらしい。はじまって10分もしないうちに、くぅくぅと寝息を立て始めた。


 楓の顔を覗き込む。

 それは、子供みたくて可愛い寝顔だった。


 映画が佳境に入った頃、楓が俺に身体を預けてきた。すると、ふわっと良い匂いがした。


 凛とも琴音とも違う、ひなたのような優しいお姉さんの匂い。


 ん?

 左肩が冷たいぞ?


 って、こいつ、よだれ垂らしてるし。

 いつものように押し戻そうと思ったが、なんだか幸せそうな顔で寝てるので、やめた。


 映画が終わって、近くのファーストフード店に入る。


 今日の楓はいつになく饒舌だ。

 いつもオタク丸出しなのに、今日は初デートの少女のように気恥ずかしそうに振る舞っている。


 慣れない時事ネタなんかを頑張って話してて微笑ましい。


 そのうち、俺がバイトをはじめて少したった頃の話になった。あの時は、楓が俺の指導役をしてくれたのだが、タチの悪にクレーマーに当たってしまったのだ。


 「あのときは、本当にびっくりしたよ〜」


 楓はニコニコしてそう言った。


 うちの店は誤発注防止のために、取り寄せではお客さんに注文書を書いてもらう。その客は自分で、とある本の1巻と書いたくせに、本当は10巻が欲しかったと大騒ぎしたのだ。


 客が楓に詰め寄る。


 「は? わたしが悪いって言うの? ふつう注文書うけとったら、読み上げて復唱するわよね? あんたが確認してれば、わたしも気づいたし。今日はこのためにわざわざ来たのよ。あんた、客に無駄足させてどうするつもりなの!!」


 楓は萎縮してしまって、泣き出してしまった。


 少しすると、騒ぎに気づいた店長がきた。

 来るなりペコペコして、事情も聞かずに「成瀬さん。あなたも謝りなさい。お客様は神様なのよ?」と言ったのだ。


 てっきり楓を庇うのかと思ったのに。


 俺は思った。

 こいつ、店長のくせに「お客様は神様です」の本当の意味もしらないのか。この言葉は、神前で祈るように、お客さんに対して真心をもってのぞめ、という意味であって、目の前で吠えているこういうアホを増長させろという意味ではない。


 楓が泣いている。

 こんな性格の良さそうな子を泣かすなんて。


 俺は思わず客に言ってしまった。


 「そーいうのカスハラっていうんだよ。知らないんですか?」


 客はさらに逆上する。


 「なにこの店員。これがカスハラな訳ないじゃない。わたしは、この子がダメだから親切心で指導してあげてるのよ! むしろ感謝してほしいくらいだわ」


 俺も言い返す。


 「高校生の女の子泣かせて、なにが指導だよ。いい大人が恥ずかしくないんすか? あんた知らないの? カスハラにあたるかは、こっちが決めることなんだよ。痴漢と同じ。不快だと思ったら、もうそれはカスハラなの」


 周りのお客さんも集まりだし、何人かが吠えている客を非難しはじめる。


 「あんな若い子泣かせて恥ずかしい」

 

 「性格の悪そうな女」


 そんな声が、そこここから聞こえてきた。

 すると、クレーマーもバツが悪くなったらしく、悪態をつくと「こんな店、もう来ないから」と捨て台詞をはいて店を出て行った。


 そのあとは、俺は店長に死ぬほど怒られ、即クビになるのかと思ったが、楓が必死にかばってくれて、現在に至る。


 「でも、楓。あのお客さん、また来てない?」


 楓が興奮気味に答えた。


 「そう! なんなんだろーねー。でも、あの時はありがとう。わたし、本気で嬉しかったんだ」


 楓が俺のアイスを凝視している。

 

 「食べる?」


 楓が頷いたので、スプーンで一口分とりわけた。楓は、目の前のスプーンを見て、しばらく迷っていたが、意を決したように目を閉じると、パクッと食べた。


 こうしてると、いつものオタクくささはなくて、普通の可愛い女の子だよな、と思う。凛とか琴音は華があって目立つけれど、楓の可愛さは、きっと優しいお母さんになるんだろうな、と想像させる家庭的な可愛さだ。


 「楓。お前さ、普段からもうちょっと今みたくしたら? 可愛い顔してるんだし、すぐに彼氏とかできそうなもんだけど」


 すると、なぜか楓は少し寂しそうな顔をした。

 褒めたつもりだったんだけど、なんでだろう。


 それから楓は話さなくなってしまった。

 2人で駅に向かう。


 会話がないと気まずい……。


 路地を曲がると、物陰で暗く、周りに人がいなくなった。さっきまで誰かしらいたのに、不思議だ。


 「なぁ、楓。さっきはごめ……」


 すると、胸にドンっという衝撃を感じた。

 楓が両拳を俺の胸に打ち付けるように、身体を預けてきた。


 楓は俯いていて、表情は見えない。


 「なんで、あんなこというの? わたし、男の子にこういう気持ちになったの初めてなんだよ。 初めてなのに……」


 すると、次の瞬間。

 何か柔らかいものに俺の唇は塞がれた。

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