此の街にありふれた愛を

黒影紳士@泪澄 黒烏るいすくろう

第1幕 愛、擦り抜ける 一頁


愛が今夜も金とすり替えられゆく。

愛は値段も無く、嘘にすり替えられゆく。


信じる事を失った愛が、ゆらり…ゆらり…歪み滲む涙に街の色を染めて行く。


今夜…君は一つの愛だけを信じれば良い。

此処に…ほら…全てが理想通りの彼がいる。


彼は心をあまり知らない。

君の求める程良い財力も安心もくれる。

ただ…君以外に向ける心が欠けていた。


君は最初、満足気に僕にこう話したじゃないか。

理想にぴったりの、気も良く合う、素敵な彼だって。

何の申し分も無く、喧嘩も無い。

十分過ぎる程、幸せに満ち足りているように僕にも窺えた。

君にネットで言い寄って来る人は数知れず。

だが、君は其の誰一人をも信じてはいなかったし、愛そうなどとは思わなかった。

ネットライブをして、どんなに金を積まれようと、君の興味は去って行った。

「どうせ皆んな見返りを欲しがるのよ。良い迷惑だわ。其の見返りに合わないと感じたら勝手にキレ出すだけだし」

僕は君のそんな話を聞いて片眉を顰めた。

特段、君の言っている事が間違いだとも思わない。

実際に君は其の先に、何度目かの被害に遭っている。

それでも君は、そんな日常を止める事は出来ない。

一回のライブで得る収入が君の生活の全てを支えていたのだから。

所謂、インフルエンサーと言えば分かり易いだろうか。

僕が怪訝したのは、其れでも生活面を支えられている事に有り難さが全く感じられず、言葉の区切りもある。


……だし。


僕は其の言葉を妙に嫌う節があった。

「死」で終わる音が嫌だと言う理由だけだ。

軽く聞こえる云々の問題では無い。

「じゃあ…何故、また此方に?」

僕は聞いた。

幸せならば、こんな所は無用なのだ。

僕とこんな風に会話する必要等無い。


僕はしがない探偵をしている。


「助けてっ!」

初めて君と会った時、君は走って入って来るなり僕の姿を見付けるとそう叫んだ。

「ちょっと…落ち着いて!厄介ごとは嫌なのですよ!」

このご時世、何があるか何て分かった物じゃない。

こんな小さな探偵事務所で拳銃やら刃物やらを持ち込まれたら溜まった物では無いと、机の下に咄嗟に潜る。

「何やってんのよ、あんた!私を助けなさい!って、言ってるのよ!?」

と、君は僕の背広の後ろ首を引っ張り、事もあろうか僕を引き摺り出し、自分だけ机の下に潜り隠れたのだ。


……これは拙い……。


僕は何の盾も失った。

君は尋常じゃない程怯え切っている。

とんでも無い者が此の後、此処を訪問するに違い無いのだ。

仕方無い……事務所を荒らされるよりはっ!


僕は此の時とばかりに何をしたかと言うと……

ここぞと言う時の……あれだ。


事務所にあった旧式の古い小さなカセットコンロの蓋を開け、ガス缶を中途半端に外す。

シューとガスが抜ける音がした。

外階段を誰かが走って来る音が聞こえる。

君が逃げ込んで来た時に開け放たれたドアに人影が見えた時、僕はガス缶に火を点け、其の人物に向けて思いっきり、カセットコンロごと投げつけた。

丁度ガス缶は大きな破裂音と共にカセットコンロごと宙で木っ端微塵に散り、辺りにカラカラと虚しいアルミの金属音を残した。


次第に見えた追っ手の男の姿は爆風で転倒した様だ。

未だ微かな唸り声を上げ、痛がっている。

スプリンクラーから水がシャワーの様に出て来た。

男はゆっくり上体を起こす。

僕は次の手は無いかと辺りを見渡したが、何も使えそうな物は無く、何を思ったか無意識にファイティングポーズを取っている。

其の時思い出したんだ。


……あれ?僕って……戦える程強かったっけ?


冷や汗が頬を伝う。

何だか分からないが、後ろの突然来た君を守らないといけないらしい。

うちは離婚調査専門の探偵社だぞ?

だから嫌なんだ!

普通の探偵なんてっ!



立ち上がった男の姿が露わになると、僕よりも全てにおいて一回り大きく恰幅が違う。

貧相な身体付きの僕とは似ても似つかわず、勝てる相手では無い。

こう言う時は潔さが大事だ!

此れも立派な策の内!


そうだ。

逃げるしかない!


「ちょっと!あんた、何処行くのよっ!」


女が叫んだ。


…知るか、そんなもんっ!


そうだ、逃げるが勝ちと言う策は、そもそも単に逃げて終わりでは無い。

一度逃げて、戦力を改め整え、期を見定め、勝利の勝率を上げる事だ。

よって此れは聡明な判断である!


……!?


なっ、何故だ?


此の足さえも恐怖に逃亡さえ出来ないのか?

まさかそんな事……


僕は己の足元を見た。


「……ふぁっ!こんのゾンビ女っ!」


何て事だ。

事もあろうか、先程会ったばかりの……此の騒動まで持って来やがった不吉女が、僕の足首を目を強く恐怖に瞑って、渾身の力で僕の足に獅(しが※語源に近い此方を採用す)み付いている。

スニーカーで這い上がって来る手を押し下げようとする。


……真っ赤な……マニュキュア。


派手に飾り立てて、何もかもが気に食わなかった。

自己陶酔を絵に描いた様に、其の美しさを無駄に使ったある女を彷彿とさせたからだ。

こんな時でさえ、たった一瞬で心を盗む醜い蝶。


「貴様!」


男が此方を睨んだ。

カセットコンロは爆破した際に照明は割れ、部屋は真っ暗だった。

駅から近過ぎて、騒音対策もしていない安ビルの窓に、通る電車の窓からの明かりだけが流れて行く。

睨んだ男の目は、その光に照らされギラギラと獲物を狙う野生の何かにさえ思えた。


……待て。変だ。


僕は此の僅かな電車からの明かりが頼りの此の部屋で、再び足に獅み付いている筈のゾンビ女の指先を見た。


……赤く……無い。

何かの見間違いだったのだろうか。

其れとも、未だあの事件が僕を離してはくれないのか…。

ゾンビ女の指先と言えば、健康的な薄ピンクのネイルアートで付け根に、ラメかビジューの煌く物が見えただけだ。


視線をゆっくり上げてみても、此方は夢幻とは行かない様だ。

「じゃあ、お前も立て!ずらかるしか無いだろう!」

こうなったら二人で逃げるしかない。

僕は女だろうが、容赦なく首根っこを引っ張り、立ち上がらせようとした。

……が、首を横に激しく振ると、怖さで俯いていた顔をゆっくり上げ、

「腰……抜けちゃった」

と、薄ら暗闇に涙の光る一線を見せ言うのだ。

顔を上に向けたからか、さらりと長いストレートの髪がハープの様に流れて行く。一瞬だ!ほんの一瞬は確かに良い女に見えた!

然し、こんな何だか分からない大迷惑な女を誰が好きになると言うんだ。


男が背広の裏に手を入れた。

あれは……ハジキなる違法で非常に、厄介な物……せめてドスなる物ならば……。


「うわっ!此処日本だぞ、正気か?絶対、音で捕まるし、良い事ないしぃーー!嗚呼ーーーっ!!」


拳銃に掛けられた指が、引き金を引いた時、僕は間抜けな叫び声を上げると同時にこう思った。


……終わったな……僕のイケメン人生……。 


はぁ?読者様、今……はぁ?と思いました?

言うのを忘れていました。

僕は控えめに言っても、かなりのイケメン。

此のイケてる顔を守る為にどれ程、美容やら健康を気にして来た事か。

其の努力も、もう終わり。

此の時思いました。死に化粧の上手い葬儀屋を選んでおけば良かったと。

次はきっと此の儘の顔で生まれ変わり、チヤホヤされようと心に誓った。

まさに其の時だ。


カチャ、カチャ。


と、軽い音がした。

弾倉全部には弾は入っていなかったのか?

ただの浮気調査専門の探偵には、男が持っている銃が本物か偽物かも分からない。

アーミーなんて泥臭い物にも、僕は美容しか興味無いので分からない。

だが、男も手元の銃を不審がり、何度もカチャカチャと打とうとしたのは分かる。そうか……やったぞ!

さっきのガスコンロを木っ端微塵にした時に、スプリンクラーが作動していたからかっ!

そう思ったが喜びも束の間……血が引いて行く。


じゃあ、本物だったのかよっ!


兎に角逃げなければ!


殴り合いにしろ勝機は無いし、此の僕の顔に傷が付く。

「大丈夫だ。裏手の線路との間に小さな脇道がある。後は電車が過ぎたら、ホーム下の非常用の空間に飛び込めば良い」

「でもっ!」

「でもじゃないっ!」

僕は女に手を差し伸べ、本心では何とか殴り合いは避けようと説得した。

「助けてくれるの!?」

女の目が……何か大きな期待を見せる。

仕方ない!これも顔面を守る為!

「ああ、助けてやるさっ!だからさっさと黙って付いて来い!」

今は勘違いが起きようが如何でも良いんだ。

今さえ乗り切れば、後から全く如何でも良かったと言えば良い。

窓を開け放つと、カーテンがバサッと鳴った。

電車の光が彼の美しい横顔を照らした。

彼の名は……「黒崎 隼斗」(くろさき はやと)其の逃げ足の速さから、「逃げ足隼斗」と揶揄される、其の顔が売りの浮気囮り調査専門の探偵である。


ーーー

「そうよ、あの時隼斗ってば、格好良く此の三階の窓から私を抱き締めて飛ぶだなんて言っておいて……。ぁはは……今でも可笑しくて笑っちゃう。駅員さんが気付いて、お巡りさん呼んでくれて良かったわね」

と、ライブアイドルのMahiruは言った。本人曰く、昼間に麻痺る程可愛いアイドルインフルエンサーらしい。

何て馬鹿馬鹿しい。

チャンチャラ可笑しくて笑っちまうは此方の台詞である。


本名 比留間 優魅(ひるま ゆみ)年齢22歳。を、サバ読んで17歳とライブアイドルの時は言っている。

日々、若作りに励んでいると言う訳だ。


「お前が来ると大概碌な事が起きないんだよ。疫病神!ゾンビ女!何で毎日来るかなぁ!」

僕は苛立ち乍らアイス珈琲を片手に、優魅を見ない様、椅子をくるりと回し青空を見上げた。

何処かの家の風鈴の音が優しく揺れては、其の音色を届ける。

「空……たっけ〜なぁ〜」

そう言って伸ばした掌は深い蒼に溶け込んで行く様だった。


聞き慣れた音がして、僕は慌てて椅子を正面に戻す。

「おい!勝手に!」

優魅が小さな冷蔵庫の扉を開けて、何か物色しているのに気が付き注意をした。

「まぁまぁ。黙って待っていなさいな。私が来る楽しみなんだからぁ〜」

と、優魅が振り返った時に両手に持ち、にっこり笑ったのがチューハイだった。

「全く!誰の稼ぎだと思ってんだよ」

僕がそう言うと、

「うわぁ〜。其れって奥さん出来て言ったら、ハラスメントだよ、今の時代。そ、れ、に…お人形募金、ちゃんとしてるんだから、文句言わないの!」

と、言うのだ。

「少し古風なぐらいがモテるんだ」

そうは言ってみたものの、今月の僕の稼ぎより目の前にある間抜けな此のお人形貯金の中身の方が高額である。

しかも憎きはこのお人形貯金だが、とあるビニール人形に優魅が後ろに穴を開けただけの代物なのだが、この人形…其の儘穴さえ開けなければ数十万で取引きされる代物だ。


其の名も……


……パネゴン……。


頭が平たい円盤の様な宇宙人らしいが、優魅には物のや金の価値と言う物が分かっていないらしい。

其れを言わずして僕はこうやって依頼が無い時の足しにしているのだから、此の憎きパネゴンにも価値あると言うものだ。


紐とか言うな!

紐と本人にバレなきゃ、断じて僕は紐ではない!

ちゃんと稼いでいるよ。

依頼一件の報酬はでかいが、依頼件数が少ないだけだ。


「隼人ちゃ〜ん♪」

ほら、早速此の声は!僕は醜い汗等掻かない。

何故ならば、此の夏の暑さでさえ、其れはプールから上がり、余裕の顔でスポドリを片手に微笑む俳優の如き爽やかな汗しか掻かない。

イケメンにも、意地はあるのだ!

此の技を習得する為に、二年も修行したのだ。

僕は藁をも掴む想いでドアノブに手を掛けた。

其の次の瞬間……一度下を向き扉を開けると、これでもかと言う程の爽やかな笑顔で前髪を掻き上げ、まるで根性の別れから再会を果たしたかの様な息子の様に、気怠く今起きた様に演技をして、

「ああ……美耶子(みやこ)さん。今日も会えて嬉しい……」

と、其の美耶子と言うエプロンをした中年叔母さんに、言うのだ。

「あら、また少し痩せたんじゃない?ほら、おばちゃん特性のスタミナ弁当、持って来たから食べな」

弁当屋の美耶子は世話好きで、僕は其の世話好きを利用…否、其れでは言葉が悪い。

此の爽やかスマイルと引き換えに、「ご利用」しているだけである。

「何時もすみません……。今日は素敵なリップですね」

大事な事は、毎日変わらなくても女性の一箇所は最低褒める事。

違いに気付かないなんて、論外。

本当に変化が無い時は、化粧ノリや肌艶を褒める。

「あら、良く分かったわね。ご褒美にキスして上げちゃおうかしらん。ふふっ……冗談よっ♪美女も来ているんでしょう?はい、あの子には野菜たっぷりの野菜炒め弁当ね。果物も美容に良いからね」

と、弁当を入れたビニール袋から、林檎を出そうとした。

狙うは毎日此の美耶子の弁当にありつく事!

……だから、紐では無い。

僕は林檎を片手に僕の脇を通り、中に入ろうとした美耶子をすかさず、


秘技!ドアドン!!


で、阻止。

美耶子の前に僕の腕が立ち塞がる。

美耶子が不思議そうに僕の横顔を見上げた時、

「美耶子さん……何時も優しいね。美耶子さんとなら、しても良いのに……」

と、僕は言うと美耶子はやはり俯いている。

此処で気不味く終わっては次には繋がらない。

然も、僕は商売道具なのでキスを依頼無しに容易く安売りしない。

「……此の暑さだと、本当にスタミナが足りなくて。助かりますよ。未だ此の後もランチタイムだから忙しいんでしょう?僕が持ちますから、美耶子さんも昼休憩は良く休んで、身体を大事にして下さい」

と、屈託の無い満面の笑みで話す。

余りに普通の会話に戻ると、気の所為と錯覚するからだ。

記憶に残るなら、一度で忘れる記憶じゃない。

気の所為かも?と、数度確認を脳にさせ、否……やっぱり気の所為では無かったと記憶させた方が長く記憶に残る。

「あら、そう?もう少しイケメンと話したかったけれど、可愛い息子の優しさに甘えちゃおうかしらん」

と、美耶子も何時も通りだ。

「そうして下さい」

僕はまた爽やかに笑うと、美耶子は鼻を擽り去って行った。


「勿論、僕がこっち。お前、こっちな」

僕は弁当を持ち帰ると優魅に一つ渡す。

「えーっ!太っちゃう。そっちを寄越しなさいよ!」

「だったら林檎でも食っておけ!」

僕は林檎を軽く優魅に投げて、目当ての野菜炒め弁当を頂く。

優魅が通う様になってから助かっている事と言えば、金の足しになるのと、スタミナ弁当ばかりの日々から解放された事だろうか。

中肉中背に少し鍛えたぐらいが何にしろベストだ。

ストライクゾーンが多い範囲に体型を留めるのは、案外大変だ。

思っていた通り、見事な的外れのヘナヘナ球で林檎が帰って来た。

「おっと……」

椅子から下りる事無く、少しだけ体勢を崩しキャッチする。

「私とはキスしたくないの?」


優魅が真顔で此方を向いて聞いた。


「アダムとイブなんざ、古いんだよ」


そう言って、僕は団扇を扇ぎ林檎を齧るのだった。



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