第一章 第四話

 あの日はクリスマスツリーを買って家に帰り、ゆっくりそして鮮やかに、部屋をクリスマスに彩る手筈を整えていた。これからやってくるクリスマスを盛大に迎え入れよう、そんな心意気であった。

 しかし気づけば僕は、真っ白な天井を見上げていた。お世辞にも居心地が良いとは言い難い、あの要塞のような場所は、ヒトになった者たちが強制的に収容される施設であった。


 この世にどれほどのヒトが存在するのか。圧倒的に人間が多いと聞かされている。基本的に人間はヒトの存在を知らない。というより我々の世界で、人間には知られてはならないという決め事が固く守られている。そのことを徹底的に叩き込まれる。

 そのため誤ってヒトの存在を知られれば、その人間からヒトの記憶は消される。記憶をすべて凍らせ、一気に破壊するのだ。そうすることで跡形もなくその記憶は見事に姿を消すという。記憶を消された人間たちは何事もなかったかのように、これまで通り生活を送る。ただ、ヒトの記憶はそのままだ———。

 ヒトは普段、人間のなりをして生きている訳だが、その術はそう簡単に身につけられるものではない。そこには計り知れない苦労が伴う。なり立ての頃は自分の能力の程度やその扱い方を知らない。意図せず突然物を凍らせたり、生き物を殺めてしまう恐れがある。そんな状態でこの怪物を世に放つわけにはいかない。人間と共存できると見なされるまで、この収容所での訓練は続く。

 収容所で自分の持つ能力を目の当たりにし恐れ慄くたびに、得体の知れぬ生物へ変わってしまったことを思い知らされた。怒りや苛立ちと同時に焦り、不安、悔恨、絶望、収拾のつかない混沌とした感情が、受け入れがたい現実を突きつけてきた。



 僕は早々にこの収容所での生活を終えた。何といっても家に帰りたかった。ただひたすらに帰りたかったのだ。あの家は僕を受け入れてくれるはずだとそう固く信じていた。いや、信じたかったのだ。

 その強い思いで過ごしていた僕は、驚異的な速さで制御法を身に付けたらしい。それは看守たちでも驚くほどだった—あのバリトンの声帯を持つ男たちは、ここの看守であった———。

 収容所での生活は全くと言っていいほど自由がなかった。僕が収容所へ入った頃は、十五人ほどの老若男女が同時に訓練を受けていた。

 小さな少年に腰の曲がった老婆、求婚者が後を絶たなかったであろう顔立ちの整った青年や目つきの悪い少女。いつでも身なりをかっちりと整える四十そこらの男に今にも泣き出しそうな表情を見せるどこぞの夫人。

 皆一人一人に部屋が与えられ、それは地下一階と地上二階、三階に割り振られていた。上の階へ向かうほど部屋は広くなり過ごしやすくなるそうだが、それはその分ここで長く生活していることを意味する。


 僕の部屋は地下一階、廊下の一番奥にあった。約八十平方フィートほどしかないこの部屋は、真っ白な薄く硬いベッドが無機質な壁に沿って一つ置かれているだけで他には何もなかった。限りない清潔さが、人間らしさを掻き消しているようだ。窓もなく、時計もなく、正確な月日も時間もわからない。扉のついた四角い箱に閉じ込められたような感覚。

 我々は毎日決められた時間に起こされる。僕はヒトになって聴力まで上がったのか、看守が部屋の前の廊下に通づる階段を降りてくる、その微かな靴音だけで目が覚めるようになった。

 看守が部屋へ入ってくるとまず部屋の中を隈なく確認される。就寝中に誤って能力を解放し、部屋を凍らせていないか———。

 窓一つない部屋で朝かどうかもわからずに、その間ただじっと待つほかなかった。もしどこか一箇所でも、それがたとえ部屋の片隅〇・五フィートほどであっても、凍っている場所、凍ったと確認できる場所が見つかると、眠り薬で強制的に眠らされ再度睡眠訓練となる。お墨付きをもらえるまで何度も繰り返し行われる。


 やっとのことで我々は朝食にありつく。一階にある大広間でいただくのだが、睡眠訓練のおかげで十五人全員が揃うことはなかった。

当然そこでも訓練は続けられる。とにかく能力を制御することを体に叩き込むのだ。無意識下でも生活していけるように。

 仮に飯を凍らせてしまっても新しい食事が与えられるわけではない。時間が経過し、氷が溶け、水浸しになった飯を食べるしかないのだ。そうやって能力を解放することは悪だと刷り込む。自分一人だけがあの大広間に取り残され、看守に監視されながら水浸しの飯を食べる時の虚しさといったらない。


 闘技場のような大きな円形の部屋で行われる訓練は、それはもう悲惨なものだった。青黒い小気味悪い空間で、初めは誰一人として能力を制御できないものだから、部屋中凍らせては水浸しになり、滑るやら転ぶやら、なかには本当に殺気だった者もいて、真剣になればなるほど滑稽に思えてきて惨めさだけが増していった。 

 講義と実践、いかにも学校のような時間が流れてゆく。しかしそこに、人間の通う学校のような楽しさは存在しない。

 ヒトの歴史や我々が持つ能力とその恐ろしさについて———そんなこと教わらなくても嫌というほど体感しているのだが———といった、この先いつ役に立つのかもわからない講義はただただ眠かった。夜もまともに眠れないのだから当然だ。思い返しても腹立たしい。


 ただ、僕には正直そんなことどうだってよかった。講義も実践も繰り返せばいいだけのこと。それ以上に僕が耐え難かったのは、今が一体いつなのか、僕の周りはどうなったのか、何一つわからないこと。外の世界と完全に遮断されてしまうこと。町に出ることや、そこで出会う人たちとの関わりを好んでいた僕にとって、それはたまらなく我慢ならないことであった。

 クリスマスはもう終わってしまったのか。もしまだならば、あの日のツリーを買いに行きたい。


 そうして僕は収容所から解放される日を手に入れた。誰よりも早く制御法を身につけ、一方で誰よりもヒトになった現実を受け入れられていなかった。

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