3. 幻精姫遊

 運命の日、前日――――。


 時は赤鬼オーガ戦勝利の日から一週間ほどさかのぼる。


 茜色に染まる空の下、ダンジョンの暗闇からい出すように帰路につく三人。石畳の大通りを歩む彼女たちの足音は、重い疲労と共に夕暮れの街に響いていた。


「はぁ~、この歳に肉体労働は疲れるわ……」


 ソリスはった肩を指先で軽く揉みながらため息をつく。


「ソリス殿! 歳のことは言わない約束でゴザル!」


 黒髪ショートカットのフィリアは、年季の入った丸眼鏡をクイッと上げて口をとがらせる。自分は言わずに必死に我慢している分だけ、不満は大きい。


「ゴメンゴメン。最近は不景気で魔石の買取価格が下がっちゃってるから、こんな時間まで頑張らなきゃならないのよねぇ」


「不景気……、嫌い……」


 冒険の勲章のように、汚れが目立つモスグリーンのチュニックを着たイヴィットは、凝り固まった首筋をゆっくりと回した。疲労を訴えるポキポキという音が響き、続く不満げなため息は、今日の重労働を雄弁に語っていた。


 夕暮れの大通りには多くの店がにぎわい、美味しそうな肉を焼く香りも漂ってくる。


「不景気だっていうのに、お金持っている人は持っているのよねぇ……。もっとダンジョンの奥まで……潜りたくなるわ」


 ソリスは足を止め、繁盛している焼き肉屋をにらんだ。


「ソリス殿! 『安全第一』がうちらのモットーでゴザルよ!」


 フィリアはすかさず突っ込んだ。華年絆姫プリムローズは二十三年間、無事故で無事にやってこれている。それは『安全第一』を徹底していたからだった。


 同期のパーティーはすでに全滅したり、メンバーをうしなって解散したりしてもはや一つも残っていない。それだけ冒険者稼業は危険で過酷。少しでも欲をかいた者をダンジョンは許さない。調子に乗って奥まで進み、気がつけば身の丈を超える状況に追い込まれ、消えていくのだった。


「分かってるって。『安全第一』……。でもたまには焼肉も食べたいのよ……」


 うつむきながら漏らす本音に、フィリアもイヴィットも何も言わなかった。


「はぁ、やめやめ! 魔石を換金して夕飯にしましょ!」


 ソリスは気丈に歩き出す。


 しかし、その足はすぐに止まってしまった。水色が鮮やかな新作のチュニックが綺麗にライトアップされていたのだ。マネキンが身にまとったチュニックは、まるで春の朝霧のように繊細で透明感があり、薄いシフォンの生地は優美にキラキラと輝き、そのエレガントなデザインがソリスの心を一発で撃ち抜いてしまう。


 ほわぁ……。


 ソリスの瞳には、風に乗ってふわりと膨らみ舞う袖が、まるで夢の中のワンシーンのように映る。その優美な造形は、魂を優しく包み込み、現実世界からソリスを誘い出すかのようだった。


「うわぁ、新作……素敵……」


 イヴィットもうっとりと見つめる。


「ちょ、ちょい待つでゴザル! 一か月分の稼ぎでゴザルよ!」


 フィリアは慌てて値札を読んで叫ぶ。


「分かってるわ……。分かってるけど……」


 ソリスはうっとりした瞳でそっとシフォンの生地を撫でる。


「似合いそう……、試着……する?」


 イヴィットは優しくソリスの顔をのぞきこむ。


「イヴィットも止めてよ! もぅ!」


 フィリアは口をとがらせる。


 ソリスはため息をつきうつむいた。


 こんな着て行く先もないオシャレに大金をつぎ込むのはばかげている。そんな金があったら装備をワンランク上げた方がよほど現実的だった。そんなことは嫌というほどわかりきっている。だが、今までずっと我慢して、我慢して、気がついたらこんな歳になってしまった。このままだと一生オシャレなんてできないまま死んでいくことになる。そんな人生に意味などあるのだろうか?


 ソリスは目をギュッとつぶり、自分の人生に残された時間のことを想ってしまう。若かった頃は必死に生き延びることに没頭し、技を磨くこと、装備をそろえることばかり考えてオシャレなんか眼中になかったし、それでいいと思っていた。


 しかし、人生の曲がり角を曲がった今、それだけでは満たされない想いが残ってしまう。


 経済的な余裕は不景気でむしろ減ってきていたし、今後さらに体力が落ちることを考えたら老後に向けて備えねばならないのは明白だった。


 でも――――。


 そんな備えるばかりの人生、本当にいいのだろうか? 後悔しないだろうか?


 ソリスはキュッと口を結び、答えのない問いに翻弄ほんろうされ、うなだれた。


「もうすぐ誕生日……、お祝いに少し出す……」


 イヴィットはクリっとしたブラウンの瞳でほほ笑みながら、ソリスを見つめる。


「イヴィットぉぉぉ!」


 その深い思いやりがソリスの心に染み入り、思わずイヴィットを抱きしめた。


 あわわ……。


 いきなり抱き着かれて驚くイヴィット。


 ソリスの目に涙があふれてくる。生きることに追われ、息もつけぬ日々の狭間で揺れ動く女心を受け止めてくれる親友の存在は、疲れ切った魂に染み入る温かな光明となっていた。


「な、何なの! あ、あたしだって出すわよ!」


 フィリアは損な役回りになってしまったことが悔しくて、口をとがらせる。


「ありがと……」


 ソリスはフィリアにも手を伸ばし、二人を包み込んだ。


「あ、いや、そんな……」


 慌てていたフィリアだったが、すぐに目を閉じてうなずいた。


「大丈夫、気持ちだけでいいわ。よく考えたら服なんてどうでもいいの。私にはこんなに素敵な仲間がいるんだもん」


 ソリスの魂に、二人の温かい気持ちが優しく溶け込んでいく。この二人に出会えた幸せに心から感謝する。この厳しい社会も二人となら一緒に乗り越えていける、最後の日まで、三人で寄り添い、笑い合い、支え合って生きていこう。ソリスは二人の温もりに包まれながら、天に誓った。



       ◇



 運命の日――――。


 まだ寒さの残る朝もやのけぶる石畳の道をソリスはフィリア、イヴィットと一緒に歩いていた。もう二十数年通い慣れた道である。


「あ……、これ……」


 イヴィットがソリスに小さなマスコットのぬいぐるみを差し出した。それは端切れを丁寧に縫い合わせた可愛い女の子のぬいぐるみで、水色のチュニックを着ている。


「えっ……可愛い! くれるの?」


「昨日、買わなかったから……」


 イヴィットは照れながらうつむいてモジモジとする。


「ありがと! 大切にする……」


 ソリスはイヴィットをハグし、サラサラとした赤毛にほほを寄せた。きっとあれから夜なべをして作ってくれたのだろう。ソリスにはその気持ちが何よりうれしかった。


「あ、あたしも誕生日には渡すものがあるでゴザルよ!」


 フィリアも張り合って声を上げる。


 ソリスはクスッと笑うとフィリアの黒髪をなでた。


「ありがとう……。無理しなくていいのよ? 気持ちだけでうれしいんだから」


「ま、間に合わせるで……ゴザルよ?」


 ちょっと自信なげにフィリアはうつむいた。


「さて……。今日もダンジョンでいい?」


 ソリスはぬいぐるみをリュックに結びつけると二人の方を向く。暗黒の森の方が金は稼げるのだが、こういう寒い日はまれに高ランクモンスターが出ることがあった。そうなったら命にかかわるため、出てくるモンスターが安定しているダンジョンを選ぶことにしていたのだ。


「OKでゴザルよ。今生きてるのもソリス殿の判断のおかげでゴザル!」


 フィリアは、黒いローブの前をキュッと閉めながらニコッと笑う。


「寒いから……ダンジョン賛成……」


 赤色の長い髪を後ろでくくったイヴィットも、弓のつるの調子をチェックしながらボソッと答える。


「ありがと。あたしらのモットーは『安全第一』。今日も無事に帰ることを目標にしましょ!」


「安全第一、今日も生きて帰るでゴザル!」「ご安全に……いきましょ……」


 三人はニコッと笑いあった。


 もちろん、ちょっと無理をすればチュニックのお金くらい一発で稼げる魔物がいることも知っている。でも、それは勝率百%ではない。他の魔物が乱入してきたら死者が出る可能性だってあるのだ。


 そうやって同期はみんな消えていったことを考えたら、安全側に振っておくことは鉄則だった。


 ただ、安全に振るというのは強くなれないということでもある。若い頃ならともかく、年齢が上がってくると体力の低下による影響は深刻で、中堅だった強さも徐々に落ちてきてしまっていた。


 魔物を倒せばレベルが上がり、攻撃力なども上がる訳ではあるが、それは基礎体力に補正がかかるだけであり、高齢になってくれば攻撃力などは落ちて行ってしまう。つまり同じレベル40でも二十歳前後とは比べ物にならない程落ちており、実質レベル35相当になってしまう。こうなると、手ごわいと感じた敵を倒しても自分のレベル以下の魔物であるため、経験値はほとんどもらえず、レベルも上がらなくなる。結果としてソリス達三人はこの一年、レベルが上がらないままだった。


 そして、年齢補正は今後悪化する一方で改善の見通しなど全くない。時の流れは残酷であり、真綿で首を締めるようにアラフォーの冒険者たちの人生は険しさが増していくのだ。


 長年冒険者をやってきた者の転身先は多くない。折からの不景気で戦闘しかやって来なかった冒険者を雇う者などいなかった。


 自分たちのやり方が間違っていたとは思わないが、それでも未来の希望が見えないことは心に重しとなってのしかかる。


 三人は言葉少なに朝もやの街を歩いた。



      ◇



 朝市の脇を通っていくと、広場のベンチから何やらかしましい若い女たちの笑い声が響いてくる。


 三人は顔を見合わせ、渋い顔をしながら足早にその場を過ぎ去ろうとした。


「あっらぁ! 三ババトリオじゃない? これからダンジョン? ふふっ」


 若人パーティ『幻精姫遊フェアリーフレンズ』のリーダーがリンゴ酒のジョッキを片手に煽ってくる。


 ソリスはキュッと口を結び、聞こえなかったふりをしてやり過ごそうとした。


「返事もできねーのかよ! ダッセェ!!」「あぁなっちゃお終いよね。みんなもよく見ておきな! きゃははは!」


 言いたい放題の小娘たちの放言に、さすがに堪忍袋の緒が切れたソリス。


「朝から酒? いいご身分だこと!」


「うちらはダンジョン十五階帰りだからね。祝杯中~。オバサンたちは何階行くの?」

 

 リーダーはニヤニヤしながら煽る。流れる金髪に碧い目、整った目鼻立ちに高価なゴールドのビキニアーマーを装備したリーダーはギルドの人気者で、ファンクラブまである厄介な存在だった。


「じゅ、十五階!?」「ほ、本当……なの?」


 フィリアとイヴィットは気おされ、うつむいた。


 ソリス達華年絆姫プリムローズの最高到達回数は九階。二桁の階層へ行くには十階のボスを倒さねばならなかったが、それは随分前に諦めてしまっていた。

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