第三話 退位

「……弟君? え? 異父……って、お父さんが違うって……まさか」


 さすがのシドも柑橘を剥く手を止めた。


「前王のお手付きだ。儂の母がな」


 シドが声を出さずに口だけで驚きを表現した。当時の私もそんな顔になった気がする。その事実を知ったのは、十五の頃だったか。


 当時皇太子だった現王……いや、既に亡くなっているが、初めて彼に引き合わされた時、全てを悟った。


 父の代で、我が家が家格以上に厚遇された理由も、全てはこれだったのだ。


 その負い目もあり、父は前王が崩御すると同時に全ての役職から退き、全てを一人息子である私に譲った。


 弟は、その数年前から、王宮の一室で隠されて育てられた。まだ剣術訓練を始めたばかりの年齢だ。


 そこからひたすらに、私は王宮政務に力を入れてきた。

 末端だろうが、軍務尚書になろうが、王宮にさえ携わっていれば、いつかまた弟に会えるだろうと。それが弟のためになるだろうと。


 実際に会えたのは、現王が暗殺された後のことだ。

 王は世継ぎを作らずにこの世を去った。正室、側室、共に子供がいない。そもそも内乱も、外戚や遠い血筋の者が、王位継承権を巡って起きたことだった。


 その戦いの最中に、王は亡くなったのだ。

 代わりに現れたのは、王よりも王らしく振る舞う、自分の弟だった。完全に王に成り代わった男として、私は弟に数十年ぶりに再会することとなった。


「……それでか。軍務尚書は、王政を辞めるつもりなんですね」


 質問ではなく、確認だ。

 さすがだ。

 シドはこの先の展開が読めているのだろう。


「そこまで見通したか。そうだ。現王には退位いただき、共和制に移行させる。まあ、そこまで儂が生きているかどうかわからんがな」


「王……いや、影武者は、全ての財産を放棄ですかね?」


「まだ決めてはおらんが、儂の二歳下だ。そう長生きもせんだろう。国に慰労年金を出させて、田舎の山荘で余生を過ごさせるさ」


「そううまくいきますかね」


 うまくいってもらわねば困るだけだ。シドは伏し目で何かを考えている。


「気になることがあるのならば、はっきり申せ」


「はい。共和制移行期に、恐らく、再び王を暗殺しようとする者が出るはずです」


「何故だ?」


「そうすることで、共和制において、その人物に正当性が出るからです」


「馬鹿な」


 ……とは言ったものの、確かに想像すると、移行期の混乱の元凶として、また無用に税を使う存在として、そうなる可能性は十分にある。


「今の王は、退位までは善政をするつもりかもしれませんが……正直、生贄としての価値のほうがあるでしょうね。元々の王は、狂王ですよ。無暗に隣国へ侵攻しようとする野心が強かったですからね。その責任ともなれば……」


 内乱の途中から、王の様子がおかしいと人々が囁いた。今までなかったように、王は突然、民の暮らしや兵の心配するようになったと言われた。


 それくらい、殺された王は民衆からは不人気だった。一方で弟は「王はかくあるべき」という行動をしている。市井では「内戦で人が変わったようだ」と言うが、実際に人が入れ替わったのだ。皆はこの善行を「王の贖罪」と言うが、弟にとっては「あるべき王政」のつもりだろう。


「まあ、いずれにしろ、今すぐ暗殺や政変が起こるという話ではありません。その前にいくつかイベントがあることでしょう。それよりも」


 シドが柑橘をひと房、口に含んだ。


「私を誅殺しようとする者が、アルディラの内部にいるようです。これをなんとかしてくれませんかね?」


「誰がそんなことをするものか。お前如きに」


 ついさっき、ランドンの者が来ていると聞いて、殺しておけばよかったと後悔したところだが、事実、シドを自らの手を汚してまでも誅殺しようとは思っていない。


 アルディラにとってはリスクが高すぎるからだ。


 シドを仕留めたとして、何が起こるか想像に容易い。

 下手に反逆罪の汚名を被せたところで、こいつにそんな野心が微塵もないことは多くの者が知るところだ。返って「次は我が身か」と警戒され、再び内乱の火種になりかねない。


 仮に別の国が彼を暗殺したことにしたとして、だからといってすぐに戦争を起こす程の余裕が、今この国にはない。新しい軍制も始まったばかりだ。軍の統制も利かないだろう。


 そもそも戦とはリスク以外の何物でもない。


 内戦で最初は劣勢だった王軍が巻き返せたのは、シドやヴィマルらの奇策の連続がたまたま相手を翻弄したに過ぎない。


 もしも今、再び内戦や外国からの侵攻が起きたらどうなるか。次こそ負ける可能性がある。併合していった小国もこの機とばかりに呼応する。それくらい不安定なのだ。


 まだシドには利用価値がある。しかし、それは今ではない。むしろ、今はこの男が別の国に奪われない方法に力を注ぐべきだったか。


 仮に、別の国によってシドが殺されたのなら、それはそれでいい。


 少し事件の鮮度は落ちるが、体制が整ってから大義名分としてその国に攻め込む理由になるだけだ。


 つまり一番面倒なのは、他国にシドが迎え入れられた時だが……。その可能性は低いだろう。国外でシドの噂は広まっているものの、未だ、脅威にしかみられていない。受け入れるほどの度量は、例えばランドンですら難しかろう。


「あれぇ? ということは、軍務尚書のあずかり知らぬところですかね。ならば、内務尚書のほうか。厄介だなぁ」


 内務尚書。モッティ・フルムーン。


 十数年前にこの国に仕え始め、特に内戦時の兵站計画や周辺国との交渉、更には近隣の資源開発や農地改革などに才能を発揮した。


 どこで学んだのか、特に農業に関してはかなりの知識を持ち、また農地に関する計算や税制を担当し、国庫の蓄えを増やすのに貢献している。

 戦いの役には立ちそうにない小柄な体格だが、行政に関する頭脳はずば抜けていた。

 シドを戦時の天才とするのならば、モッティは平時の逸材と言うべきだろう。

 気付けばいまや王政の中心人物だ。

 だが、シドとは接点がまるでない。

 避けるように、二人は会ってない。

 内戦時、後方支援のモッティと最前線のシドにやり取りがあったとしても、兵站くらいなものだ。


「内務尚書に恨まれるようなこと私がするわけがないし」


 するわけがないかどうかは分からないが、少なくとも、モッティの個人的な動機は薄い。むしろ、本当にあの内務尚書が暗躍したのであれば、何らかの合理的な理由がありそうな気もする。

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