第2話 運命の出来が悪すぎる

 中学校の生活の3年間は、存外に早く終わってしまうものだ。学業と、小説の執筆という趣味を両立させた有意義な生活が、いよいよ終わりに近い。


――友達は一人もできなかったが、充実はしていた。これも小説執筆という、ただ一人で打ち込める趣味のお陰だった。



「みなさん、初めての受験、お疲れ様でした」


 卒業式まであと一週間。担任の先生が、授業の合間で唐突に話し始めた。


「うちのクラスは無事、全員の進路が決定しました。良かったねぇ!先生、心配だったんだよ、岸本くん!阿部くん!」


「やってやりましたよ、先生!」


 先生は、クラス内で成績の悪かった二人の生徒の名を挙げて、若干涙ぐんだ。名を挙げられた二人は、ちょっと誇らしげ。


 その様子で、クラスには笑いが起こった。


……へぇ。みんなに出来が悪い生徒と認識されていた岸本と阿部の二人も、進路が決まったのか。よかったじゃないか。


 ちなみに俺も、無事に第一希望の高校への進学が決定している。だから、安心して授業中でも小説が書けるというものだ。悪いことをひっそりとやるのは、背徳感に侵されるようで、クセになる。今まで演じてきた生真面目な生徒像というのは、嘘をまとった俺である。


「はい。今日の授業は早めに終わります。そのまま帰りの会やりますね。日直~早く終わりにしよう~」


 先生の国語の授業は終わり、教室には放課後の空気が満ちる。あかね色に近づく陽光が窓から差して、床の白っぽい埃がキラキラと光っていた。




――さて、帰宅後はさっさと風呂に入って、好きなアーティストの曲を聞きながら小説を書こうか。俺にとっての、唯一にして最大の安息の場は、我が家である!



「あ、羽多くん。進路、どこに決まった?」


「っ――あ」


 バッグを肩に掛けて、そそくさ教室を出ようとした俺の背に、早瀬さんの声が響いた。俺は、無視する訳にもいかず、ゆっくりと振り返った。


 そこには、机に腕を突いて立つ早瀬さんの姿があった。片手に箒を持っていて、放課後の掃除をしている最中だったらしい。隣には、彼女と仲が良いらしい阿部の姿もあった。


「なぁ、羽田。お前、スーパーガリ勉だったじゃん?どこ受かったか、俺も気になるぜ。聞かせろよ」


 阿部は、バッグを肩に担いだままの俺に一歩、迫った。


「ええと……」

「あ?ごめん、声小さくて聞こえなかった」


――また、喉元で言葉が詰まって、背中に汗が湧いて出てきた。心臓の鼓動が早まって、心が俺の内側で叫びたがっている。


「し、新台しんだい高校です。新台東……」


「えっ……」


 俺は、詰まる言葉をなんとか紡ぎ出した。たどたどしいことの限りの俺の返答に、早瀬さんは目を丸くした。


……あれ、俺、何か変なこと言ったか?返答が、おかしかったか?


「私と、同じ高校じゃん」


「え、まじかよ!」


 阿部は驚いたようで、声を張り上げた。早瀬さんの、そのたった一言の反応を聞いて、俺は胸の内側を絞られるような痛みを覚えた。


 誰かと同じ高校へと進学する気はなかった。自分の実力に合っていて、校内の雰囲気が良く、カリキュラムが良さげなところを調べて決定した。そのはずなのに、どうして、早瀬さんと進路先が被ったのだろうか。


 また黙り込んだ俺の代わりをするように、阿部がオーバーなリアクションを取ってくれた。


「新台東って、けっこう偏差値高くなかったか?お前ら二人とも、やっぱ頭良いんだな!」


 こういう時、何を言えばいい?とりあえず、高校でもよろしくって言っておこうか。


「えー!羽田くん、試験の日に居たってことだよね?全然気が付かなかったけどな」


 と、早瀬さんが俺の反応よりも先に、言を発した。俺は、会話を修了させる道筋を見失った。「よろしく。」の一言で終わらせて、さっさと帰宅の途につこうという策略だったのだが。


「あ、あの。俺、大事なことの時は早く家を出る癖があるんだ。だから、鉢合わせしなかったのかも……」


 なんという早口。自分でも驚くほどに、俺の口は言葉をつらつらと紡いでいた。それほど、速くこの場を切り上げたいという思いが強かったのかもしれない。


「それじゃ……高校でもよろしくお願いします、早瀬さん。」


「あぁ……よろしくね。羽田く――」


 俺は、まるでカバンに振り回されたように反転。競歩のような速さで歩んで、その場を立ち去っていた。早瀬さんの返答の声が、途中で途切れて聞こえた。



 俺の頬は恐らく、あの窓から覗く太陽の茜のように、真っ赤になっていたことだろう。恋心とか、気恥ずかしさとか、そういう甘酸っぱい感じはしなかった。それは、恐れから起因する苦々しいものであった。人間が……特に、同年代の人間が恐ろしい。



 自転車を漕ぐ脚が、いつもよりも筋肉を引き締めて、力強くペダルを踏み込む。背後から、夜の闇が迫ってくるように思えて、坂を凄いスピードで駆け下りた。


 家に辿り着いたときには、息が切れていて、両の肺が針で刺されるように痛んだ。

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