第5話 壮大な絵図

「それは何だ?」


「読み書きそろばんです」


「文字か。ソロバンとは?」


「計算能力です」


 シドは長年温めていたのであろう、自分の計画を披露した。

 それは実現されれば痛快だろう。


「アルディラ八百万の民が、全員、読み書きができるとは、途方もないな」


 考えられない話だ。


「不可能ではありません。アルディラだけでなく、その周辺国二千万の民が、この大陸の文明をリードしていくのです。更にその周辺国にも広げ、皆が学びを求める世界です。そして我々もまた、世界に見聞を広げ、その知恵を結集して前進する社会です。戦っている場合じゃないんです。戦争で人を殺している場合じゃないんです」


 ニヤリとシドが笑う。


「民が文字を書けるようになった先はどうなる?」


「勝手に進みます。まずは人々が、使える知を検証しあい始めます。膨大な経験の中から、法則をみつけ、それを元に再現させてみようとするものが現れ、何故そうなるのかを考えるようになります」


「民が考えるというのか?」


「はい。その民の考える一つ一つはとてもとても小さなものですが、それが組み合わさった時、魔法を超える巨大な力となっていきます」


「どう組み合わせる?」


「古今東西の本を集めます。学びたい人物にそれを解放するのです。この王宮の書庫にある物語も全て開放し、多くの人に『知る機会』を与えます。誰にも分け隔てなく。その知識をたくさん知るものは、『知識人』として皆の好奇心を満たしていくでしょう」


「ふむ。かつてここにいた神官のようなものも現れるぞ」


 お前がことごとく追い払った神官は、まさに古今の知識を持つ者だった。


「はい。ですが、その知が正しいかどうかを判断するものが現れ、活用できる知を見極めることで、実態のない知は滅んでいきます。神官らは『神の知識』を疑うことを許しませんでしたが、疑うことは自由にさせます。多くの民が知識を持てば、疑うようになるでしょう」


「……そうはならぬだろう」


 シドの構想は壮大だが、人の醜い部分を敢えて見ようとしていない。

 人は自分が生きるためには、実体のない知すらも活用しようとする。長年、神官らが、神威を盾に行政に介入してきている。偶然すらも、神の意志とするものが現れる。


「全てが正確にそうなる必要はありません。個人の進化は緩やかですが、社会の進化は恐ろしいほどに速いのです。実体のない知は長い時間の中で、前に進めなくなります。そこにしがみつくものがいたとしても、いずれ教養に負けていきます」


「教養とはなんだ?」


「教養とは知の活用です。知を正しく使い、人々に正しい知の使い方を教えるものです。その者を『教養人』と呼びます」


「まて、知を神の教義とするのであれば、その教養人とやらは、まさしく、知の神に仕える神官ではないか」


「ほう……うまいことをおっしゃいますな。その通りです。時には教養人らも神官のように間違いを犯します。違いがあるとしたら、真の教養人らは、その間違いすらも教養の成果としていくことでしょう。固執せず新たな知を探し活用をします」


「間違いすらも? では何をしても教養になっていくではないか」


「はい。この教養の中から、新たな知を産むものも現れます」


「新たな知と? そのようなものが出るのか?」


「それこそが、私が目指すところです。知の活用による教養は、人々の知的好奇心を満たす新たな正しき知の発見をする者を生みます。その者らを『文化人』と呼びます」


「それはどんな奴だ?」


「私がいた世界では、多くの研究者や芸術家を指します」


「研究者とは?」


「一つの学を探究しようと努め、その先を生み出すものです。知識人であり教養人でもあります。学問としての新たな発見や発明をしていくもので、進歩の中枢にいる者たちです。未知の世界を進む勇気あるもの知恵者です」


「では芸術家とは?」


「絵画や彫刻を通じてこの世界の美を追求し、新たな音曲を生み出し人々を悦ばせ、奮い立たせ、人々の感情を揺さぶる物語を紡ぎ新しい感動を与える人々です」


「誰もがそのような人物になれるのか?」


「全員がなれるわけではありません。それに、その時代に最も相応しい者だけが、栄誉を受けるものではなく、死後に評価される者もいます」


「死後? 死後に評価されることを見越すのか?」


「全員が死後を狙う訳ではありませんが、斬新すぎて当時の人には受け入れられないものもあります。ですが未来の人になら分かってもらえるのではないかと、それを時間の中に託すのです。未来の人物が、その時代に溢れた文化では満ち足りなくなった時、必ずそれを探してくれるだろうと。もっと昔に分岐した別の道を探してくれるだろうと信じて」


 途方もない話だ。

 目の前の人が喜ばない絵画や音楽を、未来の民のために残すなど、あり得るだろうか?


 シドのいた世界がどのように成り立っていたのか、知る由も無いが、相当の『無駄な努力』に溢れていたのではないか。

 それは、その人物にとっては苦しいだけではないのか?


「苦しいでしょうね。その時代を一人で孤独に過ごすことになるでしょうし。それでも、自分を信じて進むしかないのです。芸術家も研究者も、文化人と呼ばれるまでに至る者はごく僅かです。みな、歯を食いしばって進むのです。この先に、何かがあるに違いないと」


 矛盾だ。

 豊かになって何も不安を覚えずに済む世界のことを、幸福な国というのではないのか?


 シドが言う社会はむしろ、何が正解か分からない中を進んで行くようなものではないか。


 だが、シドはそれを肯定しているように言う。


「知という小さな歯車を組み合わせた教養を手掛かりに文化を生み、文化は新たな知識を生み出し、その自己増殖の過程そのものが巨大化したものを文明と呼びます。そうなれば戦などしている場合ではありません。一人の人間が考えることは有限ですが、多くの人が考えることは限界がありません。王族による支配構造は、少数の人間が考える世界ですが、私が目指す世界は、多くの人間が様々なことを考え、そして多くの人で選択する文明世界です」

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