木の下の男
木の下で一人の男が考えていた。
外なる神とは何ぞやと。
外なる神は、宇宙の外にいる生物だ。
なら、生物とは何か。
生物とは、地球表層では、自己保存や自己複製を行う自己肯定傾向のある化学反応のことである。感覚器や運動機能や判断機能が突然変異によって獲得された時に、それが自己保存や自己複製に有利なら、適者生存されて残っていく。
それなら、外なる神はどんな生物だ。外なる神は、自己保存や自己複製を行う自己肯定傾向のある存在反応のことだと思われる。
木の下で男は考える。
外なる神がどうなったかの噂話を聞いたかと。
いや、聞いていない。
ならば、外なる神の来訪がただの勘ちがいである可能性がある。
外なる神の来訪は勘ちがいだろうか。やってきた証拠が残っているか。
木の下で男は考える。
私はかつて外なる神に会った。外なる神を見て、その肌に触れた。触感はあっさりしていて、空気をなでるのと変わらない感触だった。
私は外なる神から逃げることができ、いまだに生きている。
木の下で男は考える。
外なる神がやってきたのに、なぜ、みんなは噂話をしないのだろうか。
被害がないのか。それとも、外なる神は自分たちの噂を広げない技を持っているのだろうか。
外なる神は地上へ本当にやってきたのだろうか。
来ている。自分の視覚と触覚が証拠だ。
経験的な集団知識の蓄積によって証明されるだろう。
しかし、新聞、出版、通信で外なる神のことが話題にされない。
中央集権政府はまだ外なる神の来訪を認めていないと聞く。
木の下で男は考える。
私がまだことばを話すことができて、文字を書くことができるうちに、外なる神について伝えるべきではないか。
私の持つ外なる神についての証言は重要なことだ。
木の下で男は考える。
異なる場所で発生した生物が、生物としての自己肯定傾向を共有することがありえるだろうか。それがありえるなら、外なる神との共存もありえる。しかし、戦いにおいて、余計な迷いを産むだけなのかもしれない。戦いは、深い理解において実行されるべきだ。外なる神との共存の可能性も検討して、論理的に共存を否定しなければ、戦いに勝つことはできない。
木の下で男は考える。
まだ、誰も外なる神についての噂をしていない。
新聞、出版、通信を外なる神に迅速に制圧されてしまったのだろう。
自分の体験を信じるか、それとも、大衆媒体の報道を信じるか。
大衆媒体の報道に逆らって、外なる神と戦えるか。
それは、やはり、戦わなければならない。
この戦い、厳しくなる。
大衆媒体に否定された出来事について、実体験をして、自分たちで考えて、小規模に相談して、戦わなければならないのだ。
この戦いに、大衆媒体の支援はない。中央集権政府の支援はない。
ありもしないことを騒ぎ立てている迷惑な人たちといわれながら、それなのに、ありもしないはずのことが実際に起こって、それにうまく対処できなければ死んでしまう。
そこまで覚悟しなければならないだろう。
木の下で男は考える。
『外なる神来たる』
私はそう塗料で大書して看板を立てた。
看板についての法律がどうなっていたか忘れてしまったな。
外なる神が来たことを看板で伝える。私の抵抗の始まりだ。
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