第3話 父と、娘
「
「――うむ、入ってくれ」
私がお父様の寝室の扉をノックすると、どこかくぐもった声が返ってきた。
朝食を載せたカートを押して室内に入る。――病人がいる部屋特有のニオイ。二~三人が楽に寝そべることができそうなベッドで上半身を起こしているのは、かつて『氷の宰相』と恐れられ、今となっては『オークのようだ』と忌み嫌われるギュラフ公爵。
一応、私の夫ということになる。
しかし年齢差が35もあるし、結婚当時から宰相はもう病気がちだったので通常の結婚生活は送れなかった。――義理の父と、娘。それが私たちの関係を表すのにぴったりな言葉だと思う。
婚約破棄されて家を追い出された私には生活を保障してくれる保護者が必要で。
病身となり以前のような仕事ができなくなった彼には、不出来な息子に変わって領地経営の仕事の何割かを任せられる人材が必要だった。
互いが互いを必要として。私たちは夫婦という名の協力者となったのだ。
「鏡を」
と、お父様が要求したので、いつもの通り鏡を抱えながら父様の前へと移動する。
……ずいぶんと痩せた。
結婚当時はまさしくオークのように太っていたのだけれども。最近では食も細くなり、元々の『イケメン』さを存分に発揮していた。
「うむ、そろそろ死ぬな」
「あら、わたくしをもう未亡人にするおつもりで?」
「こればかりは仕方ないな。引き出しの中に陛下への手紙を入れておいたから、儂が死んだら陛下に届けてくれ」
「縁起の悪いことを」
「頼めるのはお前くらいだからな。……領地の方はどうだ?」
「はい。今年も小麦の収量が増えそうですね。苦労して用水路を整備したかいがありました。領民の増加も予想より一割ほど多くなりそうですね」
「うむ。喜ばしいことだ。……あのバカはどうだ?」
「バカだなんて、実の息子をそんな風に言ってはいけませんよ」
「バカをバカと言って何が悪い。とっくの昔に成人したくせに遊び回って、しかも平民の女を妻に迎えたいなどと」
「う~ん……」
むしろそんな事情があるのに平民の娘を嫁にしようとする義息……やはりおバカなのでしょう。
「あのバカはまだ領地経営の勉強もしないのか?」
「私の授業には来る気配がないというか、予定を把握しているかすらも微妙なところですね。まぁ私は義母とはいえ年下ですし、『不名誉な』令嬢ですから教えを請うのが嫌なのでしょう」
「そんな噂を信じているから駄目なのだ。とっくの昔に冤罪は晴らされたというのに……。我が公爵家も次の代で終わりか」
「諦めが良すぎません? 建国以来の歴史を誇っているのでしょう?」
「だからこそ、能力のない人間が継ぐくらいなら滅びた方がいいのだ。――いっそのことリリーナに任せてしまおうか」
「そんなことをしたら暗殺者をけしかけられますよ、私。あなたの息子から」
「返り討ちにすればいいだろう?」
「お父様は私を何だと思っているんでしょうね……。食事はどうします?」
「今は食欲がない。あとで食べるとしよう」
「…………、……では、食器はあとで下げに来ますね」
私は一礼してからお父様の寝室をあとにした。
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