第8話

そして翌朝。

「姉ちゃん、今日はどこか行くの?」

化粧をしている私を見て、健太が不思議そうに尋ねる。

「仕事よ。どうして?」

「いつもより時間かけてるから」

その言葉に、私は思わずファンデーションを落とした。鋭い。まさか私の運命が見えてたりしないだろうか。


「そ、そう?別に今日は肌の調子悪いのよ。あ、あと。今日は夜ご飯いらないからね。外に食べに行くから」

「へぇ〜。姉ちゃんを食事に誘う人がいるなんて、奇跡じゃん」

「なによ、そのいい方」

言いながらも、内心では彼の言う通りだと認めざるを得ない。


「冗談だよ。じゃあ作り置きしないからね」

「健太こそ、夕飯はちゃんと食べるのよ」

「はいはい」

健太を送り出し、私も仕事へ向かった。今日は電車の窓に妙に自分の姿が写る。いや、私が気にしすぎてるのかも。


いつも通りに仕事が終わり、約束の時間が近づいてくる。私は会社のトイレで身だしなみを整えながら、鏡の中の自分に向かって独り言を呟く。

「よし、詩織。今夜は運命の夜よ。きっと素敵な思い出になる。ワインをこぼし、フォークは落とし、最後には口の周りにソースを付けて帰るわよ。完璧な夜ね」

ここまで着飾っておいて、いったい何から逃げようというのか。深いため息をついて、私は待ち合わせ場所へ向かう。


駅前で彼を見つけた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。今日も成り金ではない、普通の爽やか営業マンだ。

「お待たせしました」

「いえ、僕も今来たところです。紡木さん、とてもお似合いです」

彼の言葉に、私は思わず自分の服を見下ろす。普段着で良いって言ったから仕事着のままなのに。何がお似合いなのだろう。


レストランに入り、席に着く。メニューを見た。普通に財布の中身がヤバいんですけど?このコース、私の週のバイト代くらいする。借りは作りたくないが奢られるしかない。

「何にしましょうか?」彼が優しく尋ねる。

「あ、えーと...」

「おすすめコースはどうですか?」

「はい、それで...」

注文を終え、会話が始まる。彼は仕事の話や趣味の話を楽しそうに語る。その中で彼は、営業先によって服装を変えると言っていた。

時にはお金持ち風にする必要もあると。なるほど、営業マンの鏡。普通だ。普通に凄い人だ。


「紡木さんは、趣味は何ですか?」

「え?あ、私は...」

占いは言えない。でも、他に何がある?「運命の糸を眺めることです」なんて言えるわけもなく。

「あの...読書です」

「へえ、素敵ですね。どんな本が好きですか?」

「運命に関する本とか...」

言ってから後悔した。彼は少し不思議そうな顔をした。料理が運ばれてきて、私はほっとした。


次の瞬間、予定通りフォークを落とす。

「あ...」

彼が笑顔で新しいフォークを取ってくれる。

「大丈夫ですよ。僕も緊張してるんです」

気遣いができるらしい。その優しさに、私は少し胸が痛んだ。彼は私のことを何も知らない。このまま隠し続けていいのだろうか。


デザートの時間。彼が真剣な表情で私を見つめた。

「実は、紡木さんには話したいことがあって...」

私は息を呑んだ。まさか、私の正体に気付いた?


「紡木さんのことを、もっと知りたいんです」

彼の真剣な眼差しに、私は言葉を失った。

「あの...私なんて、全然面白くない人間ですよ」

自虐的に笑いながら答える私。

「そんなことはありません。紡木さんは...特別な人だと思うんです」

特別?そりゃそうよ。人の運命が見える特別変わり者なのだから。


「実は...」彼が続ける。

「あの日の踏切で、紡木さんを見た瞬間、なぜか運命を感じたんです」

その言葉に、私は思わずむせそうになった。彼は当然知らない。私が運命を見る能力を持っていることを。

「そんな...私なんかに運命なんて」

「いいえ、確かに感じたんです。それに...」

彼が少し躊躇した後、続けた。

「実は前に、占いに行ったんです。そしたら、私の運命の人は既に出逢ってると」


心臓が止まりそうになった。まさか、あの占いのこと?ってか彼にとって、私と会ったのは踏切が初めてのはずだ。

「実はイベントの時に見てるんですよ」

会ってた!?話してないけど、確かにいたのかもしれない。占いの時の成り金イメージに引っ張られすぎだったか。


「それで、その後2度も紡木さんに会って。ひょっとしたらと思って...」

まあ、3回なんですけど。なんてこと。私が占った運命が、こんな形で現実になるなんて。これって、自作自演?自己成就の預言?

「橘さん、私...」

言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。何を言えばいいのか。正直に「運命の糸が...」って言うわけにもいかないし。占い師と言うのも胡散臭い。


「紡木さん?」

彼の声で我に返る。

「ごめんなさい。ちょっと驚いて...」

「すいません。急に気持ち悪いですよね。ただ、紡木さんともっと時間を過ごしたいなと思って...」

その言葉に、私の中で何かが動いた。彼の真摯な態度、優しい眼差し。そして、確かに感じる運命の糸。


「いえ。そんな事は。私も、橘さんとはもっと...」

言葉につまりながら、気づけば私は小さく何度も頷いていた。

彼の顔が明るくなる。その瞬間、私たちを繋ぐ運命の糸が、より強く、より鮮やかに輝くのが見えた。


帰り道、夜空を見上げながら、私は考えていた。これからどうなるのだろう。占い師である事を明かすべきか、このまま隠し続けるべきか。

答えは見つからないまま、私は家路についた。でも、心のどこかで、小さな恋心が芽生えているのを感じていた。

私は本当に、運命に翻弄されていると思った。


その翌日の朝。

テレビで信じられないニュースを見た。


「──昨夜、遺体で見つかったのは。〇〇区在住の、田中恵子さん、40歳。警察は現場の状況から事故か自殺の可能性を────」


画面の隅に載せられた写真は、田中くんの母親。つまり、私が運命を占った女性だった。

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