何事もタイミングだよね

 教会の広場の中央には丁重に形を整えられた石碑が建てられている。

 

 今でこそ人口そのものが減り、市街の方にて都民が商いを営んでいる故に人通りは見受けられないものの、彼らが此処を通る際には一様に敬意を持って石畳を踏むことだろう。

 

 石碑の正面、魂をそのまま刻み込んだかのような文字で記された名はグラム・アルブレイズ。

 

 数十年に渡って国を、王都をその輝かんばかりの威光と実力によって照らし、守り抜いてきた英雄の名である。

 

 そして当然そこに赴く一人の少女もまた、英雄として、受け継いだ者としての敬意を待って前に立つ。

 

 

「———おはよう、お父様」

 

 

 彼女はそう言って、既にいくつもの花が添えられた石碑へとまた新たな花を添える。

 

 鏡水月かがみづき

 白く丸い花弁が重なり合う花弁が満月の日に池の真ん中に浮かんでいたことからそう名付けられたこの花は、生前、彼が好んで部屋に飾っていた花でもある。

 

 父親としての彼の顔がその目に映るようになってから知ったことであった。

 今思えば、彼は白を特別な色として見ていたように思うのは、きっと彼女の気のせいではないのだろう。

 

 小さな花畑の如く花々の立ち並ぶ中、されど白く美しい月は決してその輝きを損なわない。

 

 

「見てたかは分かんないけど、また王都が襲われちゃってね…みんな、傷付いちゃった」

 

 

 騒動の最中についたのであろう石碑の小さな傷を見ながらそう呟く。

 

 自分の力不足だ、などとそんな傲慢な事は考えない。

 たとえあの時、己が最初から《栄光の剣グラントリア》の力を引き出すことが出来ていたとして、果たして結果が変わったかと言われれば決してそんな事はなかったのだろう。

 

 だがそれでも、再び襲撃があるかもしれないなどと言う事は予想できた事であった。

 もっと周りへと働きかけ、己に与えられた力を発揮していたのならば少しでも救われる命があったのではないか。

 

 そう、考えてしまう。

 

 

「力を合わせればどんな辛い事だって乗り越えられるって…いつも皆が見せてくれてるのにね」

 

 

 どれだけ街が傷つこうとも大切な人を失おうとも、王都の民は繋いだ手を離す事なく今も日常を紡いでいこうとしている。

 

 己は人との繋がりが、縁が、紛う事なき力であると、そう理解する事があまりに遅かった。

 

 ただ一人で立ち往生していただけだったのだ。

 

 思わず後悔と罪悪感が謝罪として口から溢れそうになる。

 

 

「———思い込みとは氷の如く、澱みない流水をも堰き止めてしまう。これ程厄介な魔物もそういない」

 

 

 だがそれも背後から掛かる幼なげな声に喉の奥へと押しやられた。

 

 

「…メアリス、さん」

 

 

 静かな足取りで裸足のまま石畳を歩く少女———メアリスはアリアの隣に並び、遠慮無しにドカリと座り込む。

 

 慣れなのか癖付いているのか、片足の無いまま胡座をかく様子は普段の彼女の姿を幻視させる。

 

 

「全く、成長のためには苦悩というものが付き従うものだが…幼子が思い悩む姿というものはいつ見ても複雑な気分になる」

 

 

 鬱屈、という言葉がピッタリな様子で露骨にため息を吐く。

 とはいえその身が幼くも長命な彼女からすれば、人の子であるアリアなど幼子も幼子である。

 

 若く、未来ある希望。

 

 そんな子が決して軽くはない十字架を背負い込む姿を眼にすれば、尋常な内心では居られないのも無理はないだろう。

 

 早い話、老婆心である。

 

 

「…分かってるんだ。ボクが今より強くても、きっと救えない人は居たって。でも、せめて…目の前に居た人は…手の届く所に居た人くらいは———」

 

 

 スラムに居た者…あの子供は救えたかもしれない。

 森に向かう途中、襲われた時に殺された傭兵達は守れたかもしれない。

 

 そして何より———

 

 

「———友達ぐらいは…救いたかった」

 

 

 昨日の夜、あの瞬間まで隣に居たはずの友人も、未だ姿を現す事はない。

 

 折れかけた己の信念を再燃させ、独りで突貫する愚かさを教えてくれた彼女は、失ったはずの身体を携え己の元へと駆けつけてくれた。

 

 されど喜ぶべきその姿が想起させたのは、他でも無いアリアの暗い記憶であった。

 

 彼女に似合わない黒い魔力、覚えのない不自然な程に強力な力。

 

 そうしてアリアが言いようのない不安を燻らせる中、最後には忽然と姿を消してしまったのだ。

 

 

「絶対に助けるって言ったんだ…また話をしようって…そう、言ったんだ…!」

 

 

 月は沈み、日は昇り、新しい今日を迎えたというのに、アリアの心はあの森に引っ掛かったまま、今尚離れないでいる。

 

 だが果たして度重なる悲劇の果てに友を喪おうとしている少女の嘆きを、一体誰が咎められようか。

 

 静かな号哭と共に涙を流す少女アリアの横で、腰を据えていた賢者メアリスは唯黙って耳を傾けていた。

 

 

「…短い人の生の中、縁というものは酷く貴重だろう」

 

 

 人間にとって数十年という年月は永い。

 されど彼女達森人を含めた長命の存在にとって、その時間は瞬く間である。

 

 

「それは永き命わたしにとっても同じだよ。だから、君の辛さはよく知っているとも」

 

 

 だが誰かと過ごした時間の価値は、その末に失ってしまった時間の重みは変わらない。

 

 遥かな時を生きた彼女は、そうした『別れ』を数え切れない程体験し、そして憶えている。

 

 

「…この傷みは不思議と慣れないものでね。遭う度に体の一部を向こうへと持って行かれたかのような喪失感がある。けれど、だからこそ人と共に在れたのだろうね」

 

 

 瞳を閉じ、裂傷に潰れた記憶の海に意識を溶かす彼女は語る。

 

 

「…これから先、君は多くの別れを経験するだろう。その傷みに胸を抉られるだろう。だがどれだけ時間が経とうとも、その傷みを覚えている限り君と誰かとの繋がりは消えないよ」

 

 

 暖かくも決して冷たくはない傷が、思い出をその心に刻んでくれる。

 

 アリアはそんな傷だらけの心を待つ彼女が放つ言葉を聞くと、ジクジクと腐り落ちるような傷みが不思議と別のもののように感じた。

 

 ともすると、己が気付かぬ間に彼女が魔術でも使ったのやもしれない。

 

 

「時は前にしか進まず、人生に帰路はない。だから世界は過去を乗り越えることを強要する。だが失敗すると括り付けられた枷の如く引き摺った跡が歩んできた道を荒らし、いざ振り返った時、さも悪路のように映る」

 

「後悔は後悔のまま、過ちとして己の胸に抱えて歩けば良い。傷みを傷みとして感傷することが出来る生物なんてそういない。その経験は糧となり、君を強くし、正してくれる」

 

 

 ———故に、大切にしまっておきなさい。

 

 頬杖を突いたまま彼女はそう締める。

 

 決して慰めの言葉とは言えない。

 

 メアリスからしても、あのカローナという傭兵の様子は異常だった。

 仮に生きていたとして、恐らくは彼女アリアの望む平穏は訪れない、そんな予感が見通す未来にチラつく。

 

 ならばいっそ、と失ったことを認め、その上で傷みを抱えたまま現実と向き合うことを突き付ける。

 

 その様は、寧ろ無慈悲にも見えたことだろう。

 

 メアリス自身も齢十五の少女にかけるものとしてはあまりに配慮が無い、説教じみた言葉であると自覚している。

 だが《勇者》として剣を受け継ぎ、役目を果たさんと立ち上がるというのであればそう的外れではないと、そうも思っている。

 

 もし彼女の想像する道を歩むというのであれば、更に辛い現実を眼にすることになるということを賢者は知っているのだから。

 

 

「…とはいえ、そもそも彼女がどうなったのかも分からない今、結論を出してしまうのも早計だろう。きっとまた出会えると、そう思っていても良いんじゃないかな」

 

 

 とは言え少々言い過ぎたか、とメアリスの内心が騒めき始めていた所、流れる涙に腫らした目元を伏せ、沈黙していたアリアが口を開いた。

 

 

「…ボクばっかり…こんな風に生きてて良いのかな」

 

「それを誰が咎めるというんだい?キミが苦しんでいる間、気楽に生きている者なんてごまんと居るさ」

 

 

 そんなことを肯定しようものならば、王国最強の英霊…もとい、怨霊が剣を携えて化けて来ることだろう。

 

「そんなことを聞いたら彼も悲しむよ」と、英雄の名が刻まれし石碑に眼を遣る彼女は、隠しきれない慰めの意が滲む声音でそう呟く。

 

 

「…」

 

 

 彼女なりの優しさだと、そう理解したのか否か、アリアは積まれた花々へと視線を彷徨わせ、静謐な様子で口を閉ざす。

 

 乱心は鎮まった。

 されど、拭いきれない苦悩は垣間見えた。

 

 

「…仕方がない。…ちょっとこっちにおいで」

 

 

 そんな彼女が見ていられなくなったメアリスは、眉を八の字にし、胡座をかいたまま手で招いた。

 アリアは沈黙を貫くも何事かと彼女の目の前へと歩み寄り、彼女に合わせるように膝を付く。

 

 するとメアリスはアリアを見つめたまま、胸の前で何かを受け止めるように軽く手を開いた。

 その行動にアリアは小首を傾げ、彼女を見つめ返す。

 

 

「人の胸は、存外に暖かいらしい」

 

 

 ほんの数秒その状態が続いていると、気まずい空気に耐えられなくなったのか、取り繕うようにメアリスがそんな事を言った。

 

 要は胸を貸してやろう、とそういう事なのだろう。

 

 

「———おっ、と」

 

 

 彼女の言わんとしている事を理解したアリアは、まるでベットに飛び込み、枕に顔を埋めるように彼女の胸へと抱きついた。

 

 軽い衝撃に座ったまま倒れそうになるアリアは蔦でその身を支える。

 

 

「辛い時はこうするのが一番だと、友人もよく言っていたものだよ」

 

 

 啜り泣く声と共にじんわりと広がる湿り気を厭うこともなく、彼女は母の如く柔らかな微笑を浮かべアリアの頭に手を置いた。

 

 次第に静かな嘆きも安らかな呼吸へと落ち着き、ゆっくりとした寝息が聞こえ始める。

 

 

「…思い詰めすぎだよ、全く」

 

 

 不安からか、自己嫌悪からか、何れにしても決して穏やかでない感情に胸を掻き回されていたアリアは夜の自室で夢の世界へと逃げることもできなかった。

 

 公の場とはいえ、一時の安堵と眠気に身を任せてしまうのも仕方の無いことだろう。

 

 

「流石に、子供には重いね」

 

 

 彼女は少女が肌身離さず持ち歩く剣を見る。

 

 その言葉は剣の重みを指すのか、はたまた血統としての使命を言っているのか。

 

 

「ふむ……」

 

 

 するとふと、彼女は思い出したように膝下の少女を撫でるように手を翳し静かに瞳を閉じると、優しげな弧を描く口を開く。

 

 

 

《———火日ほのひ、月の矢、紅き羽———》

 

 

 

 刹那、小さな種火が灯るが如く少女の身を仄かな光が包み込む。

 

 

 

《壱に還らず弍に穿ち、飛んで返ってしんを射る》

 

神意かむい即ち此処にあらずは、波打つつるぎ神威かむいあらむ》

 

 

 

 一音、また一音と、まるで楽譜を追うように紡ぐ声に魔力が編み込まれ、金緑の風がアリアを包み込む。

 

 穏やかな風は次第に幾つものか細い糸へと枝分かれすると、螺旋を描くようにして一本の紐へと収束し始める、踊るようにアリアの周囲を旋回する。

 

 

 

《———天位、霊人、百八十ももやそよ———》

 

 

 

 メアリスは魔力の灯る穏やかな瞳を開いた。

 

 

「———成就あれかし」

 

 

 祝福を定め祈祷を締めるが如く彼女がそう唱えれば、魔力の紐はアリアの手首へと吸い込まれ、片結びのようにして巻きつく。

 そうして其処が在るべき場所であると示すかのような輝きを見せた後、溶け込むようにして消え去った。

 

 メアリスは一仕事終えたように一息吐つく。

 

 

「三世に渡る良縁結び。昔からある呪術……ちょっとしたまじないだが……まぁ、気休めにはなるだろう」

 

 

 縁とは人の生き様が写し出される一つの姿といえるだろう。

 良縁を結ぶ者は相応の生を謳歌し、一方で腐れ縁を結ぶ者もまた見合った過去を生きている。

 

 縁とは、即ち運命を大きく変える最たる要であり、また己で手繰り寄せることも切り離すこともそう容易ではない。

 

 ———容易に変えて良いものでもない。

 

 とはいえ、一人の少女の幸を望むべく雁字搦めとなった糸を人知れず解いてやることの何と些細なことか。

 

 少なからず責める者など居はしないだろう。

 

 彼女は溶けるように眠る少女の額を再度一撫でする。

 

 

「…ところで———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———先程から其処で堂々と聞き耳を立てるキミは誰なのかな?」

 

 

 ———不意に、彼女は己の背後へと意識を遣る。

 

 そうしてその気配を辿るように、肩越しにその方向へと視線を送った。

 

 石畳を叩く軽快な音が鳴ると同時、視界に一つの影が踏み込む。

 

 

「———ちょっと冷たくない?女の子にはもっと優しい言葉をかけてあげないとダメだよ。褒めるに値する者を褒めることは何も間違っちゃいないんだからさ」

 

 

 ———どしたん話聞こか、ってね。

 

 そう、朗らかな笑みを浮かべる青年が佇んでいた。

 

 彼は可愛らしい顔で寝息を立てるアリアを無視し、メアリスへと咎めるように言う。

 

 ———その気配は宛ら蜃気楼、或いは霧。まるで掴み所が無く、幻とでも錯覚させる。

 

 男は何処からともなく、まるで風に流される枯葉の如く視界の端へと現れた。

 

 

「この子の知り合いかい?」

 

「ああ勿論さ。俺達マブダチだもん」

 

 

 真偽の定まらない軽口を叩く男へ心底呆れたような目線を配るメアリスは———その瞳の中に覗く警戒心を奥へと潜める。

 

 今、こうして目の前にして尚、掌で突けば霧散し、向こう側へとすり抜けるとさえ思えてしまう。

 探れば探る程、覆い隠す霧はより濃密に、実態は薄れて行く。

 

 事実、賢者メアリス自身、彼の存在を神経が捉えたのは僅か数秒前であった。

 

 

「いつからだい?」

 

「んー?賢者ちゃんの説教が始まったあたりかな?」

 

「………………賢者ちゃん………ちゃん…?」

 

 

 今の今まで気が付かなかったことへ慄く直前、あまりにフランクな敬称に思考がフリーズするメアリス。

 

 しかし彼はそんな彼女を華麗にスルーし、石碑の下へと百合の花を添えると彼女の隣へと同じように腰を下ろす。

 

 

「あれ、違った?」

 

「……いや、相違ないよ。私こそが《賢者》メアリス・テア・ウェリタヴェーレだ」

 

「良かった。その呼ばれ方が嫌なのかと思っちゃったよ」

 

「嫌いじゃない…というより、むしろ好んでいる。色々呼ばれた事はあったが、これが一番可愛気がある」

 

「そう?《魔術王》とか凄いかっこいいと思うけど」

 

「…キミ、もしかしなくとも人間じゃないのかい?」

 

 

 それは、もう呼ぶ者も見かけなくなった彼女の古い通り名である。

 まさか知っている者が居るなどとはつゆ程も思っていなかった彼女は、彼へと訝しむような目を向ける。

 

 

「いいや人間さ。俺の知り合いに魔術史に明るい奴が居てね」

 

「…そうか。だがそれは禁術を生み出した私への蔑称のようなものだよ。原典を封印してからはめっきり呼ばれなくなったがね。本来なら原典ごと焼き払ってしまいたかったんだが…」

 

「禁術かぁ…ねぇ、それって教えてもらえたりしない?俺の友達が喜びそうだ」

 

「禁術と呼ばれる所以を考えたまえ。あとその友達とやらとは縁を切った方が良い。禁忌に踏み込む者に碌な奴はいない、私然りね」

 

「知ってる?自虐ネタって一番触れずらいんだよ?」

 

 

 自嘲しつつ嘆息を挟む彼女に何とも言えない微妙な顔をしながら返す男。

 

 

「で?わたしは名乗ったわけだが、キミは一体誰なんだい?」

 

 

 そんな彼へメアリスは改めて問い正す。

 すると彼は露骨に咳払いをし、キリッとしたしたり顔で答えた。

 

 

「俺は……今はアインスと名乗っている」

 

「……今は?」

 

「ごめん嘘、今も昔もアインスだよ。言ってみたかっただけ」

 

「…」

 

 

 出会って数分で頓珍漢な事ばかり発するアインスに、最早警戒することさえ忘れて呆けたように絶句するメアリス。

 

 恐らく今の彼女が彼を見る目は突如として茂みから飛び出して来た珍獣を見るソレと変わらない事だろう。

 

 そんな彼女の気も知らず、彼はメアリスの胸で夢の世界を堪能する少女を横目で見る。

 

 

「良い寝顔だね」

 

「…まあ、きっと昨晩は眠れなかったんだろうね。難儀な気質だ」

 

「ああ、大変だったもんね。成程確かに彼女なら変に気負いそうだ」

 

「まるで知っているかのように言うじゃないか」

 

「マブダチって言ったでしょ。もう二年くらいの付き合いだよ、二回しか話した事ないけど」

 

「…そうかい」

 

 

 自信満々な様子の彼に対し、メアリスは早くもこれ以上言葉を交わしても何も得られないのではないか思い始ていた。

 

 年に一度の会話———更にはその内の一回は初対面———を以て~親友マブダチを名乗る不審者からアリアを遠ざけるように抱え、腕で壁を作る。

 

 それに不審者アインスは心外だとばかりに眉を顰めた。

 

 

「…そんな警戒しなくても良いじゃん。知り合いって言ってるんだからさ」

 

「キミの言葉はどうにも信憑性に欠ける。せめて彼女から話を聞きたいところだ。…が、こんな様子だしね。悪いが今日のキミはただの曲者だ」

 

「えぇ…俺ってそんなに怪しい?」

 

「怪しいというよりは胡散臭いね。鼻がもげそうだよ」

 

「人って年取ると豪快になるよね。こう、ブレーキが無くなってくるというか…どんどん思ったこと言っちゃうんだから」

 

 

「クッキーでも食べてその辛口中和しなよ」と何処か憐れむような視線で平らな菓子を差し出すアインス。

 

 

「……」

 

「いや毒なんて入ってないよ失礼だな」

 

 

 メアリスは目の前に現れた唯の甘味を、まるで劇物でも見るかのような不審な目つきで睨み付ける。

 その態度には流石の彼も顔を引き攣らせた。

 

 

「……嘘や驕りは人の性だ」

 

「森焼かれた森人エルフの台詞じゃん。なら俺は人でなしだよ、嘘なんて吐いたことないもんね。なんなら俺が食べちゃうよ?」

 

 

 ほらほら、と程よい砂糖の甘味が凝縮されたそれを見せびらかすように摘む彼。

 

 しかし結局ノーリアクションを決め込むメアリスに居た堪れなくなったのか、最終的には自身の口へと放り込むこととなった。

 

 

「…こう見ると本当背伸びした子供にしか見えないよね。得なのか損なのか分かんないや」

 

「そこはかとなく馬鹿にされているような気がするな…それと、我々が長生きなのではなく人間が短命なだけだよ」

 

「あー出たよ、自分の当たり前を他人に押し付けるタイプの人。正直どうかと思うんだよね。もっと柔軟に生きないと老害って言われるんだよ?」

 

「良かったね、今ここが彼の墓の前でなければ全身の毛穴から蛆が湧き出る呪いでも掛けていたところだったよ」

 

「何それ怖い。君が言うと言霊になりそうだから止めてよね…」

 

 

 真顔で冗談だと曰うメアリス、ドン引きするアインス。

 とても護国の英霊の前で話す内容とは思えない。

 

 メアリスは気儘な子供を相手した後のような疲労感を滲ませるため息を吐く。

 

 

「…はぁ、キミと話していると疲れるな…。というか此処へ何をしに来たんだい?」

 

「英霊の墓に花を添えに来ることがそんなにおかしなこと?まぁ、その子に会うつもりでもあったけどさ」

 

「キミのような曲者を今のこの子に対面させたくないんだが…何をされるか分かったものじゃない」

 

「母親じゃん…止めたげてよ、変な物に目覚めたらどうしてくれるんだ」

 

 

 幼い外見からは見当もつかない母性溢れる発言に若干引き気味のアインスは、しかし彼女の質問に真面目に回答すべくクッキーを飲み込む。

 

 頬杖を付き、虚を———否、意味深な目つきで墓石を眺めながら口を開く。

 

 

「まあ真面目に答えるとキミと同じく彼女に助言しに来たのさ。この子、こんなんだからね」

 

「………ふむ」

 

 

 視線を流し、アリアの寝顔を眺める彼はその飄々とした雰囲気をそのままに、いやに真剣味を帯びた声音で答える。

 

 無意識に傾聴を促すような語気を孕む声がメアリスへと違和感にも近い妙な緊張感を与えた。

 

 先程までの何処か噛み合わない空気から僅かに変化した彼の機微を目敏く感じ取ったメアリスは、取り払われかけていた警戒心を再び浮かび上がらせる。

 

 

「助言か…一体、何を吹き込むつもりだったのか」

 

「人生の一先輩としての有難いお言葉さ。キミの人生だって長いだろうし、その助言アドバイスは大層素晴らしいだろうけど…十の人生があれば百の言葉が生まれる。生き方と教訓は人それぞれだからね」

 

「…ほう、ならその有難いお言葉とやらをお聞かせ願えるかな?」

 

 

 少しばかり探るような、意地の悪い空気を滲ませたメアリスがそう問えば、アインスは「そうだね」と逡巡し、懐から一枚のコインを取り出す。

 

 

「例えばこのコイン———」

 

 

 そうして器用に親指の上に乗せると、頭上へ向けて大きく弾く。

 

 二人の視線が高速で回転するコインへと吸い寄せられる。

 

 

「裏と表、このまま地面に落ちればどっちが出ると思う?」

 

「表だね」

 

 

 彼の問いに即答するメアリス。

 

 事実、このままコインが地面に落ち、弾かれ、跳ね、転がり、倒れた結果は———表である。

 

 その回答にアインスは「だよね」と頷くと、次第に落下し、目の前を通過しようとするコインを———

 

 

「———じゃあ俺はこうしよう」

 

 

 ———更に指で弾く。

 

 本来の軌道を逸れ、大きく弧を描きながらコインは硬質な音を立て地面を跳ねると、まるで己の留まる場所を探す様に転がり———

 

 

 

「すると———未来は逆転する」

 

 

 

 ———裏を晒し、停止する。

 

 彼自身が提示した地面に到達するという前提を当たり前の様に破ったアインスは、しかし何の悪びれもなく彼女へと結果を提示した。

 

 

「どれだけ望もうと、こうして邪魔が入れば結果は変わる。未来はいつだって後出しなんだから、こうすれば良かったああすれば良かったなんて言うだけ無駄なのさ。世界の意思は常に俺達を上回るんだよ」

 

 

 後ろなんて向かずに振り返るくらいが丁度良い、と。

 アインスはコインを拾い上げ、メアリスの掌へと表を向けて乗せる。

 

 王国に普及する普遍的なコインには、見覚えのある古英雄の意匠が施されている。

 

 彼女は掌を眺めた。

 

 

「どう?満足した?それとも当たり前すぎてつまらなかったかな?」

 

「…いや、とても大事なことだと思うよ」

 

 

 メアリスが過去を語れば、彼は未来を示す。

 

 過去が無ければ今は無く、未来を見なければ徒に押し流される。何れを切り離す事も決して是とは言えないだろう。

 

 先の長い者にとっては未来は未来こそ価値があり、長く生きれば過去が積み重なり重みが増す。

 

 それだけの違いである。

 

 

「若いとは良いね。私は振り返ってばかりで時間を無駄に使っている様に感じるよ」

 

「長く生きてれば刺激も無くなるだろうし、新鮮に感じてた昔の記憶を想うのは当たり前なんじゃない?それに、時間は唯一自分のものと豪語できるものだよ。どう使おうと自由さ」

 

「そんなものかな」

 

 

 その景色に何を見たのか、その言葉は果たして戯言か。

 メアリスは貰ったコインを手にアインスを見れば、彼は重い腰を持ち上げるように立ち上がる。

 

 

「さてと…花も添えたしそろそろ俺は行こうかな、残念ながら本命とお話は出来なかったけど。ああ、そのコインは君にあげるよ、ちょっとしたお礼さ」

 

「…お礼…?」

 

 

 意図の見えない発言に眉を顰める彼女を傍に、彼は土埃を軽く払うと踵を返し広場から離れんと市街地の方へと足を向ける。

 

 

「それじゃあ、またね。是非とも彼女によろしく頼むよ、輝かしい英雄の誕生が待ち遠しいファンが居たって———」

 

「———最後に、一ついいかな」

 

 

 背を向け去って行く彼はヒラヒラと手を翻し、彼女へとハンドサインと別れの言葉を告げようとした。

 

 だがそんな彼の言葉を無視するようにして彼女は引き留める。

 

 そのまま去って行くかと思われた彼であったが、しかし予想に反し、言葉無く足を止める。

 

 そうして、メアリスは己の言葉を聞く意思を見せた彼の背へと問いを投げかけた。

 

 

「期待しないで聞くが———あの子達に何をさせるつもりなんだい」

 

 

 鋭く目を細める彼女の瞳には、先程とは似つかぬ炎ほむらの如き魔力が揺らぐ。

 

 その問いに如何なる意味が潜んでいるかなど、凡人でも察することは容易い。

 

 彼女の纏う雰囲気に呼応するように、心なしか風は強く、空が薄暗く、空気が重くなる。

 

 

「…俺はただ、皆が幸せになるお手伝いをしてあげるだけだよ」

 

 

 アインスは振り返る事なく返答する。

 

 抑揚があるようで機械的にも聞こえる、そんな人外ヒトデナシの声が彼女の思考に僅かな隙間を生み出した。

 

 

「だって、いつだって物語の最期は———」

 

 

 瞬間、塵を巻き込む一陣の風が降ろされた段幕の如く吹き荒れる。

 

 

 

 

 ———大団円ハッピーエンドであるべきだからね。

 

 

 

 

 そうして景色が晴れた頃には———其処に彼の姿は無かった。

 

 

「…またね、か」

 

 

 メアリスは再び手元に残されたコインを見下ろす。

 意匠に刻まれた乱雑な傷が嫌な記憶を呼び起こす。

 

 

「私も、もう少しキミとお話しがしたいところだよ———」

 

 

 彼女は迷った末コインを懐へと仕舞うと、そのまま広場を後にするのだった———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———とはいえ…随分と早い再会だったね」

 

「別にカッコつけた訳じゃないけど…全然そんな事ないけど!…人生、何事もタイミングだよね」

 

「…♪」

 

 

 そんな別れを終えた二人…否、三人が再会したのは翌日のことであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る