第14話


オフィスの入り口のドアに鍵はかかっておらず、案外あっさりと開いた。


中へ一歩足を踏み出し、辺りを見渡す。


オフィスの中は窓から入ってくる日光のおかげでそれなりに明るかった。


いくつものデスクが並べられた広いフロアは全くの無人で、伽藍としている。


俺はフロアの中へ足を踏み入れ、デスク周りをぐるりと歩く。


中程にある自分のデスクまでやってきた。


朝7時から夜の11時までずっと齧り付くようにしてパソコンに向かっていた俺のデスク。


仕事が終わらずに、会社で寝泊まりしたこともザラだった。


束になった資料や、コーヒーの空き缶がそのまま放置されていた。



それらに手を触れると、また当時の灰色の記憶が蘇ってくる。


「くそ…気分悪い」


俺は頭を振って社畜時代の記憶を振り払い、思考を現実に呼び戻す。


俺はなんの目的でここにきた?


嫌な記憶をわざわざ思い出すためか?


違う。


人間を探しにきたのだ。


もしかしたらこのビルのどこかに誰か生存者が隠れているかもしれない。


入り口の鍵はしまっていたし、今のところビル内にゾンビの姿もない。


つまり食料さえあれば一応このビルの中は生存条件が整っているということになる。


誰かがいても不思議ではないのだ。



はぁ…はぁ…はぁ…



ヴォォオオ…オォオオオオオ…


「…?」


そこまで考えた時、フロアの奥から何かが聞こえてきた。


俺は足を止めて耳を澄ます。


一つは誰かの粗い息遣いのような音だった。


はぁ、はぁと明らかな男の息切れを起こしたような声が断続的に聞こえてくる。


それから何かと何かがぶつかるような乾いた音もする。


そして一番注意すべきなのが、まるでゾンビの声のような低い唸り声も聞こえてくることだった。


まさかすでにビルの中にゾンビが侵入しているのだろうか。


しかし入り口の鍵はしまっていた。



ゾンビがいるとするなら、一体どのようにしてこのビルの中に侵入したのだろうか。


「…っ」


ごくりと唾を飲む。


俺は金属バットを構えて、フロアの奥へと向かって近づいていった。


足音を殺し、デスクを通り過ぎ……最奥にある執務室を目指す。


そこは社長や、あのクソッタレ上司のみに入室が許可された遊び場のような場所だ。


無料のお菓子や飲み物のほかに、ふかふかのソファやテレビもついている。


冷房も、オフィスのよりもはるかに上等でよく効くやつだ。


あの部屋のガス管が爆発でもして上司が死んだりすればいいのにと俺がいつもそんなことを考えながら睨んでいた部屋……音はそこから聞こえてきていた。



「一体なんの音だ…?」


正体不明の音は、執務室のドアに近づくにつ

れてどんどん大きくなっていっていた。


ゾンビかあるいは人か。



少なくとも何かがこのドアの向こう側にいるのは確実だった。


どくどくと緊張で鼓動が高鳴る。


金属バットを握る手に力を込め、俺は迷いを振り払うように勢いよくドアを開け放った。



「はぁ、はぁ、はぁ…」


ヴォォオオオオオ…ウォオオオオオオ…


「は…?」


思わずそんな声が出た。


クソッタレ上司が、下半身をあらわにし、後輩の女子社員に腰を打ちつけていた。



目に入った光景があまりに信じられないもので一瞬思考がショートしかけた。


執務室内には二人の人物がいた。


一人はあのクソッタレ上司。


入社したばかりの俺の同期に激務を押し付け、三人を辞めさせ、一人を自殺に追い込み、俺自身にも過労を敷いてきたクソ上司。


面倒ごとは全て部下に押し付け手柄は自分で横取りし、会社での地位を使ってやりたい放題していたクソ人間。


このゾンビパニックが始まった時に真っ先に死を願った人物……日下部がまだ生きて目の前にいた。


そんな事実を受け入れるのに、俺はかなりの時間を要した。



「お、お前……まさか月城なのか…?」


上司が俺の名前を呼んだ。


下半身にぶら下がった汚い汚物が、慌てたように手で隠された。



「何してるんですか、日下部さん」


俺はかつての上司に、一体何をしていたのかを問うた。


上司は急いでズボンを履きながら、気まずそうに目を逸らした。


俺は日下部から、もう一人の人物の方へ視線を移した。


そこには俺の一年後輩の女子社員……琴吹の変わり果てた姿があった。


琴吹はスカートを脱がされて下半身を露出していた。


両手足は縛られて、全く動かないように拘束されている。


衣類をかまされているその口からは絶えずゾンビの低い唸り声が漏れていた。


琴吹の肌は、紫色に変色していた。


琴吹は感染し、ゾンビになっていた。


俺はだんだんと状況を把握してきていた。


「日下部さん…まさかあんた…」


「違うんだ、月城。これにはわけが…」


「日下部さん…いや、日下部。あんた……琴吹を犯したのか?」


自然と声に怒りが滲んだ。


間違いない。


日下部はゾンビ化した琴吹をレイプしていた。

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