第一章「王都動乱」

足音

「はぁ…!はぁ…!」

 

 

 男は駆ける。

 足場は悪く、太い木の根や絡みつく雑草に躓きそうになりながらも、後ろを振り向くこともなく必死に走る。

 

 そうして視界のほとんどが並び立つ木に埋め尽くされていた中進み続けていれば、少し開けた場所へと辿り着く。

 

 そこは先程まで男が休憩をするために使っていた場所だった。

 どうやら出口には近づいているらしい。

 

 

「…ッ!」

 

 

 男が安心するのも束の間、彼の目の前に小さな影が躍り出る。

 

 

「ヒッ…!」

 

 

 ソレは男の腰ほどまでの大きさしかない。

 

 手足も細く、街中で見る子供よりも虚弱にさえ見える。

 

 本来であれば恐れるに足らない、そんな存在。

 

 

「…っ、くっ!」

 

 

 だが今の彼にとってはソレが何よりも恐ろしかった。

 

 男は逃げるために再び駆け出す。

 

 

「は…!?」

 

 

 振り向けばいつの間にか背後にも同じ姿形をしたソレがいた。

 

 いや、後ろだけではない。

 見渡せば前後左右、木の影やその奥からワラワラと湧いて出るではないか。

 

 男は己が気付かぬ間に囲われていたことを悟った。

 

 

「ぁ…ぁあ…」

 

 

 男の口から掠れたような声が漏れる。

 

 

「…くそっ!や、やってやるよ…!」

 

 

 ガチガチとなりそうになる歯を食いしばり、覚悟を決めたように腰に差してある剣を抜く。

 

 それを合図にソレらが一斉に男に飛びかかった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 カリカリ、と紙と万年筆の先が擦れ合う音が静かな執務室に響く。

 

 男が筆を止める。

 先程まで聞こえてこなかった時計が針を刻む音が耳に届き時間の流れを感じさせる。

 

 彼は傍に置いてあるコーヒーカップを手に取るとそのまま口元に持っていった。

 

 

「ッ…」

 

 

 仕事に没頭していたせいか、熱かったはずのコーヒーは熱を失ってしまっていたようだ。

 

 男は口内に広がる違和感に思わず顔を顰める。

 

 

「ハイネスさん。」

 

 

 それと同時、正面の扉が開かれまた一人男が入って来る。

 ハイネスと呼ばれた男よりも一回りほど若い金髪の青年だ。

 

 

「仕事中にすみません。今、大丈夫でしょうか?」

 

 

 青年は断りを入れてからツカツカとデスクに近寄る。

 

 

「ヴィルックか…気にするな、丁度区切りが付いたところだ。」

 

 

 嘘は言っていない。

 実際は一息吐きたいというのが本音ではあるが、そもそも勤務中なのだから仕事を全うしている彼に文句を言うのが筋違いというものだ。

 

 

「これなんですが…」

 

 

 青年———基、ヴィルックは手に持っていた資料をハイネスに渡した。

 

 彼も顰めた眉を元に戻し渡された資料に目を遣る。

 

 

「森の異変への対処…またか。」

 

 

 再び眉間に力が籠るのを感じる。

 しかし無理もないだろう。

 

 彼の反応に青年も疲れたように返す。

 

 

「ここ最近こればかりで…国じゃ対処出来ないんですかね?」

 

 

 ここ最近は同じような依頼ばかりが入るのだ。

 

 いずれも魔物に関することばかりではあるだが、それらは全て近隣に存在する「北の森」の異変に起因している。

 

 北の森の異変そのものは既に数年前から起きていた。

 そのためハイネスの所属する傭兵組合も元々この問題に力を入れていたのだ。

 

 だが、最近になってさらにこの問題は加速し始めた。

 

 

「今度はゴブリンの凶暴化か…確かこの前はグラウハウルの異常個体だったな。」

 

「ええ、あの時は二等級の傭兵を数人集めて森全域を調査しましたが、今回は被害範囲的にもそこまで力を入れなくても良いのではと思って…」

 

 

 以前まではあくまで「魔物の増加」ということが問題であったのに対し、最近では「魔物そのもの」の異常が増加し始めていた。

 

 グラウハウル———狼の姿をしているその魔物は、通常耳鳴りを起こす、頭痛を引き起こすなどの特殊な効果を持つ咆哮を放つことで攻撃をするという特徴を持つ魔物であった。

 しかし以前報告された個体は一撃で気絶、恐慌状態、最悪死に至るといった凶悪な効果の付与された咆哮を放つ能力を持っていた。

 

 捜索には特定の音、波長を遮断する耳栓型の魔具を無理を言って支給し二等級傭兵数人で対処したものの、非常に危険な依頼であったことを記憶している。

 

 ハイネスはそのことを思い起こしつつ今回の調査について思考を巡らせる。

 

 

「…ゴブリンとはいえ被害報告のある事案だ。通常ならパーティにサポートを付けるのが妥当だろうが…ゴブリンの異常性は?」

 

「はい。規模の拡大率はまだデータとしてはありませんが、個々の凶暴化に加えて戦闘能力の上昇。あとは統率力が妙に高い、とのことです。」

 

「ならパーティは無しだ。対集団に特化した傭兵を六人以上。それとできるだけ集団戦の実績が高いサポート二人以上。報酬は人数に応じて上げろ。」

 

「…パーティじゃなくていいんですか?」

 

「相手の連携が予想以上に高かった場合、こちら側のパーティの戦略が崩される危険性がある。それなら最初から集団戦に慣れた人材の方が安全だ。」

 

「了解しました。ではそのように派遣しておきます。」

 

 

 ヴィルックは彼の説明に納得した様子を見せると、一礼してから執務室を出て行った。

 

 ハイネスはそれを確認すると一つ溜息を吐く。

 

 森の異変。

 大きくなり始めたのは二年ほど前にアルブレイズ家のご令嬢が森にて出会ったというオーガの変異種が確認されてからである。

 

 あまりに急、そして段階的な変化。

 

 どう見ても自然に発生したものではない。

 

 

「ふぅ…。」

 

 

 カップの取っ手に指をかけた時、冷めたコーヒーのことを思い出す。

 

 

「…ついでに頼めばよかったな。」

 

 

 彼は憂鬱そうに虚空を眺めながら苦い水に口を付けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執務室を出た青年はそそくさと依頼掲示板に向かい、支部長と話し合った通りの依頼書を張り出す。

 

 そんな彼へ後ろから傭兵が声をかける。

 

 

「お、新しい依頼か?」

 

「!…ええ。」

 

 

 振り向けば立っていたのは二人の男だ。

 

 ヴィルックが張り終えれば、早速一人の男が依頼書を確認する。

 

 

「どれどれ…なんだ、ゴブリンか。」

 

 

 どんな依頼なのかと楽しみにしていた様子の男はわかりやすく落胆する。

 

 

「残念ですか?」

 

「そりゃお前…ゴブリンだぜ?」

 

 

 ヴィルックが問えば男は面倒臭そうに答える。

 

 

「数ばっかり多いから手間がかかるくせに報酬は安い…はっきり言って割に合わねぇよ。」

 

 

 ゴブリンという種は繁殖力に特化している。

 それは個々の力が弱く、単独で生き残るには難しいことが起因していると言われている。

 

 故に依頼達成自体もそこまで難しくはなく報酬は一様に低い。

 だが言ったように繁殖力だけは高い上無駄に小賢しいためとにかく面倒臭い。

 

 だからこうしてほとんどの傭兵は好んで受注しようとしないのだ。

 

 

「ですが最近は受注できる依頼もそう多くはなくなってきていますし、こういった依頼を早めに受けておくのも重要なのでは?」

 

 

 そんな男の説明を受けた上で、ヴィルックは彼に依頼を推薦する。

 

 実際、森の異常に伴い魔物が強力になるに連れ、そう易々と受けられるような依頼も減ってきている。

 

 

「それに…」

 

 

 彼は付け加えるようにして依頼書のとある部分を男に見せる。

 

 

「報酬は十分に高いですよ?」

 

 

 そう言って報酬の欄を指し示せば男は目を見開いた。

 

 

「はっ!?ゴ、ゴブリンだよな!?」

 

「ええ、間違いなく。しかしこれは少々特別でして…」

 

 

 男が注目したことを確認するとヴィルックは依頼の詳細を説明する。

 

 そうする内に、段々と男は唸り始めた。

 

 

「…だがなぁ。」

 

 

 しかしそれでも男は中々頷くことはない。

 報酬は高い。しかしその分危険性も高く人材も集めなければならない。

 

 時間、労力、そしてその結果得られる利益を天秤にかける。

 

 

「いいじゃないか、受けようぜ?」

 

 

 すると先程まで黙り込んでいたもう一人の男が口を挟む。

 

 

「受けるのか…?」

 

「危険度は高いが報酬は充分、人数も当てはある。お前と違って友達は多いんでな。」

 

「うるせぇよ!…でも本気か?」

 

「ああ。正直最近はいい依頼も受けられてなかっただろ?」

 

「…」

 

 

 男は腕を組み、うんうんと一通り悩むと口を開いた。

 

 

「よし、受けよう。」

 

 

 その答えを聞くと、ヴィルックは満足がいったように頷く。

 

「…かしこまりました。では、早速受付へ———」

 

 

 そうして男を依頼を正式に受注するために受付へと案内する。

 

 その時の青年の笑みは、何処か歪んで見えた。

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