運命の糸が見えてしまう彼女が自分の恋を実らせるまで......
水城ゆき
プロローグ
また始まる日常劇場。主演・紡木詩織(つむぎ しおり)。脚本・神様。
これがコメディのつもりなら、笑えない冗談だ。
私──紡木詩織 (21歳)は、朝の通勤ラッシュに身を任せ、無表情で電車に揺られている。艶のある黒髪はいつものようにおだんごにまとめ、薄暗い車内で私の濃い灰色の瞳だけが妙に光っている気がした。
向かいの席に座る中年男性は疲れきった表情で新聞を広げているけど、その指先が微かに震えているのが見えた。
今日の彼は大変そうだ。重要な会議で大失態。でも安心して、あなたの上司も今朝、奥さんと喧嘩したばかりだから大して怒る元気ないわよ。
そう思いながら、私は静かに男性を観察し続けた。
電車が揺れ、視線を隣の女子高生に移す。スマホを必死で操作している彼女の顔は、何処か喜びに満ちていた。
青春っていいもんだ。彼女は今日、好きな人に告白されるようだ。でも、気を付けなきゃね。その彼、実は……。
首を横に振り、私はそれ以上考えるのを止めた。人の恋路に首を突っ込むのは野暮ってもんだろ。たとえ、その結末が見えていても。
次の駅に到着し、新たな乗客が詰め込まれる。
涙目の小学生が目に入った。宿題忘れちゃったらしい。けど大丈夫、今日は先生風邪で休むからね。明日までにはやりなさいよ。
そんな事を考えていると、やがて駅に到着した。
人々の流れに身を任せて改札を抜ける。駅前の広場に出ると、朝日が眩しく照りつけた。
目を細め、空を見上げる。今日も平和な一日。でも、この平和な世界の何処かで、常に誰かの運命が動いているのだろう。
ふと目に入ったのは、広場の向こうで小さな男の子が元気に走り回っている姿。そこに向かって、若い男性が自転車を猛スピードで漕いでいた。
私の瞳が一瞬にして、金色に輝く糸を捉える。
あぁ、これは仕方ないか。と、私は軽く空中で指で動かした。その直後────「うわっ!」
派手な音と共に、自転車に乗っていた男性が転倒したた。そんなちょっとした事故を、何事もなかったかのように私は眺めていた。
転んだ男性を心配する人だかりができ始めているが、本当に一つ間違えば男性は子供と衝突していた。だからこそ、心配する所が違うだろ。なんて見当違いな事を私は思ってしまう。
事実、それは起きていた。起きるはずだった。
そんな運命を少しだけ私が弄った為、大事には至らなかっただけだ。これが私の能力。
人の運命が見える、その運命を弄る事も出来るという誰にも言えない能力を抱えながら、私は今日も平凡な会社員を演じ続けている。
オフィスに到着すると、いつもの風景が広がっていた。パソコンの起動音、コピー機のうなり、同僚たちの小さな会話。平凡な日常のBGMだ。
高校を卒業して直ぐに就職したイベント企画会社でもう3年経つ。居心地は悪くない。
「おはよう、紡木さん」
隣の席の佐藤さんが笑顔で挨拶してきた。彼女の周りには、いつも明るいオーラが漂っている。羨ましい限りだ。
「おはよう」
そっけなく返事をしながら、私は彼女の指先に目をやる。薬指に光る指輪。そう、彼女は来月結婚するのだ。そんな幸せそうな笑顔の裏で、私は複雑な思いを抱えていた。
佐藤さんの未来は輝いている。でも、その輝きが永遠に続くかは分からない。それでも、今は幸せ。それだけで十分なのかもしれないけれど。少し切ない気持ちになる。
仕事を始めようとパソコンに向かうと、画面に映る自分の顔が妙に疲れて見えた。今朝の"ちょっとした介入"のせいだろう。
メールを確認し、日々の業務をこなしていく。数字の羅列、締め切りに追われる日々。これが普通の人の生活。でも、私にとっては台本のある演技に思えた。
昼休憩。同僚たちがにぎやかに談笑する中、私は一人で弁当を食べる。いつものことだけど、今日は妙に寂しさを感じる。
そしてまた午後の業務に戻る。集中しようとするけど、朝の出来事が頭から離れない。あの子供は無事だったけれど。もし私が介入しなかったらどうなっていたのか。そもそも、私には介入する資格があったのか。
「紡木さん、この資料をコピーしてもらえる?」
上司の声に、はっとした。
「はい、分かりました」 と機械的に返事をして立ち上がる。
コピー機に向かいながら、ふと窓の外を見た。青い空、白い雲。のどかな風景。でも、私には見えているのだ。
他の人の目には見えない糸が空中を舞い、人々の運命を紡いでいく様子が。
仕事を終え、オフィスを出る。
夕暮れ時の街を歩きながら、今日一日を振り返る。平凡な一日。でも、"ちょっとした出来事"で、誰かの人生が大きく変わっている。そんな事に思いを馳せ、電車に乗り込んだ。
疲れた表情の会社員たち。スマホを見つめる学生たち。みんな、自分の人生に必死。
でも、その人生が誰かによって操られているかもしれないなんて、思いもしないのだろう。
家に帰る途中、小さな占い屋の前で立ち止まる。ここは私のバイト先だ。バイトで占い師を作り上げる店長なんて、ろくな人間じゃないだろう。とりあえず、今日はシフトが入っていない。
看板には「あなたの運命、占います」の文字。私は苦笑した。運命か。私には、見えているものなのに……。
家に着くと、弟の健太が出迎えてくれた。弟は現在高校生。三年前に事故で両親を亡くしてから、私が1人で育てている。
不便な思いをさせているが、彼がいるから私の心は強く有れるのだと思う。
「お帰り、姉ちゃん」
「ただいま。今、ご飯作るね」
彼の笑顔を見ると嬉しい反面、今もたまに胸が締め付けられる。あの日、私が糸を操らなければ。彼はどうなっていたのか。それが正しかったのか。
一時の運命を変えた所で幸せになるとは限らないのだから。今でも自問自答する日々を送っている。
夜。一人でカラオケボックスにいった。ストレス発散である。
「運命の〜糸に〜操られ〜」
歌いながら、私は苦笑する。この歌、私のための応援歌?それとも皮肉?
その帰り道、夜空を見上げた。星々が瞬いている。あれも、誰かの運命を表しているのだろうか。そして、ふと思うのだ。私の運命は、誰が操っているんだろうと。
家に戻り、ベッドに横たわる。明日もまた、同じ日常が始まる。誰にも言えない秘密を抱えながら。
でも、いつかはこの能力の真の意味を知る日が来るのか。その日まで、私は糸を紡ぎ続けるのだろうか。
目を閉じると、金色の糸が瞼の裏で舞い始めた。
私の能力は祝福なのか、呪いなのか。その答えは、まだ見つからない。
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