1‐8 捨てられるプライド
「おい、マスター。お前、言うにことかいてこのオレにソイツらを救けろ——だと? ふざけてるのか?」
「ッ……」
ゆっくりと今度は確かな理性を持ちながら、造った二つの脚でソフィアに近づいていく。
辺り構わず撒き散らすような怒りではない。静かに、内に溜め込む様な怒りを感じる。マスター権限と契約が無ければ、今すぐにでもソフィアの首を刎ねそうな雰囲気があった。
そこでソフィアは思い出す。言葉を交わしたから、契約を結べたから、自分に害は与えないから——と勘違いしていた。
自分が話していたのは、人類を滅ぼしかけた『魔王』だということを。
「ふ、ふざけてないわ……! わ、私は言ったはずよ……! 王国の人たちや私に優しくしてくれた人が死ぬのは嫌だ——って! 彼女たちは私の大切な臣下なの……!
ここで殺すのは契約違反でしょ!? アナタにとって契約は重いモノなんじゃないの!?」
「あぁ確かにそうだな。お前の言ってることは間違ってねぇし、オレが手ずから殺すつもりもねぇ。けどな——」
その端正な顔を近づけ、冷徹で無機質な瞳をソフィアに向ける。
「オレが殺さないからって、なんで死にぞこないを生かさなきゃならない。誰かを救え——なんて契約に含まれてねぇぞ。オレに出来ることは壊すことだけだ。お前もそれを望んだんじゃねぇのか」
「そ、それは……! そう……だけど……」
「オレが手を下さなくとも、勝手にくたばってくれるならむしろ大歓迎だ。そのままおっ
にべもなく拒絶の意志を示され、離れるアイリスにソフィアは何も言えなくなる。言葉に正当性があるのはどう考えてもアイリスの方。ソフィアを助ける義理はアイリスには無い。
それでも、引き下がることは出来ない。ソフィアにとってハーベとクルルは臣下でありながら大切な家族だ。
もう二度と、家族を失いたくないのだ。
「お願い……します」
血が少し乾き、硬い感触を覚える帝国軍服の裾を掴みアイリスを呼び止める。
アイリスが向き直ると、ソフィアは震えながら頭を下げていた。
それを見るアイリスの双眸は石の欠片を見るよりも冷たい。
「……お前、お願いすればオレが動くと思ってないか?」
「思ってない……。けど、私にはこうするしかないの……。応急処置したとはいえ、二人は血を失いすぎた……。治す手立てがあるなら今すぐにでも回復させてあげて欲しいの……。今の私には出来ないことだから……」
ソフィアが使える唯一の魔法『
ソフィアの実力不足だ。
「そもそも、今のお前はマスターだ。お願いなんぞしなくとも『強制命令』すりゃあいいだろ。昔のレストアーデみたいによ。オレはそういう機械なんだぜ」
「……アナタは
「元とはいえ王女の頭は随分と軽いんだな」
嘲りを孕んだその声色に、ソフィアは伏せていた顔をバッと上げる。その表情に弱弱しさはなく、悔しさが滲み出ながらも力強い覚悟があった。
胸元を搔きむしるかの様に握りしめ、彼女は訴える。
「……レストアーデ王家の象徴たる『炎』の魔法も使えず、唯一出来る治癒の魔法も中途半端。私にあるのは、この魂を焦がす
「随分とまだ、損な生き方しているな。王族なら自由気ままに振る舞えば良いものを」
「今の私は力の足らないただの小娘よ。そんなちっぽけな人間がそんなことしたら、恥ずかしいだけじゃない。どうせ気ままに振る舞うなら『王国」を取り戻してからやるわ」
恐怖を感じながらもソフィアはニッと口角を上げ、意志を示す。
そこで放たれた威は『ただの小娘』ではなく、懐の広い賢王の片鱗が垣間見えた。
「はぁ……。謙虚なんだか強欲なんだか分からん奴だ。だが、まぁこのオレにそこまで啖呵を切れるんだ。一旦はお前に使われてやるよ」
ため息を吐きながら、アイリスが倒れ伏している二人に近づいていく。
「それじゃあ!!」
「また一つ、お願いを聞いてやるよマイマスター」
☆
「ここ……は」
「あ、目が覚めた?」
閑静とした森の中。穴から飛び出たすぐそこの木陰で休んでいたハーべが目を覚ます。
その目の前には、ソフィアの美しい顔がドアップで映っていた。
「はわわわわ!! も、申し訳ございません! ソフィア様に看病をさせてしまうなんて……! なんて恐れ多い!!」
慌てて身体を起こし、ハーべは思いっきり後ずさる。
ただ、その背後にあるのは巨木。背中からぶつかり、痛みで蹲ってしまう。
「もう、何やってるのよハーべ。それに、そんなこと言わないのバーベ。私たちは家族みたいなものなんだから助け合うのは当然でしょ」
「ソフィア様……」
ソフィアの優しい言葉にハーべは思わず涙目になる。
それを見て笑みを浮かべたソフィアは、木にもたれ掛かって浮かない顔をしているクルルに声をかける。
「クルルもいつまでもそこでいじけてないで、こっち来なさい。あなた達のおかげで、私も二人も生きているんだから感謝しかないんだから」
「それでも……なのですよ。いやはや、面目ない。護衛が護られる立場になってしまうとは。このクルルタリス、一生の不覚……!」
グッと拳を握りしめると、悔しさからこちらもまた涙目に。
死の淵から生還出来たという緊張の緩和がそうさせているのだろう。三人はしばし柔らかな雰囲気に包まれた。
と、そこに入ってくるのは勿論もう一人の『仲間』だ。
「おいお前ら、そんなことしてる場合じゃねぇぞ。残党兵がもうすぐそこまで来てやがる。穴のおかげで遠回りになるだろうが、のんびりしてたら追いつかれるぞ。お前らにとっちゃ都合が悪いんだろ?」
「アイリス。そうね、二人とも起きて早々悪いけど——」
「て、帝国兵!?」
辺りを索敵していたアイリスが帰ってくると、二人は咄嗟に攻撃態勢に入ってしまう。
見た目は絶世の美女。神が作ったが如き均整の取れた美しい顔と身体を持つアイリスは、本来なら誰もが見惚れる存在だ。
けれど間が悪かった。今のアイリスが着ている服は血塗られた帝国軍服。
勘違いしても無理はなかった。
「おい、誰に得物向けてんだ? マスターの顔に免じて五秒だけ待ってやる。今すぐソイツを下ろせ」
「「ッ!!」
アイリスからの殺気が溢れ、恐怖で体が固まる二人。突き出された右腕からは、死の未来しか感じさせなかった。
咄嗟に、三人の間にソフィアが入って仲裁する。
「ちょ、ちょっと待って二人とも! それにアイリスも! 今は内輪揉めしてる場合じゃ……!」
「……はぁ、アレもダメこれもダメ。面倒くせぇな。こいつは貸しだぞマスター。話しはつけとけ、オレはアイツらは片しといてやるよ」
そう言ってアイリスは右手を巨爪に変形。土埃も立たせず刹那の内に消え去った。
次に聞こえてきたのは、遥か遠く。穴の向こう側で蹂躙されているであろう帝国兵たちの悲鳴だった。
木々がへし折れ、肉が断裂する音が三人の耳に届く。
クルルタリスがその方向を睨みつけ、ハーべは恐る恐るソフィアに尋ねる。
「ソフィア様……あの方は一体……、何なんですか?」
「えっとその……全部話したら長くなるんだけど……。端的に言えば——」
臣下たちの視界に、主人とその背後で宙に跳躍した禍々しい笑みを浮かべるアイリスが映る。
アイリスはそのまま直下し、無惨にも帝国兵たちを斬り裂いていた。
そんな凄惨な光景とは裏腹に、ソフィアは困ったように頬をかいている。
「——魔王、仲間にしちゃった」
隠し事がバレた子供のようにソフィアははにかむと同時に起こった爆発音。
クルルとハーベは目を見合わせ、すぐに主人に視線を戻す。
それに間髪入れず——
「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」」
静かになった森の中に二人の驚嘆が木霊した。
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